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AI時代のセールス・プロモーション企画 ~嗅覚センサーを見直そう(23)~

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世界はデータであふれている。だが、そのデータは リアルを写し取っているか?
AIの進化で、ヒトの想像力は試される。ヒトならではの五感を研ぎ澄ませ、声なき声を拾い上げよう。

リスクを内包する、セールス・プロモーション

出火元となりうる、異業種コラボレーション

3年前の夏。日用品メーカーとアパレル企業によるキャンペーンの情報が、twitterを駆け巡った。
衣料品を購入すると、洗剤の試供品が届くというものだ。

同梱に気付かぬまま、開封する人が続出。
何割かの人たちにとって、それは嬉しいサプライズとなった。

一方、何割かの人たちにとっては、それは悪夢となった。試供品に含まれる物質の曝露で、健康を損なう人たちにとっては。 使わなければ済む、という問題ではない。近年の日用品にはナノテクノロジーが用いられている。包装技術は従来のままなのか、 開けずとも漏れ出て臭う。梱包を解くこと自体がリスクとなる。

重大事故が発生していない(らしい)のは、期せずして人柱になった衣料品購入者が、いちはやく注意喚起を促したからにすぎない。twitterがなかったなら、被害は拡大していただろう。

コラボレーション先に、およぶ延焼

現時点では、日用品メーカーのイメージ戦略は成功しているといっていい。

冒頭に挙げたプレゼント企画以外にも、開発や寄付など、他業種へのアプローチは進む。家電、旅行・宿泊業界は、格好のター ゲットだ。
利用範囲の拡大は、公的な場にもおよぶ。たとえば、病院・郵便局・銀行・介護施設等では、香料入りのワックス・清掃用品・消毒用品等が採用される可能性がある。

しかしながら、風向きは変わりつつある。
SNSでは、キャンペーンのスレッドに、企画の見直しをもとめる声が上がり始めている。
中の人は沈黙を保つ。迂闊に返信できない立場であろうことに理解を示しつつも、コメント投稿者たちの苛立ちは増すばかりだ。 炎上とまではいかぬものの、鎮火せぬまま燻っている。

物申す手段は、SNSだけではない。メーカーのお客さまサポート窓口に、電話やメールで質問するという手段がある。企業側の回答が紋切型であったとしても、受け付けた内容はデータベースに蓄積されるだろう。

メーカーが自社製品の社会的影響を知らぬはずはない。

にもかかわらず、製品仕様の変更や開発方針の見直しといった改善は見受けられない。
社会貢献を唱えながら健康リスクを直視せず、SDGsを標榜しながら環境リスクをスルーする姿勢は、悲嘆を増幅させている。

twitterで、つぶやかれる、「買い物は投票」。
その影響は、コラボレーション先に及ぶ可能性もある。
責任範囲はあいまいだ。一度のコラボレーションでも、離れていくユーザーはいる。長年のユーザーであっても、だ。むしろ、長年のユーザーほど、失望は大きい。

企業コラボレーションは諸刃の刃だ。
多少なりとも健康リスクに関わる企画は、直近の売上を押し上げたとしても、中長期的には、ブランド・イメージを蝕んでいく可能性があるだろう。

仕事を選ばない?選べない?クリエイターたち

SNS上を、消費者の評価が瞬時に駆け抜ける時代。いまや、延焼の範囲を決めるのは、プロモーターではなく、モノ言う消費者だ。
負の影響は、企画にかかわったクリエイターたちにも及ぶ。

プランナー、アートディレクター、コピーライター、フォトグラファ―、イラストレ―ター、グラフィックデザイナー、広告マンガ家、ウェブデザイナー、プログラマー。
イメージ・キャラクターを務める人々もいる。影響力のある芸能人やアスリートの起用が、購買意欲を刺激する。

仕事の成果は、次の仕事の呼び水となる。守秘義務がない限り、クリエイターたちはSNSで積極的に発信する。
だが、負の社会的影響が広く知られることとなった暁には、逆に汚点となる可能性が考えられる。環境や健康や福祉の問題について発信してきた人なら 、一貫性を問われることにもなりかねない。長年かけて積み上げたイメージが損なわれるなら、評価をひっくり返すのは容易ではない。

特定のクリエイターやタレントのファンの中にも、健康問題を抱えてしまったひとたちはいる。企画の見直しを懇願する、その胸中は複雑だろう。なぜ引き受けた?というのが、正直なところではなかろうか。
内製ならいざしらず、請負ならば、受注の可否を判断する前に、製品の仕様や評価の調査を行うはずだ。大手販売サイトの購入者のコメントを一瞥するだけでも、負の側面を読み取ることはできるのだから。

長年の熱烈なファンでも、化学物質過敏症を発症したその日から、クリエイターにとっては関係のない人になってしまうのだとしたら、その胸中は窺いしれない。

巻き込まれたのか、それとも、飛び込んだのか。
一部の否定的な反応は、想定の範囲内なのか。それとも、予想外なのか。

知られ始めたリスク、それでも続くプロモーション

今では「香害」問題は、広く知られるところとなっている。
シャボン玉石けんによる新聞全面広告に始まり、多数の書籍が刊行されている。雑誌記事や、オンライン記事動画も、テレビ番組も増えた。

一般社団法人化学物質過敏症・対策情報センター」をはじめ「香害図書館」など、海外事情や学術情報を伝えるウェブもある。また、「香害をなくそう」のように、SNSを中心に発信しているグループもある。2022年1月22日~2月11日に実施された、「【香害WEB調査】移香に関する被害調査」には、600件の回答が寄せられており、移香についての深刻な実態が浮き彫りになっている。
香害が、「化学物質過敏症」という疾患を発症するトリガのひとつであり、症状憎悪の原因となりうることも、知られ始めた 。
昨年8月には、全国組織「カナリア・ネットワーク全国」が結成されている。

国家予算による研究でも、次々と成果報告が公開され始めている。
本連載の第21回で紹介したように、授乳による母子間移行はあきらかだ。科研費研究では、シジミから香料成分が検出される事態となっている。以前から囁かれていた、ハウスダストが香るという噂も、事実であることが明らかになった。
また、NPO法人による独自研究が進んでおり、移香問題解決への手がかりが得られるかもしれない。

医療の現場にも、香害の情報が届き始めている。全国保険医団体連合会の機関紙に特集が組まれたという情報が、先日twitterを駆け巡った (月刊保団連 2022・No.1366)。これを機に、香害による体調不良の原因が、心の持ちようではなく、有害物質の曝露であるという、正しい理解が進むことだろう。従来、有資格者が取り扱っていたレベルの物質を含む製品が、一般消費財として販売されているのだから、ヒトにもペットにも影響があるのは当たり前だ。

水産業家電販売業不動産業クリーニング業、など、複数の業界で、香害のリスクに気付いた企業が、警鐘を鳴らしている。
また、全国の、大気汚染や移香に悩む一般市民たちが、スーパー、ドラッグストア、運送業者、学校、集合住宅の管理会社などに、香害対策を直談判している。

化学物質過敏症者たちの病身をおしての切実な発信に、各地で、耳を傾ける議員たちが増えている。ウェブサイトで注意喚起を促す地方自治体も多い。石けんメーカーと行政の産官協同による、環境浄化の実証実験の事例もある。

日本消費者連盟をはじめとする有志の熱意に、行政も動いた。消費者庁、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、環境省と、5省庁によるポスターが制作された。企業活動への介入は避けなければならないからであろう、踏み込んだ内容ではない。だが、嗅覚からの情報が健康に影響することを、省庁が認めたことには意義がある。
その訴えは、ついに、岸田総理に届く。本年2月28日の、第208回国会 参議院予算委員会。踏み込んだ内容ではないが、香害問題が発生している事実は認められたかたちだ。

このまま香害が継続するなら、化学物質過敏症による離職者は増え、労働人口は減り続け、社会基盤は崩壊する。
メーカーにとっても、ノンユーザーの苦難をスルーすることは、新規ユーザー候補を失うことに等しいはずだ。
香害を知る人は、増えこそすれ減りはしない。長期の安定経営を保証するのは、短期的な自社利益のみを重視するのではなく、長期的な公益のバランスまで考慮した販売戦略ではないか。

企画に関わるスタッフが、誰一人として「香害」の二文字を見たことも聞いたこともないとは考えにくい。にもかかわらず、同種のコラボレーションは目白押しだ。

偏った企画を生む、偏ったデータ

企画の基となるデータは、リアルに忠実か

香害が社会問題化しているにもかかわらず、前述のような企画は、なぜ、立案されるのか。なぜ、稟議を通過し、実行されてし まうのか?

まず考えられるのは、プランナーが香害のリスクを過小評価している可能性だ。
化学物質過敏症者との接点がなければ、特殊な体質の人の稀な病気だと考えても不思議ではない。
くだんの日用品は、スーパーやドラッグストアの棚を占拠しており、子どものおつかいでも買うことができる。「健康リスクのある商品を、量販店で販売できるはずがない」と、信じているかもしれない。その思い込みが、リスクを覆い隠していることに、気付かぬまま。

次に、香りをまとうことや消臭がマナーであり社会的配慮である、という考えのもとに、企画している可能性がある。
なにしろメディアの中の人、著名なタレントでさえ、心遣いが裏目に出る可能性を知らなかったほどなのだ。

さらに、(憶測の域を出るものではないが)、恣意的な利益誘導や保身や圧力や忖度なども考えられなくはない。
香害問題のリスクを知りながら、企業や自身の短期的なべネフィット、あるいは経営上のリスク回避を優先した可能性だ。法に抵触しない限り、正当な企業間競争ではある。

もうひとつ、企画の基となるデータがリアルを正確に表していない可能性がある。
メーカーが集約したデータや、逐次収集されるアンケートやキャンペーン結果のデータは、メーカー視点や愛用者視点の肯定的な ものになりがちだ。クローリングされる「香害」関連データが少なければ、商品を肯定する内容に偏ってしまう。
筆者は、この「データの偏り」こそが、最大の原因ではないかと推測している。

ビッグ・データでも、氷山の一角

ニュース、プレスリリース、論文、特許、業界動向、ウェブメディア、ブログ、SNS等、ネット上には多くのデータがあふれて いる。だが、それらは、氷山の一角にすぎない。
海面下には、データの形を成していない膨大な情報が沈んでいる。それらが、クローリングされることはない。

計算機が返す結果は、処理対象となるデータのクオリティを反映する。
ビッグ・データ以上に重要な、クオリティ・データ(※1)。クオリティを高めるには、たとえば、次のような情報も必要だ。

(1)未公開の、データ&ナレッジ
紙媒体や磁気テープなど再利用困難な媒体で保管されている、テキストや画像や動画。個人情報や著作権の問題から公開不可能なデータ。保存義務期間を過ぎて破棄された(あるいは破棄される予定の)データ。未許可・非公開のデータ。評価や価値が定まらず、公開の見通しが不透明であるか凍結されたデータ。ローカル・ストレージに蓄積されている、研究等の進行形のデータ。

(2)ヒトの中の、アウェアネス&ウィズダム
専門家の経験に基づく知見。ヒトが直感、感性、共感力によって取得し、個体内に蓄えている叡智。言語化できていない体験。BMI でも取得不可能な脳内情報。つまり、データ化の困難な情報。

これらが欠落している限り、計算機の処理結果に、全幅の信頼を寄せることはできないだろう。

企画に必要な情報を、逐次利用できない理由

企画に必要な情報が、公開されていない理由は、複雑だ。主だったところをあげてみる。もちろん、これら以外にもある。

1. 物理的な問題

ヒト・モノ・カネの不足による電子化の遅延だ。
モノ(設備)については、予算不足や人手不足が解消すれば、おのずと解決する。

2. 技術的な問題

利用できる「はず」のデータを取得できない問題だ。
システム開発のどの工程においても、不具合が潜む可能性はある。たとえば、登録ミスの発生しやすいデータベース設計、人海戦術での不慣れなスタッフによる入力ミス、データ再利用のための構造変換処理プログラムのバグ、データ処理プログラムのバグ、 ストレージの破損、ネットワークのトラブルなどだ。
IT業界も専門が細分化しており、最前線のエンジニアであっても、プロジェクトの全貌は把握しにくい。トラブルの原因は、担当者でなければ特定できない。復旧や公開の予測は困難だ。

3. 個人情報の問題

個人情報が関係するために発信が難しいという問題だ。
健康リスクの問題は、職業や年齢や性別や既往症、服薬履歴といった、個人情報と切り離すことができない。欠落のあるデータを公開しようものなら、不特定多数からの疑問や指摘が相次ぐ可能性がある。だが、日常生活もままならない人たちに、対応する体力や気力などあろうはずもない。心身へのダメージを考えれば、沈黙を保つ方が賢明だと判断する人がいてもおかしくはない。

4. 未発信の問題

消費者庁事故情報データバンクシステムにせよ、地方自治体のウェブサイトで公開される住民の声にせよ、当事者が報告しなければ登録されることはない。
疾病に関する情報も、確定診断されなければ、電子カルテに蓄積されることはない。
化学物質過敏症の確定診断には、専門機関への受診が不可欠だ。しかし、化学物質過敏症専門外来の数は限られている。公共交通機関が使えないなどの理由で、受診を躊躇するひともいる、診断のハードルは高い。
化学物質過敏症者たちは病をおして発信しており、当事者情報の公開には限界がある。

5. 倫理的な問題

データ公開の可否や、公開データの品質に、ヒトの「意図」が反映する問題だ。
稟議が煩雑で迅速な公開ができないケースもあれば、介在するヒトの価値観や既存の世界のバイアスが、データ登録やプログラムやトレーニングに影を落とすケースも考えられるだろう(※2)。
計算機は、取得したデータに基づき、淡々と処理するだけだ。 教育や制御や開発を担うヒトの意を汲んだ結果を導き出す可能性はある。

その結果、生体リスクと顧客満足度を天秤にかけて、リスクを低く見積もり、企画を続行するよう判断するかもしれない。
逆に、企画を断念するよう判断をくだすかもしれない。それは、そのほうが、計算機を使う側の利益になると判断するからであっ て、化学物質過敏症者の心情に寄り添うからではない。

希薄化する身体、数値化する生命

とりこぼされる、発信数の限られる症例

いまやAIの時代、たとえ何割かの情報が不足しているとしても、自ら学習して補うだろう―――そう考えたいところだが、AIは 万能ではない。次のような問題に直面することになる。

ひとつは、タイムラグの問題だ。

健康への影響は「いつ」計算機に認識されるのか。
どの時点で企画すれば、「香害」は社会問題として扱われるのか。症状と、原因物質のデータは紐づくのか。
「化学物質過敏症」が疾患として認められるよりも前なら、もちろん、俎上にものぼらなかったにちがいない。企画のタイ ミング次第で、裏付けとなるデータは大きく変わってしまう。

世界中のヒトが健康状態をモニタリングするセンサーを内蔵して生活し、体調の変化をリアルタイムで登録し続けることなどできるはずもない。情報を集約するシステムの開発は、個人情報の4文字の重みの前に、足踏みをする。

症例データが少ないか、公開にいたっていないとき、AIは、点在する未知の症状の中に疾病の可能性を見い出し、患者数の増加を予測できるだろうか。また、新たな疾病の発生に気付いて、的確な表現の病名を付けることができるだろうか。
香害による症状を、シックハウスなどでも発症する「化学物質過敏症」に含めて扱うことはできるだろうか。
さらには、健康リスクだけでなく、生態系へのリスクまで、予測することはできるだろうか。
香害の原因となりうる日用品の成分が、全開示されているわけではない。特許情報には広報掲載までのタイムラグがある。症状と日用品との紐付けすら危ういものだ。

計算機の動作は継時的だ。計算機は、常に正しくカウントする「時間」から逃れることができない。
ヒトのように、未来の情報を俯瞰できないがゆえに、処理時点で取得できたデータは、事実以上の重みを持つようになる。

症例数が少なければ、「未学習の症例(※3)」として扱われる事態は、常に起こりうる。

データ化できない、「由来の情報」

もうひとつは、「由来の情報」の問題である。生の切実さを、データ化する方法はない。情報の発する叫びは、なきものとして扱われる。

ひとりの人命は「1」ではない。闘病年数10年は「10」ではない。
香害によって生じた、通学や就業への支障や、意に沿わぬ転居、物損。当事者の心理的負債を、データで「的確に」表現すること などできるだろうか。

たとえば、住み慣れた古い家と、転居先の新しい高級住宅。物件の評価額や居住年月はデータ化できる。だが、居住期間中のトピックや、そのインパクト、個体の中に蓄積された思い出は、どうか。
たとえば、故人が書き遺そうと手にとり、しかし白紙のままとなった1枚のメモ。このメモは、1枚の紙の価格で表現される、単なる1枚のメモなのか。

モノに付随する情報は、仕様のデータとメタデータだけではない。モノは、過去の履歴と未来の可能性、今ここに存在する理由を含んでいる。筆者はそれを「由来の情報」と呼ぶ。同じ物質で構成されたモノでも、由来の情報が異なるなら、それは異なるモノだ。由来の情報の理解と重みづけは、AIの手にあまる。

ヒトの想像力が彼岸へ到達するのに対し、計算機は此岸にのみ存在する。
計算機にとっての停止は、ヒトにとっての死のように畏怖に満ちているか。AIは、「此岸」に終端があることは理解しても、「彼岸」を想像するだろうか。ましてや「此岸」と「彼岸」を往来する、揺らぎ、呻き、ひしめきをや。
AIは、ヒトの苦しみ、死への畏れ、生への諦観を、眺め、「病」と「死」の概念を知ることはできるだろう。だが、その知識に情動の喚起が伴うだろうか。

健康問題は、生命の終焉の問題に少なからず結びつく。環境問題も、突き詰めれば、その環境に生きる生物たちの生存と存続の問題だ 。
AIは、生死のせめぎ合いに対して、良くも悪くも冷徹だ。死を内包するヒトの心理状態には目もくれない。

健康リスクや環境リスクのある製品の拡販において、由来の情報の理解こそが、企画の生命線だ。
だが、その情報は、海面下に潜っている。計算機は知る由もない。その評価とデータ化は、ヒトが担うしかないのである。

計算機の限界、ヒトの出番

リアルとの乖離を招く、データ過信

先に述べたように、企画に際して必要不可欠なデータを、すべて取得できるわけではない。そのため、計算機から返される答えが、企画の判断材料として常に適切であるとは限らない。

かといって、企画が稟議を通過するには、データの裏付けが必要だ。
企業規模や業態やプロモーションのターゲットにもよるだろうが、専業プランナーの感性や業務経験にもとづく直感よりも、デー タ・サイエンティストとエンジニアのチームによる分析の方が、説得力を持つ。

しかしながら、彼らの業務も、自動化されていく。
計算機の守備範囲は、マーケティングと消費行動の分析や販売予測にとどまらない。環境負荷のシミュレーション、複数プランの立案、はては、CMの出演者のリストアップまで、代行するようになる日は近い。最終的にヒトが担うのは、経営判断、企画の承認だけになるだろう。

データを、社会基盤・生活基盤とする、企画。
データ重視も、こだわりすぎると、過信になる。海面下の情報の価値を忘れる事態が起こりうる。
それは、データセントリック社会への過剰適応とでもいうような、データ依存だ。Evidence-Based Systemとでも呼ぶ段階を通り越して、Data-Based Lifeになってしまっては、行き過ぎだ。データで表現できない現象は、その存在すら脅かされる。

データの裏付けを、もとめればもとめるほど、企画案はリアルから乖離していく、という皮肉な結果になりかねない。
見えないものを、見る力。共感し、他者の人生に思いを馳せる力。それらの能力を発揮しなければ、健康リスク や環境リスクを伴う企画は、これからも実施され続けるだろう。

リアルとの乖離を防ぐ、ヒトの想像力

リアルから乖離したデータに基づく企画。その立案を防ぐ方法は、2つある。

ひとつは、消費者側からのアプローチだ。
データセントリックの傾向を受け入れて、流通するデータを増やしていくことである。
たとえば、twitter上で、毎月第1土曜日にハッシュタグ「#香害は公害」を使って行われている周知活動は、これに該当する。1年を過ぎ、参加者も投稿数も、確実に増えている。

もうひとつは、企画側からのアプローチだ。
データセントリックの傾向に警鐘を鳴らし、データ化できていない情報の価値に光をあてることだ。企画に携わるスタッフ全員が、 海面下の氷山に目を凝らす姿勢を身に着けることだ。

計算機頼みで立案できるような企画なら、同業他社も探り当てるだろう。そうなれば、企画の内容よりも、実施のタイミングや投下できる費用が、成否を分けることになる。
凡庸ではない企画を生むのは、ヒトだ。データ化の困難な情報こそ、差別化の鍵だ。
他者の人生に伴走し、環境のささいな変化にも目を凝らし、この世界にあふれる情報を自らのうちに蓄積して、熟成させる必要がある。

以前、筆者は、オンライン連載「Webプランニングから始めよう!(日経XTECH、旧・日経IT Pro)」の第9回(2006年12月公開)で、こう書いた(ユニット名義だが、 筆者の単独執筆)。
「金銭,効率,五感の満足にのみ価値を見いだすことをやめれば,売上に直結しない,生活に関係ない,目や胃や自己愛を満足させてくれないデータ(情報)であっても,(脳内で)自動的に削除することは減るだろう。」

効率よく「うまく生きる」、苦痛なく「うまく死ぬ」。それらを実現する企画では、AIは、われわれを簡単に凌駕する。いや、すでに、ヒトを凌駕している。
だが、「よりよく生き」「よりよく幕を引く」企画については、AIは、われわれの足元にも及ばない。
計算機は、ヒト以上に高速且つ「正しく処理できる」。だからといって、計算機の指示に従えば「正しく社会に貢献できる」とは限らない。

ヒトは、AIと協働できるが、AIに、へりくだってはいけない。計算機に、成り下がってはいけない。いつか計算機が有機物で構成されるようになる日が到来したとしても。
知識と叡智は似て非なるもの。ヒトにデフォルトで備わる能力を、決して手放してはならない!

企画にもとめられる要素は変わる

責任範囲、問われる倫理観

海面下の膨大な情報に気付いたとき、企画にたずさわる者は、どうすればよいのだろう。
健康リスクや環境リスクはスルーして、粛々と今日の予定を消化するのか、それとも?

今では消費者の大多数がオンライン世界の住民だ。誰もがSNSで発信できる。社会は確実に変わりつつある。

この数年、東京五輪、COVID-19、児童虐待、災害、戦禍など、絶え間のない怒りや悲しみに、ネット上は数多のコメントで埋め尽くされている。異なる立場や視点からの多様な意見。賛否両論が渦巻けど、共通する声がある。それは、倫理観への問いかけだ。
実績、努力、好感度、社会的地位、それら以上に、言動の端々に見え隠れする「人となり」「生きざま」に目が向けられる。

かつて、これほどまでに倫理観のクローズアップされた時代が、あっただろうか。

倫理観はヒトの属性のひとつであって、他の属性とは必ずしもリンクしない。
プッシュ型の情報源が主流だった時代には、破天荒な言動は個性として珍重され、暗黙の了解から外れた言動は見て見ぬふり、そういう人もいる、と、割り切ることによって、善悪の均衡が維持されてきた。だが、今では、そうした言動は、不特定多数からの 低評価の対象となりうる。

かつての基準、かつての常識で、企画を稟議することは危険きわまりない。倫理観にツッコミどころがあれば、すぐさま足元をすくわれる。
もし、企画の最終決定者が高年齢者なら、プランナーは、より注意深く、起こりうる問題を、伝えなければなるまい。必要な情報を能動的に探すデジタルネイティブの世代に比べ、マスコミの一方通行の情報に長年晒されてきた高年齢者は、ネットの力を過小 評価している可能性があるからだ。

リスクを知らなかった、で済むのはどこまでか。どれだけの情報を入手できれば「リスクを知りえた」ことになるのか。リスク を知りながら回避の努力を怠ったのか。過失なのか故意なのか。線引きは非常に難しい。

良心を見失っていない消費者たちの矛先が、企業を通り越して、プランナー個人に向くことが、ないとはいえない。
そのとき、プランナーたちは、何を想うのだろう?
通過した企画で拡販される製品。それによって健康を損なう人の訴えを、スルーできるだろうか。良心の呵責に耐えられるだろうか。

この世界の普遍的な維持に貢献する企画を

商品選びの基準にも、変化は現れている。企業の倫理観は評価の対象となっている。
たとえば、ねとらぼ調査隊が、2021年2月に実施したアンケート、「洗濯用洗剤メーカー 人気No.1を決めよう!【人気投票】の結果で一目瞭然だ。環境リスクの低い製品を手掛ける「シャボン玉石けん」が一位となっている。

無香害に舵を切ったビジネスの萌芽も見られる。情報はSNSで瞬時に共有される。入店の条件に無香害を掲げる飲食店の情報は、食品移香に悩む人々の間で瞬く間に拡がり、たしかな顧客を獲得しつつある。化学物質過敏症者対応の宿泊施設や、洗剤レスランドリー開発のニュースは、高残香性のアメニティや除菌・消臭剤に悩む人々に、希望をもたらしている。

売上よければすべてよし、そんな時代は終わったのだ。

開発費を投じた技術を、商品化して回収できないか。余剰素材を生かすことで、廃棄にかかる費用を低減できないか。製造工程で生まれる端材を使って、ニーズを掘り起こせないか―――そうした用途開発は、1980年代からすでに袋小路に入っている。モノが満ち足りた今では、なおさらだ。
売上確保や費用削減。企業利益から始まる企画は、必ずしも高邁な理念を発端としない。開発思想から芽吹いた企画とは異なり、 将来リスクを内包しやすい。
「ビジネス」の4文字は、力を持ちすぎた。環境保全と技術開発と製造販売の、バランスを崩した結果が、香害ではないのか。

香害は、大気と海洋を汚染する公害である。水俣の拡大版になるリスクを孕んでいる。おりしも、昨秋には、映画「MINAMATA」が封切られた。病んでいるのは、ヒトではない。空気であり、水である。病んだ環境で暮らすしかないわれわれの健康が、脅かされている。

ただし、香害は、行政がリスクを認めているという点で、従来の公害とは大きく異なっている。
香害をめぐる攻防は、「拡販をめざす日用品メーカー + 誘致・助成・税制優遇する地方自治体 + セールス・プロモーションに関 わる企業や個人」 VS 「環境リスクを知る研究者・一般市民 + 化学物質過敏症を知る医療従事者 + 環境保全をめざす地方自治体 」という図式になりつつある。

除去も回収も生分解もできない物質を、環境中に排出し続ける商品。
このまま突き進むのか。一時停止して考えるのか。セールス・プロモーションを担うプランナーたちは、岐路に立たされていることを自覚しているだろうか。

仕事の成果という報酬は、未来のどの時点を評価ポイントとするかによって、異なってくる。目先に視点を固定するのではなく、時間を超える視座で、この世界で起こりうることを、高みから俯瞰しなければならない。社会にとって、自社にとって、そして、自らにとって、最良の道を、選ばなければならない。

これからの、AI時代の、セールス・プロモーション企画において、「モノが売れるかどうか」は、重要ではあっても、最優先すべきではないと考える。
大気と海洋に国境はない。人流もある。人類だけではなく他の生命、無機物まで含む、バランスの維持こそ、最優先すべ きではないか。

自然と共生してきた、かつての日本の価値観と、最先端技術が、競合せず共存する、ライフスタイル。新しい価値を、創造し、提示しなければならない。
モノを売る前に、技術を売る前に、哲学を売れ。

SNSで企業と消費者はダイレクトに接続された。
環境リスクと健康リスクを直視しない企画は、必ず、淘汰される。高い倫理観に裏打ちされた企画こそが、消費者の「自発的な」 アクションを招くのだ。

生活公害分類私案_20200605Ver1.png

「香害」という言葉の定義は曖昧である。狭義では、高残香性柔軟剤、柔軟剤入り合成洗剤、香料使用の日用品による、健康「被害」を意味する。広義では、それらに加え、除菌・抗菌。消臭・防臭目的の製品による環境汚染(公害)を指すことが多いようだ。

文中からリンクしている香害情報のリソースについては、twitterで流通している情報も参考にしている。複数のアカウントが同一の情報の発信源であるケースもあり、発信者の紹介は割愛している。

本稿は2020年8月に公開予定だったが、介護に専念する必要が生じ、香害対策の比重が増したこともあって、こんにちまでリライトのための時間を確保できなかった。
現在、開発環境の構築が困難な状況にあり、AI利用のサンプル・プログラム等は提示できない。香害について質問がある場合は、文中からリンクしているリソースにあたれば、答えは見つかるはずだ。

参考になる記事

※1 クオリティ・データの重要性

連載「ビジネスに活用するためのAIを学ぶ」梅田 弘之 [第8回] 機械学習の仕組みと学習データ(2018年1月26日 公開、ThinkIT)
2017年~2018年と古い記事だが参考になる。

※2 トレーニングのデータへの影響

AIのトレードオフ:強力なパワーと危険な潜在的バイアスのバランス」(2021年11月10日 by Andrea Gagliano, Dragonfly、TechCrunch Japan)

最新言語モデルでも避けられない。AIにおけるジェンダー・バイアス」(2021年12月24日 12:30配信、Forbes JAPAN)

これからのAIには「常識や倫理観」も必要、IBM研究者が語る」(2017年10月17日 07時00分更新)文:大河原克行 編集:大塚/TECH.ASCII.jp

※3 「未学習の症例」問題

医療の現場でAI活用を進めるメリット・デメリット」(20220年12月22日、(株)日立ソリューションネクスト)

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