「いいね!」しか無い世界は不気味だ
今や日本でのユーザーが推定311万人という数字を記録している調査も発表されているFacebook。ある時期突然「日本でもFacebookだぜ!」キャンペーンが走ったりとか色々な動きがあったのを踏まえての今の状況ですが、ユーザー数としては日本は調査対象となった24のアジアの国と地域中で10位。因みに人口比では16位の2.5%。これが多いか少ないかというのは色々議論があるとは思いますが、それなりのポジションはあると理解してよいのだとは思います。
ただ、それが何を意味するのかっていうのはよく判りませんが。
元々はハーバードの学生の間のネットワークとして始まった=そもそもはプレミアムな関係者のみの繋がりを作るサービスであったという氏素性
いきなり商業サービスとして始まったものではないというのが、たとえばアメリカにあったMySpaceなどとは全く違う立ち位置で、実際のところ最初のプレミアム感を損なうことなく徐々にユーザーの対象を広げていったという流れがあります。今の流れまでを最初から読んで拡大していったかというところは微妙ですが、そこに参加する事自体にプレミアム感を持たせつつ成長してきたと言うところは忘れるべきではないと思います。
で、たとえばコレはその筋では有名な話なんですが、2009年の夏にアメリカ海兵隊でSNSの利用禁止通達が出たことがありました。軍の組織自体はそれぞれが自律的に動くところがありますから、同じようなモノに対して陸軍や空軍、海軍などでそれぞれ対応が異なる事があります。まぁそれはともかく、このBusiness Weekの記事のU.S. Marine Corps Bans Social Networking Sitesにあるように、海兵隊としてはFacebook、MySpace、Twitterなどへのアクセスを禁止したという通達が出たりしています。
ココで重要なのがTwitterはともかくFacebookとMySpaceが併記されている事なのですが、同じようなSNSのサービスであるにも関わらず氏素性の違いからユーザー層が全く違うのが特徴で、これが顕著に出ていたのが米軍の中での状況。で、どう違うかと言うと基本的に大学卒以上の経歴を持つ士官クラスはFacebookが主流で、それに対して兵クラスはMy Spaceが主流という構成なんですね。ここらあたりの分析はSNS研究者のダナ・ボイド氏が自身のエッセイViewing American class divisions through Facebook and MySpace – June 24, 2007 で詳しく述べられているんですが(すいません。原文へのリンクですので英語です)、氏素性まで遡ってそれぞれを眺めるという立場で言えばこの構造は基本的に変わらないはずなんですね。
一応このあたりは基本として理解しておいたほうが良いかもしれない事のひとつ。
氏素性の違いが「いいね!」という評価の仕組みをキモチ良くもキモチ悪くも見せる・・・こともある
もちろん他のサービスでも似たような意思表示の仕組みはあります。いわゆるアンケート形式で良いから悪いまでを評価するようなモノを用意しているサービスもあれば、単純に良いということだけをポストしてもらうサービスもある。
で、たとえばFacebookだと、そこには基本的に「いいね!」ボタンしかないわけです。でも、たとえば訃報のような話、誰かが酷い目に遭った話や困った目にあった話などが流れてきたとき、その話題に共感するようなところがあったりしても、少なくとも私には「いいね!」ボタンは簡単には押せません。
また一方で、何かしら盛り上がった話題やイベント、あるいは個別のFacebook Pageに「いいね!」が押されまくっているような状況を見かけたとき、それはそれでその賞賛の嵐と見えるような状況がどうにも気持ち悪い。そんな変な事じゃないし、別にそれはそれで良いでしょとか言われても気持ち悪いんです。そのあたりが元々mixiを始めとしたサービスに距離を置いていた理由のひとつなんですが、なんだかとにかく気持ち悪いんです。
ここは個人的な受け取り方の問題だとは判ってるんですけどね。
大衆迎合みたいな話じゃないんですけど
因みにこのあたりの意味合いって、たとえば純然たるブログの世界やTumblrみたいなもっといい加減な世界だと違う形で受け取れるから不思議なんですよね。LinkedInなんか全然立ち位置がFacebookとは違いますから、お気楽とは言わないまでも違和感は全くないですね。ということで、自分的には個人間の相互コミュニケーションを基本とする場での「いいね!」が気持ち悪くて、それに対して単純に何かを見ての意思表示、あるいはもっとドライな場での「いいね!」とは別のモノのように見えているからなんだろうなという所での自己分析は出来ています。
このあたりの自分の感情は、たとえば市場で圧倒的な賞賛とシェアを持つ製品やサービスを利用することに対して私が持っている一種の嫌悪感に近いかもしれません。いや、時々そんな事を感じることがあるんです。みんなで熱狂!みたいなところに対する気持ち悪さ。だから何となく物事を斜め上から分析的に見てしまうという流れになったりするんだろうなという自己分析もあったりします。だめですね。斜に構えすぎです。
因みにそんな事言いながらも、結局毎日相変わらずTwitterのサービスがトラブルで止まったりしたら呼吸できなくなるかもと嘯いてみたり、諸々文句を言いながらもFacebookの画面を眺めていたり、Tumblrでは好き放題やってたり、何気にこっそりLinkedInでモゾモゾと何かしていたりと、インターネットワーキングの世界を色んな形で出たり入ったり。
モヤモヤしたものは何時まで経っても晴れないんですけど。