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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

プレゼンテーションのスキルを考えてみる

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昨夜のNHK ETV特集は例のTEDのお話。開催に併せてはもちろん、それ以外にも時々話題になるイベント。政治や経済の中枢にいた人からそれこそ学生のレベルまで、色んな人がそれぞの持ち時間の中でプレゼンテーションを行うイベントです。

もちろんそれらの人がそこで何を話したのか、それぞれの人のバックグラウンドはどうなっていて、これから何をしようとしているのかといった話が本当に色んな角度で語られる場な訳です。因みに昨夜のETV特集でももちろんそういう面の話が取り上げられていましたが、実は私が以前から気になっているのは、そのTEDでのプレゼンテーションという行為自体についての話。もちろん話の内容について、というところはあるのですが、そもそもプレゼンテーションという行為自体をそれぞれの人がどう捉え、どう向き合い、聴衆に如何にアピールするかというところがとても気になります。

なぜかって?いや、過去30年近くのサラリーマン生活のなかで、通算すると10年以上は属する組織の中で何かしらの製品なりサービスなりソリューションなりのプレゼンテーションをするということを主たる担当業務として暮らしてきた経歴があるもので・・・

 

実はプレゼンテーションスキル講座っていうのが大嫌いです

新卒で最初に入った会社での新入社員研修では、本当に最初から何かしらのお題を誰かに話す、いわゆるプレゼンテーションの場というのが数限りなくありました。いや、もちろん限りはあって、自分が喋るべきところでキチンと喋るしかないのですが、そこで何を伝えるのか、どう伝えるのか、どうすれば伝わるのかといったところの極々基礎は叩き込まれた気はします。でも、それだけでは独り立ちするところまでは当然行かない。

ただ、私自身として、人前で喋る事自体はそれほど嫌いではなかった(他人に言わせるとむしろ好きだろという話になったりもしますが)こと、そして配属になった営業部門でさっぱり成果を出せなかったという情けない状況などが重なり、「お前は何も売ってこないが喋るのだけは上手いから」と半ば騙され、半ば諭されてとあるサービスのデモセンターに異動になったのが1987年。そこから私のプレゼンテーション人生が始まったと言えるんじゃないかと思っています。

なにしろ生意気盛りの20代前半だったのですが、「ならば目の前に来たお客さんには必ず首を縦に振らせてやる」と意気込みつつ空回りしつつ、それでも自分としてどうすれば良いのかというのは徹底的に勉強しました。これは真面目にやってましたね。身振り手振りから注目のさせ方、抑揚、早口とゆっくり喋るペースの持ち方などなど。で、色んな人が喋るところを一生懸命調べ、見て、試してたどり着いたのが「プレゼンテーションはその人の仕事であり、話を聞いてもらわないと始まらない」という事。もちろん求められるものはそれぞれあるのですが、大抵の場合、最終的に伝えなくてはいけない事、持って帰ってもらわないと困る事はそれほど多くありません。そもそも人はどんなにありがたい話であっても眠るし直ぐに忘れる。それを前提として何を覚えてもらうのか、そもそもどうやったら聞いてもらえるのか。覚えてもらうのか。

でですね。「どんなに一生懸命に話をしても、聞いてる人は忘れるんですよ。どんなにありがたい話でも人の話を聞いてると誰も眠くなるんですよ。じゃぁどうすれば良いと思う?」なんて発想でやってるプレゼンテーションスキル講座なんて聞いた事が無いんです。あ、もし存在するなら私の勉強不足ですので申し訳ありません。でも、自分で年間に何十回も1セッション1時間とか2時間も話をしていると数限りなくそういう事実に直面するんですよね。じゃぁ、どうするか?そんな事を教えてくれるプレゼンテーションスキル講座には巡りあえなかったので、結果的にそういう講座を嫌いになってしまいました。曰く「お前ら本気の切った張ったのプレゼンの場を知らんだろ」的なキモチ。

 

映している資料を読まれたら負け、という意識

私の場合、プレゼンテーションの場で自分が喋ってる間は自分を見て欲しいという、非常に強い自己顕示欲みたいなのがあるかもしれません。もちろん場面上でキチンと見て欲しい数字とかは見て欲しいのですが、本気で作った資料の場合殆ど読む場所がなかったりしたことも多々あります。スクリーンの前に出て行って画面上の何らかのイラストや写真を直接指差して話をし、画面を横切り、早口で捲し立てた後ゆっくり話をして「ここ、大事なんですよ」とやったり。両手はおろか体全体を使って喋るのが自分のリズムなので、ポインターを使うと片手を封じらてしまい妙にぎこちなくなったり、マイクは可能な限りピンマイクやヘッドマウントのマイクにしてもらわないと話づらくてしんどくなったり。

まぁ、忙しない事この上ないかもしれません。

でも、話をしながら、聞いてくれてる人の表情を眺め、ネタを変え説明方法を変え、更には持って帰ってもらう結論も微妙に変えたりとかを、喋りながら考えて、考えながら喋るという行為が私にとってのプレゼンテーションだという意識でやってきてたんです。

 

メモなんか取らせないぞ、というプレゼンテーションのやり方(あまり薦めませんが)

それこそ議事録を読み上げるような「発表会」とはちょっと違う方向なので、そういう意識の方が多い場でかなり驚かれた事もありました。確信犯としてそれをやったこともあって、200人くらいのお客さまの前で喋る資料自体、話を聞かないと他の誰かに説明できない資料にしてしまいましたし、途中で動きをつけたので「キマリ」の絵しかないページも一杯含めました。もちろん持って帰って欲しいメッセージはキチンと配布した資料の中に入れているのですが、30分くらいのプレゼンテーション時間の中で一生懸命メモしながら聞いていた人の全てがメモを諦めて顔を上げたのが開始5分後くらい。あとはひたすら画面を追いかけ、画面の前で喋り捲る私を見てもらい、結論のところでもう一度紙に戻るという、ある意味非常に危険であり、誰にも薦める事が出来ない方法を取りました。

もちろん、そうする理由はあったし、その場のその話題はそういう方法が効果的であるという確信があったからやったのであって、実際主催した方や事情をわかっている関係者の方からは高い評価を得る事が出来、お客さまからも「良くわかった面白かった」という好意的な反応が9割くらいで、実はそのうち何名かの方から「これでは帰社後に報告書に添付できない」という半ばお叱りのコメントを頂きました。一応これは想定していましたので驚きはしなかったのですが、伝えるべきメッセージのキーワードは全部資料中に文字にしていたので、それを箇条書きにしていただければ大丈夫だと思いますよと答えたり。

 

要は、喋る事を理解してるのか、そして聞いてる人が自分の話を理解してくれてるかを感じられるか

お題も状況もそれこそ業種業態状況事情により異なるわけですから、単純に一般化するのは非常に危険ですが、プレゼンテーションという行為に絶対に欠けてはいけないことは、それが1対1であろうが5000人を前にしようが、まずは喋る内容を自分がチャンと理解してるかということと、それを聞いてくれている人が理解してくれているかを感じ取る事が出来るかどうかの二つに尽きるんだと思っています。

たとえば企業がユーザーなりにプレゼンテーションする場合、結論は「これ買ってね♪」か「俺たち凄いんだぜ」の二つしかありませんという持論(いや暴論)を持っていたりします。これに100の修飾語をつけ、あとは時間内に喋ればプレゼンテーションなんて終わりさっ、という話です。もちろんトーンやマナーや色んな考慮するべきところはありますから実際にはそんなに単純じゃないですが、でも極論としてはそういう理解もありかなとは思います。

でも、そればかりが表に出ても何も伝わらない。
でも、伝えるテクニックだけを勉強しても実は伝わらない。
でも、伝えるべき内容をきちんと理解していて、伝えたいという気持ちがあって、かつ相手の反応を見る事ができるようになれば(それがテクニックといわれるかもしれませんが)話は伝わるんですよ。

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因みに2年ほど前に「人に何かを伝える」と言う仕事、更には「プレゼンテーションという場」自体から離れてしまったので今この瞬間にそういう場が来るとどう振舞えるかと言うのが良くわからないのですが、たとえば自分が忌み嫌ってるプレゼンテーションスキル講座みたいな感じで誰かにそういう話を、それこそネタのひとつとして伝える場なんてあると面白いのかなぁと思ったりする程度の年寄りになった自覚はあります。

いや、でも、誰も聞きたくないですよね(笑)

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