南極観測船 しらせ(2代目)が南極に向けてオーストラリアの寄港地を出港
宗谷、ふじ、しらせ(先代)、そして4代目のあたらしい「しらせ」が完成したのは今年の5月。今回の第51次南極観測隊を載せて晴海を出港したのは11月10日。その後オーストラリアに寄港し、そして29日の午前に出港。南極圏の入り口あたりは実は酷い暴風圏が待ちかまえているのですが、それを超えて12月中旬には”夏”迎えている南極の昭和基地に。
実は海上自衛隊の所属なんですよね。ふじ以降の南極観測船って。
日本の南極観測船、最初の宗谷(PLH-107)は海上保安庁でしたが、ふじ(5001)、しらせ(先代:5002)以降は海上自衛隊の所属です。ということで、艦首には5003という番号が付いています。それがどうのこうのという話ではなく、非常に厳しい環境の中での航海というか任務を要求される艦として、今回も無事に航海を終え、新しい任務に着く観測隊員を無事に送り届け、また南極での成果を無事に日本に持ち帰ってくることを願っています。
オゾンホールの話だって何だって、その場で調べないと判らないことを調べているわけで
こういった場所での継続的な観測の結果の分析が色んな研究のためのデータとして生きてくるわけです。南極でしか取れない情報は、やっぱり南極でしか取れない。そしてそのデータを観測し、記録し、分類し、分析し、そして何かに役立つ情報として生かされてゆくってのは技術が人類の歴史の中で貢献できる何かを生み出しているはずなのですが、そこに色んな技術が活用されるわけです。集められるデータも多様化しますし、分析の能力や活用の方向もどんどん多様化します。観測されるデータも増えるし、その分析のための変数も増えるし・・・
いや、だから日本も自前で処理能力を維持しようよ、それを処理できる機材を自分でキチンと作って行こうよ、って話もあったりはしますけどね(笑
ちなみに初代南極観測船の宗谷は実は現存数自体が少ない旧日本海軍籍を持っていた船で、しかも必要であれば現在も運用できる数少ない船だって知ってる人はどれくらいいるのかな?
この宗谷の歴史は調べるといくらでも出てくるのですが、簡単に言うと昭和11年にロシアからの発注で作られたのだけれど戦争の絡みで引き渡しされずに日本に残って商船として運用され、15年に能力を買われて海軍の輸送船となり、戦後に海上保安庁の船となって南極観測船になった船です。その後昭和53年に退役して現在はお台場の船の科学館のところに係留されています。
ちなみに海上保安庁の巡視船としては退役しているのですが、船籍、つまり船舶としての登録は持っている状態の船なので、必要であれば舫いを解いて出港することができます。かつて旧日本海軍に所属していた艦艇では現存する数少ないもののひとつなのですが、竣工は1936年ですからもう73年も前。維持するためにも大変な努力が必要な状況だそうです。
これは過去の歴史。そしていまを歴史に残すために南極に向かっている二代目のしらせ。なんだか、こういう経緯や継続性、それぞれの目の前の状況に対する貢献、そして結果的に歴史の中で果たしてきた、そして果たしてゆく位置付けって、なんか全部がかっこいいなと思ったりするんです。