川の流れのように、あるいは価値観と観察と
人々の議論を聞いていると、不思議に思う事がある。
それは「議論しても仕方ない、世の摂理」みたいなことの是非について、結構感情をぶつけ合っていることだ。
僕はこれを「水が高いところから低いところに流れるようなこと」と表現している。今の社会で具体例を出すと、
・人々は同じ価値なら、より安い商品を買う
・需要が多くなって供給量が同じならば、値段は上がる
みたいなことだ。
基本的に他人の行動はコントロール出来ないんだから、「なぜ高い方の商品を買わないんだ!」と憤慨しても仕方ないですよね。やすい商品を買うことに合理性もあるし。
この例を出したので察せられると思うけど、僕自身は経済学の勉強を通じてこの考え方が身についたのだと思う。経済学って基本的に「お金に関する世の摂理はこうなってんじゃないの?」を理論化する学問だと思うので。
(とはいえ、個人的に経済学を熱心には勉強していない。その後商学部に非公式転部してしまったので)。
「水が高いところから低いところに流れる」というのは世の摂理であって、あるべき姿か?そうでないのか?を人間が議論しても仕方ない。
それと同じように、人々の消費行動や値段の動きも世の摂理であって、怒ったり憤慨しても仕方ない。
もう少し具体的に説明してみよう。
例えば、昨今はガソリン価格が上がっている。これに対する街の声は色々ある。
①酷いと思います!
⇒別に誰かが上げようと思って上げている訳じゃないので、その架空の誰かに対して「酷い」と言っても仕方ないですね。気持ちはわかるが。(石油価格をコントロールしている石油王も、遠すぎて怒っても仕方ない)
②ガソリンはもっと安くあるべきだ!
⇒「安くあって欲しい」という願望を表明するのはありだが、「べきだ」は根拠があんまりわからないし、もし安くあるべきだとしても、安くする手段がないですね。誰もプーチンに戦争をやめさせる方法や、円高にする方法はわからないので。
③もっと安くするために、政府は補助金を増額するべきだ!
⇒プーチンや円安と比べて、補助金の多い/少ないは政府がコントロールできることなので、これは有権者として主張する価値のある意見ですね。僕の意見とは違いますが。
このブログでガソリン価格がどうあるべきかを論じたいのではない。
自分にはコントロールできないこと、世の摂理みたいなことに対して、(ここで紹介した①や②のように)主張をしたり憤慨しても仕方ないよね、というのが僕が言いたいことだ。その代わりに、その状況に対してどう対応するか?だけが考える意味がある。
例えばガソリン代が高くなったのであれば、旅行に行く際に鉄道や自転車を選ぶとか。
この「水が高いところから低いところに流れる現象」についてなぜ書いているかと言えば、ビジネスの現場でも結構観察できるからだ。
僕が20年くらいずっと関心を持って観察しているこの現象の代表例は、
「人材が流動化し、ある程度優秀な人々は自分の職場を自分で選択できるようになった」ということだ。
これは良いとか悪いとかではない。
こうあるべき、とか、あるべきでない、という話でもない。
単にこうなっていますよね、という、抗えないマクロトレンドの話をしている。
随分昔から「タレント獲得競争」なんていう言葉もあり、人材の重要性は一応ほとんどの人が頭では分かっている。
だが、日本企業ではこの60年くらい終身雇用+年功序列という人事慣行が続いたので、「魅力ある職場を提供しないと、優秀な人から順に辞めてしまう」という切迫感が不足している。より正確に言えば、切迫感をめちゃくちゃ感じながら経営している会社と、ほとんど意識していない会社に二分化している。
そもそも、「終身雇用+年功序列」という慣行は日本固有でも、日本の文化にあっているわけでもない。戦前は全く終身雇用的ではななかった。(ちなみに、その頃のアメリカは日本よりずっと終身雇用+年功序列的だった)
つまり高度成長期というごく一部の時代にフィットしていた慣行、という話に過ぎない。
もちろん日本では高度成長期はとっくに終わっていて、むしろ衰退期に入っているので「終身雇用+年功序列」に合理性はない。
単純に労働市場が流動化しているので(転職しやすくなったので)、優秀な社員が明日も辞めないで自社にいる保証は全くない。
もう一度言うけど、これは僕が「そうあるべきだ」と主張している訳ではない。
単に、水が高いところから低いところに流れるように、そうなっていますよね、というだけの話だ。
企業や経営幹部がどういう認識でいようとも、優秀な人は
・待遇(給与や休みの多さなど)
・働きがい
・やましい仕事をしなくてすむか?(ゴルフボールで車に傷を付けたり、街路樹を枯らさなくても良いか?)
などの観点で仕事を選ぶようになっている。
好むと好まざるとにかかわらず、世の中がこうなったんだから、企業としては発展のために、最優秀な社員にこそ、働きがいがある仕事を用意しなければならない。または社員が自分で勝手に働きがいのある仕事を作るのを邪魔してはならない。これまでの仕事につきものだった、うんざりするような理不尽さを排除しなければならない。
そうしないと、企業は滅んでしまう時代になったのだ。
その場合、エンジニアやコンサルタントを抱えるような業界ではスピーディに滅んでしまう。製造業の様な人材以外の競争優位の源泉がぶ厚い業界は、ゆっくりとしか滅ばない。
業界の違いはあるが、遅かれ早かれ、だ。
僕がこの5年くらい「全ての企業はいずれ社員ファーストにせざるを得ない」と考えているのはこういう理由だ。
社員ファースト経営とはどんな経営なのか、どのようにして効果を出しているのか、どうすれば転換できるのか?については「社員ファースト経営」を読んでみてください。