【週末の戯言】 知ってることと知らないことの差を意識する、ということ
展示会の説明員をやっているといろんな方とお話することができるわけですが、そのなかでふと思ったことの一つ。ワタシ自身は肝に銘じていることの一つに「自分が知っていることと知らないことの差を常に意識しておくこと」。どんな関係があるのかって?
ワタシは確かに自分でいろいろと調べるのが好きな人ですが
とりあえず自分で見たことだけではなく、可能であればありとあらゆる文献やら何やらをあたって調べるわけです。たとえばWikipediaなり何なりってもの参考にはしますが、誰がどんな背景や状況でそれを書いているのか、それについて述べているのかの裏が取れないと単なる参考にしかしません。技術的な話にしても、何らかの時事問題にしても、歴史にしてもなんにしても、大体同じ姿勢をとろうとしています。
あ、これはワタシのやり方なんで、それ自体は別にどうでもよい話ですけど。
自分で裏をとろうにも、結局ある一面しか見えない事は理解している必要があるわけで
自分で分からない部分がある以上、当然のようにその事情に通じているいろんな人の話を直接聞く必要があると思っています。当事者であればなお良しです。このあたりは、たとえば記者の取材のプロセスと同じかもしれません。
そんな中でのワタシの考える根本的なモノが一つ。
「すべての、ある時点での状況には必ず理由がある」
ということですね。宗教心とかそういうのではなく、感覚的にそう信じてます。すべての事象は、それにつながる歴史的経緯を踏まえているし、いろんな当事者や利害関係者の間でのやりとりや流れがある事象や状況の結果が目の前に見えているだけなのだから・・・ということです。
なんだか哲学っぽくなりますが・・・
でも、いったい何があったのって?
いや、あのですね、実はですね・・・
国内においてある無線規格を使った通信手段を利用する特定の環境(すいません。ものすごく遠まわしな言い方ですが、何らかの通信事業者が提供するサービスではありません)の運用と利用実態という問題について、ある業界での状況を徹底的に調査したとおっしゃるお客様が、日本国内におけるすべての無線通信サービスまでをふくめて「全く根本姿勢がおかしい」と断罪され、かつ「いったん全部やめてしまわない限り良くなることはないので、これから必要な手段を取る積りだ」と力説される場に居合わせてしまったことにあります。
説明員として3日間立っていた中で、ある日の30分ほどこの方のお話を伺ったのですが・・・ ワタシ自身はこの主張に対して云々いう立場にはありませんし、それ自体が正しいとか、あるは何らかの手段をとって日本の中での方向を是正するといった主張に対してもコメントできる立場にもありません。もちろんその場ではいろんな事をお話し、たとえば通信事業者の説明員としての自分の立場からお話できることはきちんと話しました。残念ながら何らかの合意点を見つけることはできませんでしたが。
ただ、その場で思ったのは、ある大きな形の、非常に特殊な一部分を非常に精緻に調査し分析した結果をもって全体がどうだ(今回の場合には、すべての無線を使ったサービスは全く無法地帯であり全体を作り直すためにすべての無線のサービスを止めるしかない)という判断を、非常に強い正義感に基づいてなさっているなぁ、ということでした。
この方の調査と判断についてワタシが云々できる立場にはありません。でも、少なくとも無線を使ったサービスを提供する通信事業者でプロモーションなりマーケティングなりに携わっている自分が(いわゆる中の人だけしか知らない事情や情報も含めて)正しいとは思えない状況判断に基づいて結論をだされていると思えるのが残念だなとは思いました。
繰り返しますがワタシにその意見を否定も肯定もできませんが
その場において、自分の勤める企業におけるサービス内容について誤解されている部分についてのみ説明させていただきましたが、実はこれも聞き入れていただけないほど非常に強固な決意と意思をお持ちでした。(本当はこういう状況でそれをやってはいけないのですけどね)
いずれにせよ、常に自分が知っていることと知らないことの差を意識するということは止めちゃいけないなと思った次第です。
すいません・・・ ちょっと状況が分かりにくいですよね。