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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

コーリング・セル。消えない履歴が生み出す、母子の絆、郷里との絆。 ~Still in Solitude(n)~

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人のつながり方は多様だ。
SNSでは、アクションを起こせばさざ波が立ち、対岸の人たちが、手を振ってくれる。
しばらく見かけなければ、互いに心配もする。連絡する場合もあるだろう。

1995年から、ほぼ完全オンラインで仕事をしてきた。名前以外知らない人たちと協働してきた。

オンラインで可能な「つながり」を知っている。
だからこそ、オンラインでは不可能な「つながり」が、より鮮明になる。

ヒトの体は、外界と完全に遮断されているわけではない。

われわれの身体は、外に向かって開かれている。目も耳も鼻も口も皮膚も、外に向かって開かれている。
その場にある、空気、水、食。音、光。風、色彩。香り。
それらが、常に、流れ込む。逐次、処理しては、出す。
循環の中の、変換装置。
生まれてから、いや、生まれる前から、ヒトは、物質と、それに付随する情報を、交換し続けている。

さらに、母と子は、二者間で、それらを密に交換している。
その母も、その母の母も、そうしてきたのだ。

「物質や、物質を表す情報を、交換した」という、履歴。ヒトは、これを、クリアすることができない。

老いて見当識障害が始まる。今いる場所がわからなくなる。
人生から遠ざかる。結婚したことも、子を産んだことも、夢まぼろし。自身の名前さえ、薄らいでいく。
それでも、この履歴はクリアされない。
記憶を走査して抽出する処理機能が失われ、エピソードを取り出せなくなっても、消えることがない。

意識せずとも、細胞レベルで、郷里とヒトが呼び合う。
意識せずとも、細胞レベルで、母子が呼び合う。

呼び合う、細胞。シミュレートできない、非計算的な、物理活動。量子的な、何か。

履歴をトレースするときに生じる、じわりとした感触。
自分が何者かさえ見失うようになった人にも、履歴は、涙をにじませる。
そこに共にいるはずだった人から遠ざかる、その過程で生じる感情は、郷里を離れて懐かしむときの、それに近い。

コーリング・セル。
消えない絆は、ノスタルジアに似ている。

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