「技術立国」から、「技術哲学立国」へ、シフトせよ。 (4)「社会への波及効果,後世に対する責任」
原発震災により、技術立国・日本の方向性が揺らぎ始めている。
我々は何を眼差すべきなのか?
3年前に執筆した、XML設計のあり方について述べたテクストからの抜粋を、4回にわたって掲載した。
「技術立国」から、「技術哲学立国」へ、シフトせよ。 (4)
「社会への波及効果,後世に対する責任」
≪昨日からの続き≫ 廃棄を重視しなければならない背景には,データの整合性という技術上の問題だけでなく,データ爆発の問題もある(一般的には「情報爆発」と言われるが,そのうち信号として扱われる情報についてのみ述べる)。
いまや,蓄積されるデータも流通するデータも,急激に増えている。ブロードバンドの普及や広帯域化,電子マネーの普及,ストレージや各種メディアや携帯端末の進化。企業や商店,官公庁では,電子メールから各種書類まで膨大なデータが作成されている。
ビジネスデータだけではない。P to P時代に突入し,テキストやビデオや楽曲などのコンテンツを誰でも発信できるようになった。情報の提供者と活用者の境界線が失われ,情報の活用者が情報の提供側にもなる(CGM)。存在を認めよと叫ぶパーソナリティ文化は,いかなる社会システムをもってしても制御できず,瞬く間にゼッタバイト級のデータがあふれることになる。
それらのデータの何割かは,既にXMLあるいはXMLによる言語で記述されているか,もしくは,今後記述されうる可能性がある。XMLは,メタデータをセットとするテキストデータであるだけに,データサイズが大きくなる。サイズダウンを可能にするポストXMLの仕様が策定され普及したとしても,設計者側がサイズダウンに期待して甘んじているだけでは,技術開発とデータ爆発は,薬剤と薬剤耐性の関係になる。
問題は,データの増加だけではない。データが増えるということは,蓄積するためのハコや通信網が必要になるということである。ハードウェアや周辺部品製造のための電力や輸送コストも必要になる。モノを作れば,環境基準を下回るにせよ廃棄物は出る。データの増加は,モノの増加を抜きにしては語れないのである。
我が国のXMLの父・村田真氏著の「XML入門」(1998年初版)によれば,『CALSと関連づけてSGMLやXMLを語る人は米国にはほとんどいない』とのことである。逆にいえば,このことこそ,わが国の技術者が重視すべきことである。
我々は,CALSの教訓をXML設計に生かし,データ・ライフサイクルの中の運用管理・廃棄を重視した設計を心がけることができる。
技術者は具現化したがり,科学者は実証したがる。
だが,作る前,実験する前に,作られたモノや実験結果の,社会への波及効果や,後世に対する責任も考えるべきである。
これからの社会でもとめられるのは,「how fast, how many」ではなく,「how beautiful」だ。
使わなくなったファイルや活用できないジャンク・データが全世界のサーバに点在する様子をありありとイメージし,それを「美しくない」と思う美意識があればこそ,美しい設計にするにはどうすればよいかと工夫を凝らすようになる。
「技術哲学立国」は,IT業界発展の一つの鍵ではないだろうか。
ここでいう美意識とは,我々の暮らすこの世界での美でしかないかもしれないが,それでもとりあえず,我々はこの世界に生きているのであるから,この世界の美の基準に倣うとしようではないか。
(2008年執筆、2009年10月10日発行、拙著オンラインブック「XML設計の心得」第4章より抜粋)
オンラインブック「XML設計の心得」ダウンロード・ページ
薬師寺聖(PROJECT KySS)著、238ページ、2009年発行、無料、ただしサポートなし。