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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

守破離(しゅはり)

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おはようございます。

早朝からどんより曇り空。

===ほぼ毎朝エッセー===

その後も「こだわり」について、ある先輩からコメントいただきました。

こだわっている人って未熟者に見える?

「こだわる」けど「こだわりが変化する」を容認できる能力

以下引用==>
史郎君
 今日の朝メールを見ていて、日本には僕の好きな「いい言葉」があることを思い出しました。それは「守破離」です。「こだわる」ことは「あることに執着してかたくなに守る」ことで、言い換えれば、「グダグダいってないで先ずは何かに徹して、それを身につける」ことです。しかしそこで立ち止まったら終わりで、次の段階は、それを破り、今までのことを忘れて一旦離れる。白鵬の「型を持ち、型にこだわらない」に通ずるように思いました。まずは守り、次の段階はそれを破壊し、離れて新しい段階に入る。それが「進歩」?
<==以上引用終わり

守破離(しゅはり) ?知らない言葉です。

Wikipediaから引用してみましょう。
(ちなみに自分はWikipedia財団にかれこれ1年ほど毎月1000円募金させてもらっています。だから堂々と引用させてもらいますね!!)

以下Wikipediaより引用==>
守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
<==以上引用終わり

師弟関係、あるいは徒弟制度。

理屈からではなく型から入るあたりに、時間と今期を要するので近年は若い人たちから敬遠されると言われています。でも、一つの型をマスターして、そこから次へと進むのは理にかなっているかも知れません。

最近、天皇の料理番」という番組が録画されていて見た最初のくだりが、何をやっても3ヶ月くらいで飽きてしまう主人公の描写でした。当然のことながら、あちらこちらを食い散らかしていても何もうまく行かないのですが、料理に目覚めるあたりが第一回目でした。

何かを一つマスターするのには膨大な時間と労力を要するわけで、その一つがあるから次のことへと発展させても、コツのようなものが分かって上手く行くということがあると思います。

一方、そのマスターの過程を省略しようとする現代のノウハウ社会、マニュアル文化では、一定のことができても応用ができないような線の細い人たちが育ってしまうのかも知れません。いわゆる応用が効かないというのか、配慮ができないというのか。

型から入る、時間と労力のかかること、これは応用の自由度を上げるために有効なのだ、というところに効くのだとすれば、やはり理にかなったやり方なのかも知れません。

さて、自分の型って何だろう?

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