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ひとのステートメントを笑うな。あるいはゴールの文脈依存性について

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前回の続き。

人のセックスを笑うな」という小説があって、未読だけどうまいタイトルだなぁ、と感心していた。
同じように「ひとの会社のビジョンを笑うな」なのかもしれない。
「ひとのプロジェクトゴールを笑うな」とか。

前回のブログに「ビジョンやプロジェクトゴールなど、ステートメントのダメな例」を書いた。他にも社内トレーニングでも、様々なステートメントに対して「これはこの辺がダメ」などと批評することが多い。

コンサルティングワークの成果物は、プログラムなどと違ってフワフワしたものなので、油断すると前回のブログに書いたような「なんとなくそれっぽいパワーポイント」を書いてドヤ顔でお客さんに納品したりしてまう。
そういう事態を戒めるために、「だめな例」を共有し、どうしたらこれを避けられるか?を議論することは、サービス品質維持のために絶対に必要だ。

だが、それでも、「ひとのステートメントを笑うな。」と思うようになったので、今回はそれについて書いてみたい。(もともとこちらを書きたかったのだが、その前フリとして前回のブログを書いた)


なぜ人さまが書いたステートメントを、パワーポイントで見ただけで、ダメだと決めつけるべきではないのか。

それは、これらのステートメントは極めて文脈依存的なものだからだ。
ビジョンや、プロジェクトゴールについては、「文脈を無視した絶対的な良さ」はほとんど存在しないと言って良い。


★ビジョンやプロジェクトゴールの文脈依存性
文脈依存的というのは、字面だけではなんとも言えず、以下のような要素を踏まえて、ようやく良し悪しを判断できるということだ。

a)それを掲げる前、どういう状態だったか?
⇒例えば前のプロジェクトが失敗したか?どういう組織状態だったか?

b)それが導かれるまでに、どんな議論があったか?
⇒コンサルさんがペロッとパワーポイントを持ってきて、コンサルタントの雇い主が「いいんじゃない?」と言っただけなのか?それとも関係者が合宿所にこもってようやく紡ぎ出されたのか?

c)そのステートメントに関係者が深く納得しているか?

実現させようと皆が本気になっているか?燃えているか?
⇒人々が納得し、本気で目指そうとしていなければ、ビジョンやプロジェクトゴールなんてただの紙切れだ。

d)数年経って振り返ってどうだったか?
⇒従って、掲げたビジョンやゴールが素晴らしいものだったかを本当に判定できるのは、それがどう機能したのか?を数年後に振り返った時である。


★一見微妙なステートメントでも、とことん浸透しているケース
僕がいくら空気を読まない系コンサルタントであっても、お客さんが見せてくれた(自分ではない誰かが書いた)ステートメントを一目見るなり頭ごなしに否定することはしない。
上記の文脈が大事なのは理解しているので、どのようにしてできたステートメントで、関係者がどの程度それを支持しているのかをヒアリングする。

そうするとたまに、(一見凡庸なステートメントにも関わらず)関係者の熱い思いが詰まっていて、この会社に本当にいま大事なことなんだろうな・・と感心することがある。
もしくは、単純だからこそ、組織に本当に浸透しているんだな、と分かる時も。

特に、何十年も組織に染み付いているステートメントは侮れない。
例えば僕らのお客さんでもあるTOTOはとてもしっかりした会社で尊敬しているのだが、応接室などに「良品と均質」などと書かれた社是が掲げられている(陶器の会社なので、陶板)。
一見すると、どこの製造業でも言いそうなことだ。前回のブログで「どこの会社でも当てはまるステートメントはダメ」と書いたように、最初に見たときに僕は微妙な気持ちになった。

だがお付き合いするうちに、これが普段の行動レベルまで浸透していることが分かってきた。製品開発や製造部門に限らず、全社的に「高い品質で仕事をする」ということへのこだわりが強い。
そのうちに、「どこにでもあるように見えて、ここまで浸透している会社は滅多にないぞ」と、尊敬の念が湧いてきた。
ちなみにこの社是は大正時代の創業の頃から掲げているらしい。若輩者が生意気なこと思ってすみませんでした・・。


★一見微妙なステートメントでも、熱く支持されていたケース
本になっているので しばしばエピソードを紹介する、住友生命さんとやったタブレット端末更改のプロジェクトでの例もあげよう。

プロジェクトコンセプトは「タブレットでありがとう!を生み出す」

1泊2日の熱く深い議論の末に生み出されたコンセプトなので、プロジェクトメンバーが深く納得していたのは間違いない。だが前回書いた「意思決定に役に立つか?」という意味だと、かなり弱い。僕が普段プロジェクトで作るステートメントに比べると、ちょっとウェット過ぎるのだ。

だが、3年に渡るプロジェクトを経て、僕の考えが完全に浅はかだったことを思い知った。住友生命のメンバーの方々は、新しく参加するメンバーにもこのコンセプトができた経緯を含めて繰り返し説明し、新メンバーはみな、このコンセプトに強く共感した。
「あ、わたしもこれをやりたい!とすぐに思いました」と途中から参加した方が熱く語っていたのをいまでも覚えている。
さらには「私達は単にタブレット端末を作っているプロジェクトではない。このコンセプトを推し進めることで、こんな働き方を実現したいのだ!」を説明するための動画コンテンツまで作っていた。(プロジェクトメンバーがかなり多い、大型プロジェクトなので)
そうして3年後に、「営業職員が武器にすることで、お客様からありがとう!と言ってもらえる新タブレット」を実際に作り上げてしまった。

※新タブレットを使いこなすことで、実際にありがとう!と言ってもらった営業職員の方のインタビューはちょっと感動的なので、「ファシリテーション型業務改革」を読んでみてください。住友生命の方々とケンブリッジの榊巻が書きました。実話ストーリーなのでとにかく面白いです。


住友生命の社員の方々へ、このステートメントがどれだけ刺さるのか。そしてそのことがどれだけプロジェクトを推進する力になるのか。読み違えていたのは僕の方だった。

先ほど「d)数年経って振り返ってどうだったか?」と書いたが、ステートメントの価値は短期的には判断できないな、と思ったのはこのときからだ。


★つまり?
ステートメントはプロジェクトを成功させたり、会社を良くするための道具だということだ。
道具なのだから、「道具は使いよう」でしかない。

一見凡庸なステートメントでも、後で文脈を聞いたら、その会社にとってはそれをまっすぐ追求する切実な事情があった・・というケースもあった。
一見凡庸なステートメントの裏に、具体的なビジョンや思いが込められているケースもあった(先に紹介した住友生命さんのケースはこれだ)。
経営者が先頭に立って、本気でこれをベースに経営を変えていこうとしているケースもあった。

つまり、無関係な人からは凡庸に見えても、しゃぶり尽くすことで凄い価値を産むケースもある。
ひとのステートメントを笑うな。

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