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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

人生を決めた空白の半年、あるいは人生への期待値

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こないだ久しぶりに大学時代の友人RやYと飲んだ。
大学の前半の2.5年、僕はほとんどの時間を学園祭の運営委員の活動に使っていた。RとYはその時の仲間だ。学園祭がこんど50周年ということで、大先輩のOGが元委員に思い出話をインタビューして回っているという。じゃあ僕らで良ければ、と開かれた飲み会兼インタビュー会だった。

その時に「今仕事でやっていることって、学園祭でやってたことの延長なんだよね」「たった数年の学園祭委員の経験が、その後の人生に大きな影響を与えているよね」という話になった。
Rは学生時代フェスチーフという役職で、ステージ企画の元締めをやっていた。今は広告代理店に努めている。
Yは同じくシンポチーフという役職で、講演会やシンポジウム企画の元締めをやっていた。今は官僚だ。
学園祭に詳しくない人でも、なんとなくそれぞれの方向性が一貫していることは分かってもらえるかと思う。

学生の頃から、彼らは同期の僕から見てすごく優秀だった。
人望もあるし、ビジョン(こんな祭にしたい)や実行力も素晴らしかった。そして実にそれぞれらしい進路を定め、実際にブラさずに進んでいた。
学生時代、彼らの進路について話を聞いていて「まあ君らはそれが向いているよね」と納得していたのだが、聞いている僕の方は、ずっと焦っていた。
それに比べて、いったい僕は何が得意で、何に向いているのだろうか?


学園祭のOBたちは、みな名だたる大企業に就職していた。銀行、商社、巨大メーカー、マスコミ。有名なところでは、電波少年のTプロデューサーや日本製鐵の社長さんがOBである。

自分を振り返ると、まず金融マンという柄ではない。おっちょこちょいだし、お硬い組織で働ける気がしない。お金にもあまり興味がない。
商社はやっている仕事に魅力を感じたが、どうもカルチャーが合う気がしない。体育会的なノリは苦手だし(実際の商社のカルチャーはともかく、当時そういう印象を持っていた)。
マスコミの自由な雰囲気は合うのかもしれなかったが、マスコミの世界でRみたいなやつにかなう訳がない。

そうして大変失礼な話だが、「だとしたら、どこかのメーカーに潜り込んで、なんとなく仕事していくのかなー。」などと思っていた。別にものづくりに思い入れがある訳でもない。人事をやりたい訳でもない。経理や営業はまっぴらだ。
つまりメーカーという選択肢ですら、単なる決めつけの末の消去法だった。当時はまだバブル崩壊直後。就職貴族と呼ばれたウチの大学出身者は、マスコミは難しくても、メーカーならどこでも雇ってもらえるらしい。それなら僕でも就職出来るかな・・くらいの漠然とした就活計画だ。


ところで、僕は入院と学園祭活動のやりすぎによってドイツ語の単位を落とし、3年生になれなかった。(第2外国語必修というクソ制度は一生許さない・・)
学園祭の委員は3年の秋に引退する。僕の同期はゼミやら就活の準備やら公務員試験やらで忙しくしていたが、3年になれなかった身としては、ポッカリと空白の半年間に直面した。取るべき単位はドイツ語くらいだし、すべてを捧げていた学園祭は終わったし、就活はずっと先の話だ。
今考えると、この半年でTOEICでも頑張るべきだった。でもそんなに意識高い系ではない。

3年生になれなかった分、専攻の分野選択も同期に比べて1年の猶予があった。
僕は経済学部ではあったが、微分を駆使してミクロ経済モデルを作ったり、経済統計を読み解いたりすることに夢中にはなれないことは、その頃までにはハッキリしていた。ウチの学部で数学を使いたくない経済学部生は、「経済史」というエリアに進むことになる。アムステルダムが金融の中心地となっていった過程、みたいな卒論を書くのだ。
俺もそれしかないんだろうなー。そうしてなんとなく就活して、なんとなく仕事して、なんとなく課長くらいにはなるのかなー。という見通し。

社会人になって、メーカーのお客さんとたくさん仕事をしている身からすると、ホントふざけていますね。真面目に経済史を研究している人々に対しても、すごく失礼だ。改めて振り返るとほんと人生なめきっている。友人のRやYと比べて、あまりにフラフラした人生設計だということは、当時から自覚していた。


そんなグダグダな状態ではあったが、何しろ暇だから、自分なりに人生について考えることになった。今と違って「就活前に自己分析シートを埋めていく」みたいな習慣はなかったので、ああでもないこうでもないとツラツラ考えるだけなのだが。

打ち込んできたものの、学園祭では全く華々しい活躍はできなかった。仲間が好きだったし意地もあったから続けたが、仕事があんまりできない委員だった。もちろん委員長でも副委員長でもない。
特に残念なことに、僕は祭の華とも言える「企画」が得意ではないことを自覚せざるを得なかった。学園祭でいくつも企画を発案して主催者になったが、たくさんの手酷い失敗をして、成功と呼べる企画は全くなかった。今でも当時を思い出すのはつらい。企画案の発想も貧困だったし、巻き込んだ人々とうまく協調することもできず、たくさん迷惑をかけた。この領域ではYやRには到底かなわない。

唯一手応えを感じたのは、3年のときに担当した祭の裏方とも言える仕事だった(委員会内ではアワカレという謎の用語で呼ばれていた。僕はアワカレチーフだった)。学内の参加団体に部屋や屋外スペースを割り振ったり、テントを貸し出したり、構内警備の責任を持ったり、資金援助をしたり、ゴミの処理をしたり。つまり、「祭全体の運営係」みたいな仕事である。
芸能人を呼んで盛り上げたり、社会問題が議論したり、といった表の世界とは真逆の、委員会の地味な側面だ。毎年のルーティーンでもある。
でもそれを担当した時、僕にはルーティーンの改善すべきことが見えた。毎年1週間前にやっているこのタスクは、1ヶ月前でもいいんじゃないか。警備はこういうフォーメーションがいいんじゃないか・・。多くの工夫を積み重ね、自分としていい仕事ができた、と手応えを感じた。3年間やっていて、唯一これだけが。
こういう「運営」の仕事って、今思えば多くのサラリーマンがやっていることに一番近い。でも、アルバイトとして学生時代に経験しにくいタイプの仕事でもある。

空白の半年間で、このことを何度も考えた。自分が好きで得意なことはなんだろうか?学園祭の運営みたいな仕事ってなんだろうか?
そして自分なりにたどり着いた結論が「システム」だった。
システムとは、「複数の要素が複雑に絡み合って機能する有機体」のことである。僕はこういうものをハンドリングしたり改良するのが好きだし、多分人より得意なんだろう、と。


だから専門分野もシステムをキーワードに選んだ。流通システム論だ。流通というのはメーカー、卸、小売、物流業者と、多くのプレイヤーが複雑に結びつきながら機能する、システムそのものだ。
流通システム論のゼミは、経済学部ではなく商学部だったので、「トンネル」という非公式な転部をすることになった。経済史よりはエキサイティングだろうし。どうやらそのゼミは、今年ドイツから帰ったばかりの若い切れ者の女の人が担当するらしい・・。

・・・こうして非公式転部した商学部の勉強にのめり込み(ゼミの師匠に煽られたから、という理由もある)、暇だったせいもあってガチで卒論を書いたり、多分だれよりも研究熱心な2年間を送ることになった。留年するほど怠け者だったのに。

やがて迎えた就活シーズンは、頭が学問でいっぱいだったのでまるで適当で、4社しか受けなかった。「自分で設定した流通の謎」を明らかにするのに比べれば、企業研究とか面接対策とかアホくさくてやっていられなかったし。

受けた企業は、大好きになっていた流通システムに絡めて「流通の会社」と「コンピュータシステムの会社」。結局誰も知らないような怪しくて小さなソフトウェアの会社に入ることにして、僕の社会人キャリアは始まった。
以来、色んな仕事をしてきたが、僕が一番得意なのは、業務改革プロジェクトをリードすること。学園祭で手応えを感じたことの、延長線上にある。


二十歳の頃の僕はこんな感じだったので、今でも自分の人生に対する期待値がすごく低い。
ずっと、自分は何者にもなれないまま人生おわるのが当たり前、と思ってきた。
MBAを取りにアメリカに留学するとか、ないない。
コンサルタントという柄でもない。
お金をバリバリ稼いで外車を買いたいとかもない。
本を書く?考えたこともなかった。
ウチはコンサルティング会社なので、今の僕が採用活動で出会う学生さんはしっかりしている人ばかりだ。当時の自分と比べるとクラクラする(なので比べないようにしている)。

だから、キャリアプランみたいなものは過去も今もロクに持っていない。目の前のメニューから面白そうな仕事を選び取って、面白がってやっているだけだ。

そして僕は、今の毎日にとても満足している。

だってプロジェクトって、毎日が学園祭の準備みたいだから。
新システムの稼働日兼新業務切替日なんて、学園祭の準備日のような高揚感がある。
お客さんとプロジェクトを立ち上げるときは、ゴールやコンセプトを決める合宿を1泊2日でやることが多い。これなんて僕らが25年前に相模湖畔のボロい合宿所でやっていた、祭のコンセプトを決める合宿と全く同じである。楽しくないはずがない。


僕の「空白の半年間」と同じような空間に、今現在漂っているひともいるかもしれない。
就職活動前の若者にもいるだろうし、働きながらでも、なおそんな感じのひともいるだろう。
友人がやけに眩しく見えたり。

でも、ちょっとしたきっかけや、自分の思い込みをテコに、意外と人生は動き出したりするんじゃないかな。しらんけど。

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