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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

学研で『科学』を好んでいたか『学習』を好んでいたかで『理系』と『文系』に分かれてしまったと思いませんか?

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★その学研が『学習』と『科学』を休刊するというニュースが昨年末流れていて、一抹の悲しさを感じました。http://www.gakken.co.jp/news/hd/200912/20091203.html

当グループが発刊しております1946年(昭和21年)創刊の『学習』は“「できる」よろこびと深く学びとるチカラを”をコンセプトに、1957年(昭和32年)創刊の『科学』は“小さな発見・大きな感動・科学っておもしろい!”をコンセプトに、多くのお子様に長い間愛され親しまれてまいりました。

しかしながら、児童数の減少やニーズの多様化等の市場環境の変化による部数の減少のため、誠に勝手ながら『学習』は2009年度冬号(2010年1月1日発行)、『科学』は2009年度3月号(2010年3月1日発行)の発行をもちまして休刊させていただくことになりました。

【朝メール】20050128 20050131より__

===ほぼ毎朝エッセー===

□□殆どが空間

私は高校では落第生のような成績を取っていました。何せ勉強をする気が全くしないのです。それなのでクラブ活動に精を出し、ふらふらと色々な友達の場に顔を突っ込んでいました。そんな生活だったので、文法を中心とした英語はとても苦手、さらに記憶することが必要な社会系、古文・漢文などは壊滅的な成績でした。消去法で大学受験は理科系に行くことにしました。でも理科系の記憶教科である化学は嫌いなままです。必然的に現役受験では大学は全て不合格、ついでに予備校の入学試験にまで全部落ち、そのまま自宅浪人となったのです。

自宅浪人をすることになり、嫌いな化学についてはなんとか克服しようと、ワラにもすがるような思いで、代々木ゼミナールで評判のよかった『大西の化学』というのを単科受講をしました。これは試験なしでお金さえ払えば聴講できるものなのです。

大西先生の化学はすばらしく系統的でした。化学だというのに原子核や電子の軌道、いわゆる量子力学に近いところから始めて一歩一歩積み重ねで教えてくれるのです。それを有機化学にまで1年間で発展させます。記憶を強要するものではなく、系統立っていたので、頭にすらすらと理解がされます。そこで勉強して改めて知ったのが、自然界を構成する原子というものの不思議さでした。

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原子は原子核という陽子と中性子から成るものと、それをランダムな距離を置いて回っている電子というもので成立しているというのです。驚いたのは、その電子と原子核の実際の大きさを教わったときです。原子の大きさはだいたい10のマイナス10乗メートルといわれます。ところがそれは、原子核の周りをランダムに飛んでいる電子の軌道を含んだ大きさなのであり、実際の原子核はさらにマイナス5乗分小さい、10のマイナス15乗メートルくらいだそうです。

金属だと思っていて見ているものですら、実際にはまだらに存在する原子核がその周辺を飛んでいる電子の存在を含んだ状態で一定距離を保ちながら、まるで浮いているように存在しているのです。

だから硬い固体だと思っているものも、原子核の大きさになってみれば殆どが空間です。原子の存在が殆ど空間だというのは実感としてはカルチャーショックですよね。人だと思っているものも実際には殆どが空間であり、その密度が少し濃いだけで、その人が「存在している」と見えているだけなわけですから。

その『殆どが空間』が「美味しい」といって別な『殆どが空間』を食べたり、「美しい」といって別な『殆どが空間』を好きになったりしているわけです。そう思ってみると、我々が今真剣にやっているビジネスの創造というプロセスも、『殆どが空間』という存在の中に与えられた『体験ゲーム』です。それがこの奇跡的に構成された自然界の上で体験できているものなのであるから、「全力を尽くしてこの『体験ゲーム』を味わわおう」と、こんなことをよく考えてしまうのですね。

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原子核とその周りを回る電子の空間の直径の差が約10の5乗です。簡単に10の5乗とはいうけど、それはどれくらいなものなのか想像をしてみました。例えば手元に直径10cmのボールがあったとします。それを原子核とした場合、そのボールに影響される電子はどこら辺までうろうろしていることになるのでしょうか?

10cmの10の5乗倍は10000メートルになります。つまり10km。半径で言えば5kmです。これは皇居一周と同じですね。それを直線に伸ばした距離です。ノタノタ走ると30分近く時間がかかる距離です。そんな果てまで10cmのボールに影響されて電子は飛び回っているということです。電子の飛び回る範囲が原子の大きさとです。となりの原子の原子核、つまり隣にあるボールまでは、さらに30分ノタノタ走っていかなければたどり着きません。

そして驚くことにその間は空間で何も無いのです。だから原子は原子核の10の5乗倍の大きさというのはとんでもない意味を持っていたわけですね。我々の世界を構成する原子自体が「殆どが空間」ということですから。だからX線など波長の短い光や、素粒子と呼ばれる小さな粒子は体を難なく素通りしてしまうわけです。

空間を全部詰めれば小さじ一杯で富士山の重さに相当するとか。そして、その空間の詰まった密度がブラックホールと呼ばれるとても重いものの核と同じだということを、小学校の頃、学研の『科学』で読んで感心したことを覚えています。ところで、学研で『科学』を好んでいたか『学習』を好んでいたかで『理系』と『文系』に分かれてしまったと思いませんか??

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