無表情で不機嫌にいるのか、表情豊かに楽しそうにしているのか
おはようございます。
噂の真冬並みの寒さ... ほどではない朝でした。温度計を見ると10℃@5時。
===ほぼ毎朝エッセー===
□□一人称というものの存在を意識する
人は根本的に「一人称」から脱却できずに一生を過ごします。
「おれ」なり「あたし」が、物心ついた頃からずっと、心のなかでその人格を形成していて、その視点で周りを見ているのです。これが一人称。最近、実感として分かるのですね。年齢のせいでしょうか(笑)。
一人称が強ければ、人の気持ちがよく分からないでいます。わがままで自分勝手は、一人称が強いからの現象でしょう。一方、人の気持ちだけを気にしながら生きる人もいます。他人がどう思うか、そこに自分の基準を合わせたりします。これも同じ、一人称が強く意識されているから起きる現象です。
そして、人は絶えず揺らいでいるもの。一人称がわがままサイドに振れることもあれば、他人の目サイドに振れることもある。そうなのであれば、この一人称という現象を、もっと上手に利用してみると面白いと思うのですね。
無表情で不機嫌にいるのか、表情豊かに楽しそうにしているのか。
言葉が下手でいるのか、コミュニケーションを上手にとるのか。
不器用なのにプライドが高そうに振る舞うのか、スマートでありながら親しみやすいように振る舞うのか。
これって、全部、自分の選択肢だと思うのです。
ところが、一人称に支配されていると、その選択肢に気づかずにいてしまうこともあります。わが道を行くのか人の目を気にするのか、そのバランスを取るのか。その全体像が見えなくなってしまうから。
この一人称の存在が自分の挙動を見えなくしてしまっていて、大きな制限をかけているのだ。このことを意識さえすれば、自分の周りとの関わり方を、好きなように演出することができるのだと考えます。
そして、会社も同じです。自分たちの会社という「一人称」の存在を意識することで、新しい見え方や見せ方ができるようになるのでしょう。