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ITエンジニアの、トランス・サイエンス ~嗅覚センサーを見直そう(24)最終回~

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人類の存続には、科学技術の革新が不可欠だ。
だが、拙速な実用化は、むしろ、存亡の機を招く。
急ぐべきか、立ち止まるべきか。
見極めて、進化の速度を制御するには、トランス・サイエンスの視座が必要だ。

早すぎた、新技術の一般消費材への適用

香害問題の背景に、ナノテク実用化のタイミング

新規性のある技術の拙速な実用化は、リスクを招きやすい。
香害」は、その一例だ。

香害の原因とされる製品には、香料等を包んだマイクロカプセルや、それに類する機能をもつ物質が含まれている(※1)。

マイクロカプセルのサイズは、おおよそ1μm~30μm(マイクロメートル、1mm=1000μm)。花粉のサイズが約10~30μmであることから、その小ささが分かろうというもの。
2.5µm以下の微小粒子状物質「PM2.5」になると、「肺の奥深くまで入りやすく、呼吸器系への影響に加え、循環器系への影響が心配」というほどの危険性がある。
受動喫煙が健康に悪影響を与えることは知られているが、たばこの煙もPM2.5だ。

その小さな物質が、洗濯した衣類から放たれる。中の香料等が弾けて香る。砕け散ればナノサイズ(nm。ナノメートル、1μm=1000nm)にもなる。拡散した物質は、呼吸によって人体に取り込まれる血液脳関門を突破する可能性もあり、人体や環境への悪影響は不可避である。

そうした現象が、研究機関で発生しているのなら問題は軽微だ。ところが、全国各地の、住宅で病院で学校で起きている。 なにしろ、子どものおつかいでも買える日用品に含まれているのだ。
その数、キャップ1杯に、億の単位。洗濯するたび、環境中に放出される。この国では、年間「京」の単位になる計算だ。

洗濯に端を発した微小な物質は、生活空間中に、舞い上がり、漂う。
その環境中にある生命、物品、すべてが、汚染に晒される。

使用者の衣類に残存する物質は、着用した人体や、居住空間を、一次汚染する。使用者の行く先々、公共機関・公共施設・医療機関・学校・店舗の中で、居合わせたひとの衣類や人体を、二次汚染する。二次汚染されたひとは、移動先の空間に、三次汚染を引き起こす。そこで触れたもの、商品・紙幣・書類・図書館の本・文化財などが四次汚染される。紙幣を受け取ったひとの手は、たちまち五次汚染だ。さらには......n次汚染は止まらない。

洗濯排水は下水に流れ込む。下水処理場で処理しきれない物質は海洋へと至る海産物が臭うという声は以前から聞かれた。今では、水道水が臭うという声まで聞かれるようになっている。そして雨は住宅街に降り注ぐ。
下水処理排水に含まれる医薬品のように、内分泌かく乱化学物質のリスクも懸念される(※2)。

警告されていた、ナノテク実用化のリスク

休職、離職、退学、転居、物損、人間関係の軋轢・破壊、そして化学物質過敏症をはじめとする健康被害。多大な問題を引き起こしている、香害。
それは、ナノテクノロジーの「想定外の用途への」適用の先に、待ち受けていた苦難ではなかったか。

わが国でナノテクが花開いたのは、2004年。
同年3月には、文部科学省ナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンターの主催で、「第2回ナノテクノロジー総合シンポジウム」が開催されている。厚生労働省では、医療技術推進研究事業がスタート。9月には「日経ナノテク・ビジネスフェア2004」が、日本経済新聞社の主催で開幕。
そして翌2005年からは、文部科学省主導で、ナノテクノロジーの社会受容促進についての調査研究が始動している。目的は、安全・安心な社会の実現のために、ナノテクを利用するというものであった。
専門家たちの予見するリスクを考慮しつつ、実用化を推進するという方向である。

当時、ナノテクの生体に関するリスクについては、内田義之氏らが提言していた。
内田氏は呼吸器内科学を専門とする医師で、ナノ構造制御技術を利用した吸入デバイスの開発に関わっていた人物である。独立行政法人「物質・材料研究機構生体材料研究センター、医療応用技術グループ」(略称:物材研)のディレクターでもあった。つまり、医療とナノテク、二つの専門に通じており、生体におよぼす影響を誰よりも熟知している。

その提言を、国立研究開発法人物質・材料研究機構「ナノテクノロジーの社会受容促進に関する調査研究」(NIMS-EMC 材料環境情報データ No.14)に見ることができる(※3)。

読者にはダウンロードしての一読をお勧めする。
複製・転載・引用には、文部科学省の承認手続きが必要となっているため、本稿では内容をかいつまんで紹介するにとどめておく。

この報告書では、4ページ目から早々と、ライフサイクル管理の問題が取り上げられている。ナノサイズの物質は、確認が難しく、制御も困難だ。その取り扱いに、高い倫理観と行動規範がもとめられることは言うまでもない。同報告書自体が、高い倫理観に貫かれている。

内田氏は、専門である医療分野のナノテクノロジーについて提言している。
ディーゼル粉塵を例にあげての、パーティクル(微粒子)が血中に入る問題。遺伝子、生殖器への影響の懸念(P.39末)、DNAへの影響の可能性(P.113~P.114)。

共同執筆者の方々も、警告の声を上げている。

創薬における、細胞間隙の通過、血液脳関門の通過といった組織浸透性に関する問題(P.45中)。開発早期での市民との対話によるコンセンサスが必要であり、商品化されてからでは遅い、としている(P.66末)。
一般消費財としては、誰でも考えるのが理美容品への適用だろう。これについては、承認付与や承認基準の見直しが必要だと提言している(P.49末)。

さらに踏み込んで、(ナノテクの応用範囲が広いため)範囲を絞って、明確に、医療分野・エネルギー分野・食糧などと規定する必要性、予防原則の適用に関する議論の必要性も訴えている(P.67上)。

諏訪東京理科大学教授 奈良松範氏によれば、農水省でナノテクノロジー・プロジェクトがスタートしたのは、2002年だ(P.127)。食と住の領域において、日用品は蚊帳の外のようである。なにか1つ2つ該当する商品がありそうなものだが、ナノテクの「ロードマップ」の中の応用領域(P.73)の表中にも、洗濯用品は含まれていない。一般家庭で毎日使用する洗濯用品に適用するなど、斜め上過ぎて、想像すらしなかったのかもしれない。

ナノパーティクル分散のリスクについては、P.115の2パラグラフ目を見てほしい。ウイルスより小さいものに対しては、生体の防御力が働かない可能性があるというのだ(P.114末)。
さらには、現在起こりつつある問題まで予見している。ナノパーティクルを分散させる技術が確立し、大気中に放出されたときのリスクである。P.115の、より小さいサイズのパーティクルが体内に入るくだりは、ぜひとも読んでほしい。
一読の時間を確保できない読者は、P.115~P.116の図だけでも、閲覧をお勧めする。

そして、最大の問題は、ナノ材料のトレーサビリティにある(P.128~P.129、諏訪東京理科大学教授 奈良松範氏による)。

肉眼で見て追跡することなどできない。一度環境中に放出されてしまうと、回収は絶望的だ。

ナノテクの実用化自体は誤りではない。そのベネフィットには計り知れないものがある。
しかしながら、技術を適用するのが日用品となると、ベネフィット以上にリスクも増す。膨大なナノパーティクルを環境中に放出する可能性がある。慎重を期すべきであったことは、言うまでもない。

ビジネスの道具と化す、先端科学技術

実用化のリスクを知りえた研究者たち

官民あげてのナノテク推進が始まった2004年よりも前、2000年代初頭には、すでにPM2.5やディーゼル・エギゾーストなどの研究が、さかんに行われていた。ナノパーティクルのリスクも語られ始めてていた。

つまり、香害の原因とされる製品が販売されるよりも前である。
メーカー勤務の研究者や開発者は、当然、リスクを知っていたはずだ。
また、前述の報告書は2006年3月版である。ネット上に公開されており、シンポジウムやセミナー等に参加していなくても、誰でも閲覧できる。研究者ではない、商品の企画や宣伝に関わる者にも、リスクを知る機会は提供されていた。

経済優先の社会の中で、専門家のリスクを叫ぶ声は、かき消されてしまいがちにはなるだろう。だが、たとえ経済界や業界団体がナノテクの実用化を推進したとしても、実用化の可否や方法は企業側が判断することだ。
衣類からの飛散量と飛散範囲を限定する技術、排出を抑制する技術、環境中に分散したナノパーティクルを回収する技術、それらすべてのメドが立つまで、踏みとどまることはできなかったのか。

ベネフィットに比してリスクが大きいならば、リスクの解決を優先すべきだったのではないか。
リスクが不透明なら、利用範囲(利用者、利用エリア、利用時間)を限定し、リスク発生時のバックアップ(設備や人員)を強化した後に、発売すべきだったろう。それなら、中断も対処もたやすい。被害は限定的だ。

あるいは、段階を追ってテストすべきではなかったか。まずは社員世帯、次に取引先の世帯、さらには地域住民へと拡大していくのだ。この手順を踏んでいたなら、香害の原因とされる製品は、お蔵入りしていただろう。メーカーの立地する自治体には、健康被害者が何人もいる。彼らは、自身に被害が及ぶ前にリスクを察知し、改良と発売延期を申し出たに違いない(※4)。

生体リスク、環境リスクのある技術ほど、慎重に扱わなければならない。
にもかかわらず、なぜ、メーカーは、産業用途にとどめることなく、一般消費財への適用に踏み切ったのか。
妊産婦、乳幼児、ペットまでも含む、不特定多数をターゲットにしたのか。

科学技術情報は共有されていたのか?

考えられる原因は、長期的リスクよりも、短期的な収益を優先した可能性だ。
経営指標と研究者の想定するリスクがかみ合わなければ、科学技術はビジネスの道具と化してしまうおそれがある。未来への保証ではなく、企業の原資になってしまうのだ。

ビジネス最優先の世界では、経営陣や販促・宣伝部隊が力を持つ。
これがITベンチャーであれば、商品開発はエンジニア主導になることも多い。ところが、大手日用品メーカーでは、それとは異なるようである。発売までの経緯についての記事などを読む限り、ブランディング主導型だ。マーケターが、企画から開発までをリードしている。

フットワークの軽さ、行動力が、もとめられる職種である。研究者以上にリスクを厳しく捉えているのでない限り、リスク対応は後回しになるだろう。

研究者のリスク評価は、マーケターに正しく伝わっていたのだろうか。部署間を超えて科学技術情報を共有するシステムはあったのか。途中で抑止力の働くシステムが、構築されていなかったようにおもわれてならない。

企業の短期的利益と人類の長期的利益が相反し、前者が優先されるとき、社会に利益をもたらすはずだった技術は、逆に、社会基盤・生活基盤を脅かすようになる(※5)。
哲学なき開発は問題を生じやすく、また、生じた問題を複雑にする。

消費者に委ねられた、技術のリスク評価

香害は、過去の公害と異なり、特定の流域や海域・地域ではなく、全国に拡大している。
新技術を一般消費財に適用し、不特定多数に拡販したことによって、制御できない状況に陥っている。
メーカーも株主も行政も、止める術を知らない(※)。
誰がブレーキを踏むというのか?

健康を損ねた者たちは、訴える先も、協力を仰ぐあてもなく、置き去りにされている。メーカーに改善を要請するも、スルーされている。
香害問題は、使用者と非使用者の、人対人の関係性の問題ではない。マナーの問題でもない。一般消費財が生み出してしまった、かつてない大気汚染の問題だ。このまま放置するなら、この国は、この地球は、壮大な環境問題の実験の場になってしまいかねない。

柔軟剤や付加価値付き合成洗剤は、生活に必須のものであるとは限らない。衣食住・基本医療・通信機器などとは違うのだ。ベネフィットとリスクを冷静に比較して、リスクが上回るなら、予防原則で、疑わしきは使わないという選択肢もある。低リスクの代替製品も数くある。消費者は、商品を選ぶことができる。

以前の空気を取り戻すには、消費者ひとりひとりが、宣伝を鵜呑みにせず、商品を適切に評価するしかないだろう。

とはいえ、一般消費者にとって、仕様調査は手間のかかりすぎる作業だ。
パッケージに印刷された仕様を読み、メーカーのウェブサイトでさらに詳しい仕様を確認する。各物質の安全性は、厚生労働省「職場のあんぜんサイト」で調べる。「リスク評価実施物質」の化学物質名をクリックして表示される、安全データシートで確認することになる。製法については、特許広報を検索する。ただし、公開までのタイムラグがある。また、防衛目的の申請もある。公開された技術が、必ずしも現行の製品に使われているとは限らない。

香害は、業界団体や企業が行うべき技術の高度なリスク評価を、一般消費者に丸投げしたために生じた問題であるともいえよう。
ビジネス最優先の商品開発が続く限り、同様のことは、今後も起こりうる。

制御機構としての、ITエンジニア

生存のための技術と、生存を脅かす技術は、表裏一体

任意の先端科学技術を実用化するか、踏みとどまるか。
その分岐点において、経済活動が優先された例は、いくつもある。ナノテクの日用品への利用だけではない。

たとえば、原子力発電も、そのひとつだ。

「ぼくが、原発に反対する理由(西岡孝彦著、徳間書店、1989年5月刊)」では、原発の設計技師を退職してライターに転身した西岡氏が、物理学者の武谷三男氏を取材している。

「第5章 原発と科学の不幸な関係(P.181~P.190)」を一読してほしい。同書を入手できない読者のために、一部を抜粋する。

「原子力の三原則が決まる前、つまり原子炉予算が突然に姿を現す前に、原子力の三原則の原型を論文にしたときの武谷は、じっくりと基礎研究を行ったうえで、その結果をすべて公表して議論を再びやろうと考えていたに違いない。ところが、政治家や財界人は武谷や、湯川(秀樹)、坂田(昌一)たち物理学者が思っていた以上に、原子力発電の開発を急いだのである。科学者が考えていた社会的責任と政・財界のそれには、大きな隔たりがあった。」

経済活動によるベネフィットと、専門家が提言するリスク。バランスのとり方は難しい。
科学技術と政治経済、双方の専門家が理解し合い、着地点を見出そうにも、そこには文理の壁、分野の壁がある。冒頭で紹介した、ナノテクの実用化リスクを提言した内田氏をはじめとする専門家たちも、武谷氏と同じ立場ではなかったか。

ナノテクや原子力に限らず、環境にやさしいイメージの自然エネルギーであっても、科学技術と経済活動に摩擦が生じ、それが住民の日常生活に影を落とす部分はある。
太陽光発電は、森林伐採、素材のリサイクル、天候不順による発電量の問題が顕わになりつつある。掘削を必要とするメタンハイドレートや地熱、風力についても、リスクの軽重や種類が異なりはするものの、負の側面はある。

より身近なものでいえば、多数のひとが四六時中使うデバイスでも同様だ。数十年前、筆者はELランプの用途開発プロジェクトに参加していたことがある。実用化が目的ではなく、用途を探るための研究開発だった。当時、どの企業の特許広報を見ても、容易に分解・廃棄・再利用できるとは考えられない化学物質が使われていた。そのようなELランプが、今では、デバイスのバックライトとして使われている。技術革新により、環境に配慮した素材に改良されてはいるだろう。だが、生産量は膨大だ。
LEDしかり。どのような技術でも、実用化すれば、決してゼロリスクで済むものではない。

そして近年、そのリスクは生じやすくなっているのではないか。
かつての重厚長大型産業が中心の社会では、組織はトップダウンのピラミッド型であり、ウォーターフォール型のスローなモノづくりが主流だった。それが、ソフトウェア産業の興隆とともに、組織はフラットになり、効率化が叫ばれ、企画・開発はアジャイルでサクサクと進むようになっている。

過渡期には、手法の取り違えが、しばしば起こる。
一歩ずつ進めなければならないものを、駆け足で作り、宣伝で売り捌く。
トライ&エラーで突っ走るべきところを、既存の手順を踏襲して、タイミングを逃す。
変えなければならないものを変えず、変えてはいけないものを変えてしまうことが、起こりうる。

しかしながら、生体リスクが確実視されるテーマに、トライ&エラーは危険だ。人生の時間への代償は大きすぎる。不特定多数が使う商品への新技術の適用は、タイミングを逃すよりも、はるかに問題であろう

知のフュージョンで、リスクを制御せよ

あたりまえのことだが、科学技術は、正しく活用してこそ、社会の利益になる。
拙速にならないように、逆に、遅延して頓挫しないように、制御する機構が必要だ。

いずれ、AIを使った、科学技術の進化をシミュレーションして制御するシステムが現れる。
だが、前回述べたように、AIは、終端あるヒト、その終端を科学技術で越えようと熱望するヒトの、情動に責任を持つことはできない。
最終的には、ヒトの倫理観頼みになる。

では、誰が、制御するのか?

いまや、あらゆる産業の基盤に、ITがある。
ITエンジニアなら、商品化よりも手前で制御できる。
最も早い段階で諫める方法。それは、ITエンジニアがリスクを察知して、関係各部署に注意喚起を促すことだ。

そのために必要なのが、「トランス・サイエンス(trans-science)」の視座である(※6)。
安全性、人体への影響、環境への影響、倫理の問題。
学ぶだけではない。創るだけではない。運用するだけでもない。どの程度までのリスクなら、社会的に許容されるのか。的確に予見して、提言しなければならない。

この視座を獲得するには、文理を融合し、分野を越境し、業種を縦断する知識と経験を獲得する必要がある。
IT、科学、芸術、生活、哲学。それらの境界をものともせず、自然科学と人文科学を往来しなければならない。

キャリアパスという言葉が登場して数十年。転職が忌避されない時代となった。
とりわけIT業界は、流動的だ。同業他社への転職など日常茶飯事。多様な経験を積み、知識とノウハウを蓄えていく。

スペシャリストのI型から、ポスト専門化時代へ突入して久しい。スペシャリストでゼネラリストのT型、スペシャリストを接続するH型、複数の専門を極めたπ型。
あらゆる専門職に通じるフルスタック・エンジニアも増えていく(※7)。

教育においても、知識の幅を拡げる動きが目立つ。
STEM教育(Science, Technology, Engineering and Mathematics)が進む。科学・技術・工学・数学、さらには、STEAM (Science, Technology, Engineering, Art and Mathematics)だ。

分野、業種、職種、専門を超える流れは加速する。専門一筋が礼賛された時代へ戻ることはないだろう。

科学技術は、人類の未来を照らすために

今このときも、多種多様な化学物質が生み出されている。制御する術もなく生産は続き、消費され、廃棄される。
地球はすでに飽和寸前だ。巨大な最終処分施設と化している。

水は、循環する食物連鎖に組み込まれ、生態系は破壊される。気流は、化学物質を運ぶ。森に、田畑に、降り注ぐ。
そのうえ地球の気象は、太陽活動の影響を受ける。
清冽な水、清浄な空気。数十年前まではあったはずのものが、消えてゆく。

この速すぎる環境の変化に、適応できない個体が増えている。彼らは、明日のあなたであり、あなたに近しいひとである。

第10回でも述べたように、この国は、「技術立国」ではなく「技術哲学立国」を目指すべきだ。(※8)。
作る前に、作られる製品の社会への波及効果や、後世に対する責任も考えるべきではないか。
われわれに必要なのは、「how fast, how many」ではなく、「how beautiful」だ。
科学技術の革新と、自然回帰・人間回帰。両者のバランスを維持することが、100年後の世界を創る。

実用化してはならない科学技術、実用化に制限を設けるべき科学技術を察知したら、調べよう、知らせよう。
ITエンジニアの、倫理観に、照らし合わせて。

嗅覚を取り戻そう。
リスクを察知するために。
生き延びるために、未来を照らすために。
猶予は、ない。今すぐに、だ。

嗅覚センサーを見直そう。

【完】

※1 香料マイクロカプセルは、壁材(カプセル)と芯物質から成る。早稲田大学 大河内博教授のツィートによれば、マイクロカプセルの主成分は、メラミンホルムアルデヒド、ポリウレタン、ポリウレアである。つまり樹脂製だ。そこで、「マイクロプラスチックを減らすために、私たちができること」は「マイクロカプセルを使用した柔軟剤を避ける」こととなる(「日経ヘルス 2022 春号」P.98~P.101「マイクロプラスチック、健康への影響は?」)。ところが、マイクロカプセルが、永遠に樹脂製であるとは限らない。故・津谷裕子博士(工学)のSNSの情報によれば、初期の製品では、イソシアネートが検出されたが、その後、カプセルとは異なる形状に変わり、物質もアクリルアミドに変わったとされていた。メーカー側が、環境負荷低減の観点から、あるいは、消費者からの糾弾を避けるために、壁材を樹脂以外の素材に変更する可能性は考えられる。ただし、製品の仕様が変わっても、すでに環境中に排出された物質は回収できておらず、パワーユーザーが大量のストックを使い続ける可能性もある。

※2 下水処理水に残存する物質のリスクについての研究は多い。
環境省Extend一般公開セミナー「水環境中の汚染医薬品による生態影響の理解にむけて」(2018年2月22日)
土木研究所講演会「下水処理水に残存する医薬品等のリスク評価及び除去技術」(2018年10月11日)
大阪市水道局医薬品類の水道水源での実態及び浄水処理性について
建設省都市局下水道部「平成11年度 水道における内分泌攪乱化学物質に関する調査 報告書

※3 デッドリンクになっている場合は、「nims.go.jp 平成17年度 ナノテクノロジーの社会受容促進に関する調査研究」をキーとして、pdfを検索してください。

※4 日用品のメーカーを、誘致して税制を優遇し、産官協同事業を実施している自治体でも、健康被害を訴える声はある。

※5 香料マイクロカプセルの研究もある、山室真澄博士の近刊「東大教授が世界に示した衝撃のエビデンス 魚はなぜ減った?見えない真犯人を追う」では、汽水において、ネオニコチノイドが深刻な水質汚染を引き起こしている事実が明らかにされている。
これも経済優先による環境破壊の一例といえるのではないか。

※6「トランス・サイエンス」とは、科学技術と社会との摩擦で起きる諸問題のうち、「科学に問いかけることはできても、科学によって解決できない」問題を指す。核物理学者アルヴィン・ワインバーグが提起した概念を表す言葉である。
深く知りたい方には、次の書籍(講演録)をおすすめする。
科学をめざす君たちへ:変革と越境のための新たな教養」国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター 編集、慶應義塾大学出版会( 2017年3月28日刊)
「100年後の後継世代まで確実に「生存の条件」を引き渡すべく、若い世代の新鮮な知性と感性が人類に大きな飛躍をもたらすことを期待して、本書をお届け致します。」野依 良治 (「はじめに」より抜粋)

冒頭に書いた、「第2回ナノテクノロジー総合シンポジウム」。その基調講演は、野依良治氏(当時・独立法人理化学研究所理事長)であった。良心ある研究者たちは誰も、後年、ナノテクが、不特定多数が購入する数百円の一般消費財に利用されるなどとは、想像していなかったにちがいない。

※7 「マルチ・ポテンシャライト」という言葉も、聞かれるようになった。Takeshi Kakeda氏による、マルチ・ポテンシャライトの解説(note)が、端的でわかりやすい。

※8 フリーブック「XML設計の心得」2009年刊、ユニット名義だが、筆者単独執筆。
「技術立国」から、「技術哲学立国」へ、シフトせよ。 (4)「社会への波及効果,後世に対する責任」(2011/4/11ブログ転載)

「嗅覚センサーを見直そう」全24回、長文のご購読、ありがとうございました。
香害の原因とされる製品は、含まれる物質を変え、新技術を取り入れながら、消費を拡大しています。生体リスク・環境リスクを注視しつつ、今後は、単発・短文の情報を掲載していきます。

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