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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

Wikipediaを商売人として考える

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モナーに関連する著作権の問題と、エイベックスがその著作権を侵害しているかどうかという問題については、あまり知識を持たない領域なので、そこに入り込むことは避けます。(どなたもつっこまないでね)

その上で、Rauru Blogdukeさんが非常に興味深いことを書いていたので、自分も少し考えたことを書きます。

私がWikipediaがすごいと感じたのは、実は「ギコ猫」の記述よりも、「モナー」の項に、①915日時点で、のまネコ問題に関する経緯が、“おそらくは”非常に正確に、すばやく投稿されていた、②同じく915日時点で、本問題のカギとなる著作権法の条文解釈が、“おそらくは”法曹関係者およびそれに準じる個人によって、やはり“おそらくは”非常に正確に投稿されていた、という2点です。

(なぜ、このことをはっきりと書かなかったかと言うと、のまネコの著作権がらみの問題そのものに入っていくことは上述の理由により避けたかったからです)

上記①については、dukeさんがおっしゃるように、当事者およびそれに近い方の投稿ではないかと思われるのですが、②については、第三者的な立場にある専門家が投稿したものと推察します。(この「専門家」を、「当事者」の範疇に含めるかどうかは、単純に語の定義の問題だという気もしますが、とりあえずここでは、「当事者とはやや異なる立場にある専門性の高い人たち」とさせてください。)

自分が特に着目したのは、このような専門性の高い第三者による、現在進行形の事象に関する解説が、非常にすばやく、しかも無償で、さらには匿名で、行われたという点です。

dukeさんが「Wikipedia の真の強みは、『当事者が記事を書いている』という点にこそある。」と指摘されているのは、非常に興味深いと思います。

ただ、私としてはもうすこし拡大して考えたいところです。すなわち、「誰にでも相当程度の専門領域はあるのであり、その領域についてはWikipediaに無償で書くことをむしろ喜んで行う。そうした執筆主体が集合することで、記述の正確さに関する切磋琢磨メカニズムが働き、そのメカニズムが半永久的に記述を練り上げていく」といったあたりでしょうか。

自分が当事者でない分野についても、“かなり詳しい”という人はいるはずで、そういう人が、“ある程度”正確な記述をすると、その“ある程度”が別な執筆主体によって改められ、“限りなく”正確な記述に近づいていく。そのような知識の集約メカニズムを持っているところがすごいなぁと思います。

「モナー」項の法曹関係者によると思われる解説は、その典型例と見ます。(ただ、こうした事柄も結局のところ、99年頃に「伽藍とバザール」で指摘された知見に含まれるのであって、そういう意味では新しくも何ともありません)

Geek系ネタに寄る傾向も、あくまでも時間の問題ではないかと思います。いま現在、Wikipediaで書いている人たちは、インターネットユーザーのなかでもいわゆるイノベーターに属する人たちではないかと思います。

全体の2.5%程度。母集団がインターネットユーザー全体だとは考えにくいので、やや粗雑ですが、「百科事典的なコンテンツに興味があり、しかも、百科事典的なコンテンツの制作に参加できる資質を持った人たち」ぐらいに母集団を絞ると、その母集団における2.5%程度の人たちが現在のWikipediaを書いているのではないかなぁ、というところです。

あと5年も経てば、レイトマジョリティぐらいにまで広がるのではないでしょうか。

Wikipediaの執筆主体候補としてジャーナリストを挙げられているのも、非常に興味深く感じました。これについて、非常に瑣末な点を補足します。

ジャーナリストの取材活動は経済的な担保がないと、継続できないという点です。ジャーナリストの取材行為は、取材にかけた時間(自分の時間給)ともろもろの経費を一種の投資と考えると、ROIが非常に読みづらい、という性格を持っています。

マスメディアに属する記者が方々を駆け回って取材ができるのは、雇用主が広告や購読料徴収などの事業モデルで安定的な収益を得て、それを月給といった形で記者に還元できるからです。編集デスクが許す限り、ひとつの取材テーマに対して、かなり時間をかけて突っ込んだ、そこそこの経費をかけた取材が可能です。典型として、NHKのプロジェクトXを想定してもらえればよいでしょう。

雇用主の事業モデルがあまり収益性のよくないものであると、取材効率が求められるようになり、簡単に言えば、インプットはそこそこで、アウトプットははしっかり、といった話になってきます。これは当該メディアの発行主体が営利企業である限り、避けられない問題です。

組織によって賃金が保障されないフリーランスおよびそれに準じるジャーナリストの場合、そして、その執筆活動で生計を立てている場合、ひとつのテーマを追っていく取材活動は一種のベンチャー事業であり、ROIがどうなるかわからないところで、アウトプットの質を高めるべく、インプットをなるべく多くということをやります。リターンが相当程度に低い時期が続くと、こうした取材活動が維持できなくなるという構造を持っています。

したがって、ジャーナリストがWikipediaに貢献できるとすれば、自分の生計手段の一環として行っている取材・執筆活動から副産物的に得られた知見に関して、コミュニティへの貢献心をもって書く、ということでしょうか。自分が専門領域としている分野に関して、無償かつ匿名で、かなりは正確に書くという、上述のモナーの法曹関係者の記述姿勢とほとんど変わらない形での貢献になると思います。

語の定義の問題に立ち戻ると、私が記している「専門家」、「専門領域」を持った人たちは、Wikipediaの当該項目を記述するポイントだけを見ると、「その項目に関して当事者意識を大いに発揮できる人」であるということは言えます。これすなわち、「当事者」ということで、dukeさんが書かれていた「Wikipedia の真の強みは、『当事者が記事を書いている』という点にこそある。」という真実は、なんら失われるものではありません。まぁ対象への角度の取り方が多少違うぐらいでしょうか(^^; ということで、見ているものは同じです。

自分としては、根が商売人であり、Wikipedia的なメカニズムに、何らかの経済的なインセンティブが組み込めないものかなぁと考えます。

この場合、「買い手は誰か?」ということが大問題となり、自分としては「それは企業だろう」というのが私の基本設定で、「では何を買ってくれるか?」ということを考えていくと、本ブログで書いている新規事業の話につながっていきます。

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