教えて下さい界隈に広がるトンチキ展開を愉しむ
ちょっと自分の労働環境に変化があったおかげで年始以来何もかけない状況が続いたのですが、ここに来て漸く落ち着いたので、また書き始めます。
で、今日のお題は「教えて下さい界隈」のトンチキ展開のお話。いや、昔からネット上に数々存在する「教えて下さい界隈」あるいはその周辺、更にはいわゆるネット上ではいろんなことが起きていて日々飽きないんですが...
見出しチラ見だけで論評を始める「一を読んで十を解読できる」らしいクラスタ
これは別に「教えて下さい界隈」だけではないとは思いますが、コンテキストの読解以前に目に入った文字面でカチンと来て「あんたねぇ」と言い始める方向の方ですね。
これはもちろん私自身も気をつけないと駄目だと思っているのですが、何かしら自分の考えとは異なる文字面(映像だとタイトル画面とか)だけで反応することはゼロではなく、でもそこは一旦深呼吸してその先をきちんと読んで(あるいは映像だと見て)からもう一度どういうふうに反応するかを考えるようにしています。
もちろん必ずそれが出来るとは限りませんが、最初に入った文字面がその後の全体をどこまで表しているのか、その文字面やタイトル画面になっている意図は何なのか、例えば意図を持って煽りを入れていないかなどを理解してからじゃないと駄目だよねとは言い聞かせています。
難しいんですけれどね。
見出しチラ見だけで「私はよく知らないんですけど」といきなり全然別の自説の世界に入るクラスタ
いや別に知らないのは全然良いと思うんです。例えばアホな私は自分が知ってることと知らないことってアリと東京スカイツリーくらい違う(変な喩え)と思ってますから、知らないことが目の前に出てくると「なんだコレ」とか普通に思います。もちろんその反応自体はポジティブなものからネガティブなものまで幅広グラデーションの何処かに位置するんですが、例えばSNSでもなんでも、それが自分の場でなければお題とは関係ない話を始める事は極力しないようにしています。
あるいは、そこで得た話をきっかけに何か自分で思うことがあれば、引用するなり参照するなり、あるいは全く新たに自分の場で話を始めるようにしているつもりです。
でも「過去に岩永が持論の展開を自分の場でやらかしやがった」という方がいらっしゃるのであれば、今ここでお詫びいたします。申し訳ありません。私がアホでした。
そんな私の勝手な反省なんか黙って勝手にしとけという話だとは思いますが、世の中的には何かしらの反応を人の場での持論の展開で進められる方がいらっしゃるのを時々見ます。もちろん同じ方がずっとやってるケースもあるかもしれませんが、世代交代があるなかで同じように新しい世代としてそういう方向で話を展開される方が現れることもあります。
難しいですね。
中には「場の持ち主」が「持論の展開は自分のSNSの場でお願いします」と丁重にお引き取り願っていたり、ちょっと揉めた挙げ句その方の一連の発言が消えたりすることもあったりしますが、SNSの場自体は公共の場であっても、そのなかで誰かが持っている場はその方がオーナーという立場が取れる場であればそうするよねというのは個人的には理解します。
でも、難しいですよね。
新種の「私はそれを知らないんですがAIに聞いてみました」と謎のご進講を始めるトンチキクラスタの出現を愉しむ
最近、「AIに聞きました」を免罪符に謎のご進講を始めるクラスタを時々見かけるようになりました。誰が言った話をつなぎ合わせたのか不明ということで話の裏は取れないし、そもそも引っ張ってきた内容が正しいのかどうなのか事実なのかどうなのかも解らないと思うのですが、そんなのは基本お構いなしのようです。
正直に自分の感想をいいます。
アホな方ですね。
いや、私もアホではありますがアホにもアホなりの自覚があって、たとえブログの場であってもアホながら引用参照を明記するようにしていますし、基本は「自分はこう思う」という一人称で責任を取れる形で意見を述べるようにはしています。
それに加え、アホすぎてAIに人格を認めることができないので、何かしらの意見を求めた結果を見て「最新技術のAIがこんな事言ってるのよ!」と他者への展開を考える事に思い至る事すらないのですが、最近そんな方向に考えて何かに反応してない?って思うものに時々出会います。
それこそ「教えて下さい界隈」で時々見かけたりします。
でもそれって私だけがそう思ってるんでしょうかね。
アホには難しくてよくわかりません。
でも何か楽しいですけど。
そして、昔からいる「(ガチで)その件についてはよく知らないんですが」クラスタ
世の中的に「その件については素人なのですが」で始まる本当のプロからの情け容赦ない何かしらの評価や事象事項の指摘について、その一言から始まる流れを考えるだけ(あるいは思い出すだけ)で泣いてしまう方もいる程の恐ろしい展開が待ち受けるのは知られた話ですが、それが必要な場もあるので一概に良し悪しについて話をするわけにはいかないのもよく知られた話。
なお、不肖岩永、人生の中で一度だけ、多分2008年か2009年頃だったと思うのですが、当時日本で作られた無線通信規格のマーケティング・コミュニケーションを担当していたなかで似たような経験があります。ただ私の場合には震え上がった側ではないのですが...
「無線通信の規格についてお仕事されているんですよね。そのあたりの話ってイワナガっていう人が詳しく解説されてたんですが、ご存知ですか?」
「私がそのイワナガですが」
「え」
その方は実はよく知っていた方だったのですが、その方が私を最初に知った後に既に2回転職していて、しかもその当時私がその仕事を担当していたのをご存じなかったというある意味誰にも罪が無い話でした。
結局お互いに大笑いして終わったのですが、まぁ長生きしてるといろんなことが起きるよねとは思ってます。