人はなぜ背伸びをするのか
おはようございます。
今朝も覚悟していたほどは冷え込みが少ないです。
===ほぼ毎朝エッセー===
社内中国語の先生Kさんの日報より引用しましょう:
以下引用==>
証明用の写真はよく本人と似てないとか思いませんか?私のパスポートの写真はひどかったです。台湾のビザを申請するために、昨日写真を撮りに行きました。今回はよく似てるなと思って、涙が出るほど感動しました。でもよく見たら、私はそこまで顔が太ってないはず...
<==以上引用終わり
確かに、免許証だったりパスポートだったり、証明書の写真って、自分もいつも写りが悪いと思います。でも何故、写りが悪いと思うのだろうか?きっと、鏡の前では瞬時に好きな角度や表情に補正することが習慣化していて、自分の思っている顔と実際の顔とはずれが生じているからなのでしょう。
このことからもわかるように、誰でも自分を現状よりよく見せたい、成長している自分を実感したい、かっこいい自分でありたいという、強い欲求を持っています。それを、英会話の先生Nさんの日報にあるように、「エゴ」と呼ぶのでしょうか?
以下引用==>
why are we so afraid of judgment?" this is related to the ego!!!
<==以上引用終わり
いや、ちょっと違うと思うのです。「エゴ」ということよりは、もう少し高みを目指しているのではないか。
昨日の「一人称」のエッセーでも書きましたが、人は「一人称」の枠から出られないことが一番の宿命のようです。これは動物も同じ。
犬や猫を見ていると分かりますが、やはり、個体の維持のためにはモノを食べなければいけないし、自分の欲求も満たす必要がある。ところが、それらを超えて、甘えたり他の個体のケアもします。
そう。「一人称」乗り越えて、他の個体とつながり、連帯感を意識できることに、実はとても大きな魅力を感じるようなのです。そしてこれは人間も同じ。
背伸びをしていない、例えば、あるがままに、不潔にしていたり、不格好でいても頓着しないような人とは、あまりお近づきになりたくないですよね。なんだか自分まで低い方に流れそうになる。そして落ちつかない。だから、誰でも少しでも自分を良く見せて、つまり背伸びをして、一人称を乗り越えるチャンスを求めるのではないでしょうか。
つまり、自分を良く見せることは、ほぼ本能的な欲求なのだと思うのです。そういう意味では「エゴ」という表現も当たっているかも知れませんが、一人称を乗り越えることへの欲求を示す一つの現象だと考えています。