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Presentation to Influence あるいは君は何のためにプレゼンするのか?

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僕が初めてプレゼンテーションについて学んだのは22年前。
今の会社に転職してすぐに(ファシリテーショントレーニングの次くらいに)受けたトレーニングがプレゼンだった。
当時、日本にはプレゼンという文化はなかった。結婚式のスピーチとか朝礼で偉い人がたれる訓示とか、そういう「大勢の前でお話する」という文化はあったが、それはプレゼンではない。もちろんビジネスパーソンの必須スキル、みたいな感じでは全くなかった。
僕ももちろん学んだことがなかったし、そもそも誰かがプレゼンしているのを見たこともなかった。スティーブ・ジョブズが「..one more thing」とか言うずっと前の話だ。


アメリカ本社から来てくれたトレーナーが開催してくれたそのトレーニングのタイトルは、「Presentation to Influence」だった。「プレゼン入門」とかではなく。ちょっと変なトレーニング名ですよね。
今となっては、このトレーニングの中身は非常に基礎的なものだった。講師の説明も英語だからそれほど微妙なニュアンスは分からないし。
演習として超稚拙なパワーポイントを作り、みんなの前で(英語で)プレゼンしたのを覚えている。はっきり言って、ウチの娘が中学校の特別活動で作ったプレゼンの方がずっと洗練されている。
そんな感じだったので、中身がどれほど役にたったのかは覚えていない。
だがこのタイトルは20年間、僕に影響を与え続けた。

Presentation to Influence。
プレゼンはただの「話術」ではない。誰かに影響を与えるためにやる活動なのだ。
商品のプレゼン⇒聞いた人が買いたくなる
会社のプレゼン⇒聞いた人が入社したくなる
事業コンセプトのプレゼン⇒聞いた人が投資したくなる

すべて、相手を動かしてナンボだ。
ウチの会社では打ち合わせを準備する際に「この場の目的と到達点を明確にしろ」と叩き込まれるが、それに似ている。が、もう一歩踏み込んでいる。

「プレゼンの目的」というとなんだかぼやけている気がする。最初に目的を考えようとすると、聞く人へ意識が向かず、眼の前の人が置いてきぼりなプレゼンになってしまう。

もっと直接的に「聞いた人がどうなって欲しいのか?」を最初にイメージしなければ、甘いのだ。もちろんそのためには、「そもそも誰がそのプレゼンを聞くの?」がないと始まらない。
そんな訳だから、「何を話すか?」「どのいらすとやを選ぶのか?」「なんかカッコいい図を書こう」なんてずっと先の話だ。


なんでこんな当たり前のことをつらつら書いているかというと、できてないケースがすごく多いからだ。普段できる人も、肩に力が入るとスコンと抜けていたりする。
先日も「お客さんの社長にこれをプレゼンするんです」という資料を見せてもらった。
「プロジェクトメンバーでこんな議論をしたんです」という結果が、コンセプチャルな図や表が使われたパワーポイントに表現されていた。
これを読んだ僕の感想は「スライド1枚1枚は別に変なことが書かれている訳ではないんだけど、何も伝わってこねぇな」というものだった。

こういう感想を持つのは、たいてい
「これを聞かされた社長にどうなって欲しいの?」
がない時だ。
実際に今回も「これを伝えよう」は一生懸命考えていたのだが、「どうなって欲しいか?」は完全に抜けていた。これを聞かされても、社長も困るよね。


書き物だって同じだ。(文章も広義のプレゼンテーションなので)
ラブレター⇒好きになってもらう/お付き合いしてもらう
みたいな感じなので。

僕は教科書を何冊か書いた。みなさん「あるテーマについて自分の知っていることをツラツラ書くと教科書になる」と思ってません?
そうじゃないんです。
例えば前著「システムを作らせる技術」だと、これについて知っていることとかエピソードなんて膨大な量になる。だからそれを書き出していくと全くまとまりのない本になってしまう。
(世の中にはそういう本はたくさんある・・)

また、1つ1つのネタは面白いのだが、散漫な印象だけが残り、「結局なんだっけ?」になる本もある。



そうではなく、「読者がこんなことができるようになって欲しい」というのがあって、それに沿ってコンテンツを取捨選択するのだ。何をどこまでマニアックに語るのか?とか、どういう順番で語るのか?というのは、全部それを土台として決める。
「読者にどうなって欲しいのか?」が土台にあってもなくても、表面上は分からないかもしれない。でもしばらく読み進めれば、内容が頭に入ってくる度合いが全然違うことに気づくだろう。
「読者にどうなって欲しいのか?」がない場合は、読者がつまんねーな、と思う確率も高くなる。つまらない、というのは「Not for Me」ということだが、そりゃそうだよね。誰のためでもないコンテンツなんだから。


・・と、あたかも当然のことのように語ったが、実は自分がプレゼン資料を作ったり、本を書いたりする時に、「Presentation to Influenceの精神」を意識しまくっている訳ではない。でも振り返ると、それを軸にコンテンツを構成しているのは間違いない。

このブログの冒頭に「このタイトルは20年間、僕に影響を与え続けた」と書いたのは、大げさではない。プレゼン資料を書くモードになると、無意識に、聞いてもらう人たちの顔が浮かび、その人達にどうなって欲しいかを考えるようになった。
本を書くときも「読者にどうなって欲しいから・・」というのは、完全に意識下で(小人さんが)勝手にやっていることだ。
あまりに無意識なので、今まで自分では気づかなかった。上記の社長プレゼンについてフィードバックしている時に、ふいに「Presentation to Influenceの精神」を思い出したのだ。
優れたトレーニングの影響力ってすごいですね。Training to Influenceだったのかもしれない。自分でもそういうコンテンツを作り続けたいものです。


※ちなみに、ブログは「誰かに影響を与えよう」とか考えずに、書きたいことを書いてます。おんなじようなテーマを書いているようでも、モードはかなり違います。
昔ブログに書いたものを本に活用することもあるけれど、モードを変えて再構成したり書き直したりしています。

*****参考過去記事

クソプレゼンターからの脱出、あるいはプレゼンテーションZENのすすめ

師匠を持て、あるいは高橋メソッドの勧め

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