あなたの嗅覚は制御されている!?共有の空気の、自他境界が揺らぐ。 ~続・嗅覚センサーを見直そう (n)~
原因を放置しての応急処置、それでいいのか、それがいいのか。
衣類から出るイヤなニオイを防ぎたい。もしあなたが日用品メーカーの開発者なら、何を作るだろうか?
- 悪臭のモトを断つ製品
- 悪臭をほかの香りで覆い隠す製品
- 悪臭を人体が感知しないようにする製品
(1)は、悪臭の原因を探って潰すもの。最も望ましいことは言うまでもない。
(2)では、悪臭を放つ物質のいくらかは衣類に残る。蓄積臭のうえに香料ではミックス悪臭になりそうだ。
では(3)は、どうか。衣類ではなく、人体の方に作用する製品だ。
悪臭があったところで、感知しなければ、悪臭は存在しないことになるという、認識論のような発想の製品だ。
システムに置き換えて考えてみよう。
(1)バグを潰すのか、(2)バグは残したまま応急処置をするのか、(3)バックエンドでバグが生じていることにフロントエンドでは感付かれないデザインにするのか。
本ブログの読者なら(2)は避けるだろうし、(3)は斜め上すぎて「そんなこと考えたこともない」はずだ。
だが、システムと一般消費財は違うようだ。一部の消費者たちには、原因を解決するよりも、手っ取り速く「問題がないように見せたい」心理があるのではないか。それならそのニーズに応えようーーーと判断したのかどうかはわからないが、3社が、(2)や(3)の技術開発に意欲的だ。
そして、(2)の技術を使った製品は、すでに市場に投入されている。
(1)先回りした香料で、悪臭物質を寄せ付けない技術
鼻孔内にある嗅覚受容体が、吸い込んだ悪臭を放つ化学物質を受け取らなければ、そのニオイを感知することはない。
ほかの香る物質を先回りして届けておくことにより、受容体は悪臭物質が来ても「間に合ってますからお引き取りください」と受け取りを拒否する。この「特定の悪臭物質の受信を防ぐ」技術を使った日用品が販売されている。捉える悪臭の量が減ることで、悪臭をあまり感じないという結果になる。メーカーのウェブサイトの説明を見る限り、あくまで「特定の」悪臭物質に対して有効な技術であり、あらゆるニオイの感知を妨げる技術ではない。
この企業は、複数の香料を混ぜたときにニオイの感じ方が変化するしくみを利用して、悪臭を緩和しようという研究開発を進めているようだ。また、ネコの尿臭を感知する受容体を特定して、消臭する香料を発見したという。こちらは、「第37回 におい・かおり環境学会 (2024年8月)で発表され、消臭剤は特許出願済みとしているが、商品は未発売のようである。
(2)悪臭物質の鼻孔内への到達を阻止する技術
悪臭を放つ物質を鼻孔に届く前に捉えることができれば、それらのニオイを感知することはない。
悪臭の成分を糊の器に取り込んで逃さず、鼻孔への到達を阻止する試みがある。器となるのはナノサイズの高度分岐環状デキストリン。デキストリン自体は、トウモロコシ由来で、食品にも使われており、基本的に無害だ。
ただし、衣類から放たれるすべての悪臭を捕捉できるわけではない。効果があるのは体臭や汗臭などに限定される。前述の(1)よりも一歩手前で一部の悪臭物質を捉え、捕捉しきれない悪臭は香料でマスキングするという二段構えだ。
この技術は、一部の悪臭成分の鼻孔内への到達を防ぐものであって、嗅覚に直接働きかけるものではない。メーカーのウェブサイトには。食品や香水の香りの感じ方が影響を受けることはないと明記されている。この技術を使った製品は、全国で販売されている。
(3)人体のニオイを受信する機能を制御する技術
ニオイを受信する人体の側に働きかける技術が開発されている。この情報は、X上で流通していて知ることとなった。
中枢に伝達される活動電位の発生や、神経伝達物質の放出に関係する部位の活性化を妨げることにより、感覚を鈍らせるというものだ。鈍ったところへ、悪臭物質が到達しても、うまく感知できない。つまり、あまり臭わなくなる。
特許公報の「発明を実施するための形態」には、メーカーの取り扱い品目がほぼ網羅される形でリストアップされている。だが、その中のどの製品が実用化されているのかはわからない。
製法の特許に限らず、商標や意匠やビジネスモデル特許でもそうだが、後々の権利侵害に備えて、最大公約数を網羅しておくほうが安全である。出願時点で、列記した商品すべての実用化を目論んでいるとは限らないため、特許の内容から商品化の意図を読み取ることは難しい。
その技術を介護用品やスキンケア用品に使う予定だとするニュースリリースはある。ソースは日経新聞であって、これは確かだろう。権利維持のための手続(年金の支払い)がなされているので、その分野では実用化を目指しているのかもしれない。
しかしながら、それ以外の分野での商品化に関する情報はない。柔軟剤や洗剤に使われているという情報も、使う予定であるという情報も、ない。香害啓発者たちの中には情報を持っている人がいるかもしれないが、すくなくとも筆者は持ち合わせていない。
筆者の推測にすぎないが、柔軟剤や洗剤には使われていないのではないか。仮に、同じ成分が含まれていたとしても、嗅覚を制御する目的では使われていないのではないか。衣類に残留して四方八方に拡散する物質だけで、どのようなニオイも感知しないほど、嗅覚を鈍らせることは、きわめて難しいのではないかとおもうからだ。
たとえば、麻酔薬であるリドカイン入りのベンザやパブロンなどの鼻炎スプレーを想像してみてほしい。噴霧すると、鼻の奥が麻酔をかけたような状態になり、群発頭痛でさえ痛みは薄らぐ効果がある。だが、それでもカオリやニオイは問題なく感知できる。むしろ鼻炎スプレーの効果で、逆によく臭うようになる。
この企業は、特定のニオイ物質に応答する受容体の活性化を制御する技術も開発している。これにより、体臭などのニオイ成分を選択して消臭することが可能になるという。この技術は、昨年学会発表されているが、現時点で実用化にいたったという情報はない。
ニオイに気付かない現象を、嗅覚制御技術にもとめがちな理由
前述の3社の技術のうち、1社目はギリギリ非侵襲の技術、2社目は非侵襲の技術だ。悪臭物質を操作するものであって、嗅覚を麻痺させるものではない。、
3社目は非侵襲と侵襲の間のグレーゾーンに位置するものの、きわめて侵襲に近い位置にある技術であって、嗅覚を麻痺させるものといえなくはない。だが、柔軟剤や洗剤に使われているという確たる証拠はない。
ところが、この3社の技術は、嗅覚を制御する技術として、ひっくるめて扱われがちである。SNS上では、嗅覚を麻痺させる侵襲技術が3社の柔軟剤や洗剤に用いられていると、早合点されかねない表現の情報が流通している。
このような情報が流通するのには、理由がある。
それは、香害製品ユーザーの画一的なリアクションだ。
ユーザーに対して、カオリやニオイへの注意を促したとき、誰もが、自身の放つカオリやニオイを、極端に過小評価する。まるで嗅覚が全く機能していないかのような反応を返すのだ。
袖に鼻を近づけて嗅いで、「そんなに臭わないけど?」と不思議そうな顔をする。におうほうが神経質扱いになる。このリアクションが、あまりにも特徴的なものだから、SNSで共有され、「ユーザーあるある」事例となっている。もちろん筆者も遭遇したことがある。
とくに、パワーユーザー(地域内にひとりはいるであろう、柔軟剤スプレーなどの用法外使用もする、強烈なニオイを放つ人)では顕著である。
そうしたリアクションを目にするものだから、「香害の深刻さが伝わらないのは、嗅覚が機能しておらず、ニオイに気付かないからだ。製品に、なにか嗅覚を麻痺させるような物質が含まれているに違いない」と、訝しんでしまうのだ。
感度に関わる、先天的・後天的な嗅覚の問題と、ニオイへの馴れ
すくなくとも「ユーザーの嗅覚が曇っている」という現象自体は、否定できない。
では、その嗅覚の曇りが、嗅覚制御技術によるものでないとしたら、いったい何が原因なのか。
考えられるのは、次の3つだ
- 先天的な嗅覚障害。
- 鼻炎など耳鼻科の疾病。あるいはコロナなどの後遺症による嗅覚障害。
- よく嗅ぐニオイで生じる馴化。
Grokによれば、包括的な調査は行われていないものの、「日本人の嗅覚障害の割合は、先天性で0.01~0.05%、病気や怪我の後遺症で3~7%、高齢によるもので6~9%と推定され、全体では約10~15%が何らかの嗅覚障害を有する可能性があるとされている」という。
そして、「コロナ後遺症や高齢化の影響を考慮した大規模調査が必要とされる。」
分譲マンションの1棟の平均戸数は34.7戸、2022年の世帯平均人数は2.37人であるから、マンション1棟の平均居住者約82人のうち、8人は嗅覚にハンディキャップを抱えた人がいることになる。以前Copilotが調べた結果では、日本人の先天的嗅覚障碍者の割合は0.1%から0.5%程度であったので、もう少し多い可能性もある。
嗅覚に問題を抱えた人が、1割以上。
その人たちが香料入りの日用品を使うには、わずかに効く嗅覚で判断するか、もしくは、メーカーの仕様を見て視覚情報で判断するしかない。ところがその香りの強さの情報は、第三者機関ではなく、メーカー側が提供している。客観的とはいえないうえ、的確ともいえない。洗濯機の機種や洗濯方法、水質、洗濯ものの素材や量、洗濯する日の気象条件まで、メーカー側があらかじめ情報収集したうえで、個別に指南することなどできないのだから。
テキストと図を頼りに、微香の製品を選び、規定量を守って洗濯していても、繰り返し使えば、衣類には香料や成分臭や除去しきれていない汚れのニオイが蓄積していく。
その強さを、嗅覚で判断することができない。ましてや、メーカーが触れることのない洗剤の成分臭には気付くはずもない。
これに、馴化が絡む。嗅覚は順応しやすい器官である。
いつも吸っている空気、いつも使っている製品のニオイに馴れてしまい、それがデフォルトのニオイになってしまう。つまり、気にならなくなる。におわなくなるのだ。だから、袖を嗅いで「そんなに臭わないけど?」というリアクションになる。
馴化は嗅覚の精度には関係なく、誰にでも起こりうる。だからだろう、柔軟剤ユーザーは、自分の使う製品のニオイには気付きにくいが、異なる柔軟剤ユーザーの放つカオリは分かるという。
さらに、嗅覚の感度は、相対的だ。ニオイが充満した部屋で、同じニオイを嗅いでも、弱く感じるか、全く感じない。
カオリやニオイの充満した部屋では、衣類から放たれる同じカオリやニオイに気付きにくい。
嗅覚は誰のもの!?悪臭を嗅ぐ権利は侵害されているのか?
以上の点から、ユーザーがニオイの強さに気付かない最大の理由は、ユーザーの嗅覚の問題や馴化によるものではないかと考える。
ただし、前述の3社のうち、実用化している2社については、その技術が、ニオイの感じ方に何らかの影響を与えていることは否定できないだろう。
嗅覚が制御されているかもしれない。わたしたちは、気付かない。―――その可能性を、フレグランスフリーのノンユーザーたちは、危惧している。
それらの技術を使った製品のユーザーの傍にいる人は皆、悪臭を感じにくくなってしまうのではないか?と、知らないうちに感覚を制御される可能性を危ぶんでいるのだ。
なにしろ近年の柔軟剤や抗菌系合成洗剤の、香料のカオリや成分のニオイは、ユーザーの衣類の表面に留まらず、広く拡散する。10mはあたりまえ。100m先までにおう。筆者の経験では、200m先まで無人の道路に、数分前に通過したユーザーの置き土産が滞留していたことがあった。
そのうえ、n次移香していく性質がある。移香の都度、薄まっていくとはいえ、拡散する物質から、逃れることは容易ではない。
それらの化学物質には、(当たり前だが)ユーザーとノンユーザーを識別する機能は搭載されていない。
識別できないのだから、粒子が拡散するエリア内にいれば、ユーザーもろとも、ニオイの感じ方を制御されてしまうのではないか、と考えるのは、ごく自然なことだ。
悪臭を感じなければ万々歳、という単純な話ではない。ユーザーは自らの意思で使っているのだからいい。だが、ノンユーザーは、それでは困るのだ。同意なく嗅覚を制御されたい人間ばかりではないだろう。
たとえ悪臭であっても、臭うほうがいいか、それとも知らぬ間に制御されて臭わないほうがいいか、どの程度なら臭う方がいいのか、それを決めるのは「メーカーではなく、個々の消費者」だ。
悪臭は、かならずしも不必要なものではない。
たとえば介護分野では、排せつ臭の消臭目的で、介護臭の低減技術の研究開発が進んでいる。だが、筆者には、排せつ臭を感知しないようにするメリットがわからない。ニオイは非常に重要な手掛かりになるからだ。
かすかな便臭に気付くことで、排せつ前にトイレに移乗させる。ニオイの質から健康状態を把握して、献立を微調整したり、飲水をすすめたり、看護師や医師に相談する。
悪臭の感知を封じられたら、リハビリパンツもベッドも大惨事になるおそれがあり、脱水に気付くこともできなくなるではないか。
もし、同意なく、ノンユーザーの嗅覚までもが制御される「のであれば」、その技術適用の是非は問われても仕方あるまい。法に抵触しないからといって、規制は後追いなのだから、ゼロリスクだとは言い切れないだろう。
嗅覚制御技術への不安を払拭するのは、詳しくわかりやすい情報発信
メーカーの発信する情報は不足している。公式サイトの情報も、(Webプロデューサーの技術に対する解像度が低いのかもしれないが)、わかりやすいとはいえない。
たとえば、次のような疑問がわいてしまうのだ。
悪臭を防ぐために先回りするカオリの到達距離はどの程度か。隣り合う人や同室の人の嗅覚にも影響は及ぶのか。
悪臭を感知しにくい状態になるとすれば、どの程度の濃度の空間に、何分いれば、その状態になるのか。
ユーザーと同じ家に住むノンユ-ザーの家族は、部屋干しによる影響を受けるのか。また、室内に置いてある、たとえば皮を剥いたミカンに付着したり、コップに移したPOMジュースに混入する可能性はあるのか。
玄関の悪臭を抑制するために製品を使った場合、それとは知らずに訪問した客が、ドアを開けた時点で、客も悪臭を感知しにくくなるのか。(客が化学物質過敏症者や喘息患者である場合、危険性はないのか。)
影響を及ぼす可能性が高いのは、どのような化学物質か。製品の長期連用が、ユーザーの嗅覚に形態的変化をもたらす可能性はどの程度あるのか。皮膚や眼や臓器や脳への影響はないのか。
それらの物質が拡散することで、どのような大気汚染が生じるのか。農業や家庭菜園への影響はあるのか。
わからないことが多すぎる。かといって、疑問をもった一般消費者が、個別に、お客さま窓口に問い合わなければならないことだろうか。開発者ではないサポート担当者に、正確で詳しい答えを期待できるだろうか。
香害啓発者が、メーカーに対して正確な情報発信をもとめるなら、啓発者側も正確な情報を流通させたいものである。
それには、まず、メーカー側が、詳しい情報提供をする必要があるだろう。
あいまいな情報の流通を防ぎ、一般消費者の危惧を払しょくするためにも、「化学が専門外の一般消費者でも」容易に理解できる表現での発信を期待したい。
技術開発の是非ではなく、技術適用の是非を問え
SNSで、3社の技術を知った人たちは、その技術自体を恐れている。
「スーパーやドラッグストアに並ぶ商品に侵襲する技術が使われている」と早合点しているからかもしれないが、技術自体を無用の長物と考えている人は多そうだ。
しかし、自分にとって不要だからといって、社会に不要かといえば、そうとは限らない。
たとえば、特殊清掃。災害や事故の救助活動、産廃の処理などの現場ではどうか?
悪臭を感知しにくくすることで、作業への集中力が増すならば、怪我を防ぐ効果を見込めるかもしれない。また、悪臭が記憶に残らなければ、PTSDにもなりにくいのではないか。
メーカーが研究開発費を回収したいのであれば、誰もが使う一般消費財に応用するよりも、法人向けの用途に絞り込んで、社員からアイデアを募ったほうがよいのではないか。それでも収益を確保できる方法が見つからないのであれば、お蔵入りにするしかあるまい。いつかその技術が必要とされる時が来るまでは。
新しい技術は使いよう。ベネフィットがリスクをはるかに上回るなら実用化すればよいし、リスクが大きくベネフィットを上回るようなら、見送るしかない。
リスクが大きいにもかかわらず、商品化して全国販売するとしたら、それは勇み足である。
技術が絡む社会問題の多くは、技術そのものではなく、技術の誤った実用化によって起こるのだ。
本題に戻ろう。
バグの原因を放置したままの応急処置のような新技術を、経済発展の名のもと、企業の存続のために、われわれは受け入れなければならないのだろうか。
悪臭を除去すればよいだけではないか。洗濯物の汚れを、きちんと落とす洗濯をすればよいだけではないか。
はたしてそれはメーカーの仕事だろうか。一般消費者が自らの手で行う作業ではないだろうか。汚れを落とす製品、悪臭を生まない洗濯方法は、あるのだから。
※ 衣類のニオイを指摘された場合は、フレグランスフリーの製品を試してほしい。元ユーザーの経験者たちによれば、数カ月経てば、嗅覚がリセットされて、以前の服のニオイに気付くようになるという。それでも臭わないなら、耳鼻科を受診する必要がありそうだ。
※ 本稿は、誰でも容易にネットから得られる公開情報に基づいて書かれています。
※ 筆者は、化学や医療の専門家ではありません。化学物質や嗅覚制御技術についてのより詳しい情報が必要な場合は、専門家やAIに尋ねてください。
※ 本ブログは、以前から、メーカー名や商品名は出さずに書くというスタイルをとっています。そのため、文中でとりあげた3つの技術について、メーカーの説明ページへはリンクしていません。
上の絵は、Microsoft Copilot(Image Creator from Designer)で描いています。
Microsoft Copilot や Adobe Firefly も使って描いたイラストを公開しています!掲載済みのイラストは、目次から。