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研究で、はたして情報産業に影響を与えることが出来るのか?

IT産業の「工業化」

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前回の続きです。

いきなり結論からになりますが、ソフトウェアの研究では多かれ少なかれ、研究の詳細について理解しなくても、その研究の成果を利用できるようにするという目標があります。特に応用科学であるソフトウェアの世界では、研究者以外の人間がその成果を使えるようにしないと、有用性の面で大きく引けをとってしまうためです。

例えば、プログラミング言語の世界では、ソフトウェア開発者はコンパイラを用いて、人間にとってより書きやすい言語(C++, Java等)を、記述することが出来るわけですが、このコンパイラの動作について知っている人はほとんどいませんし、あえて知らずとも利用できるようにプログラミング言語が設計されているわけです。

データベースの世界でも、実際のデータベースの検索は非常に高度な技法が駆使されているわけですが、SQLを利用する人は、その詳細を深く知らなくても利用することが出来るわけです。

(まぁ、詳細を知らなくては、性能を引き出すことができないとかいうことはあります。もっとも、これは、言語やDBの設計の際に、性能の部分まで隠蔽することが出来なかったわけで、まだ研究としては完成しきっていないということでもあります。逆に言うと、こういうところを扱える人材は非常に希少価値が高い(笑))。

また、ソフトウェア開発の工業化が叫ばれて久しいですが、これも、いってみれば均質な労働力によって、俗人化せずにソフトウェアを開発する手法が研究されているわけです。

このように、ソフトウェアの研究には、特殊な技能を持っていなくとも、ソフトウェアを開発・利用できるようにするという目的が多かれ少なかれ存在します。いってみれば、ソフトウェアの研究が成功すれば成功するほど、研究者の知識が無くとも困らなくなるわけです。

(もっとも、この目標が必ずしもうまくいっていないのは、皆さんご承知の通りなわけで、だからこそ、ソフトウェア開発の能力差が個人によって100倍とか1000倍とかいう差になって現れてきてしまったりするのですけれど...)

そういったわけで、研究が成功したために、計算機科学の基本的な知識の必要性が薄れてしまったところは否定できないのではないかと思っています。さらには、高度な技能を持った人たちの価値が、非常に短い時間で平準化されてしまうのは、単純に市場の影響だけではなく、研究がそういう希少価値をなくす方向に動機付けされるためでもあるわけです。

このように見ると、IT産業における研究というのは相当に世の中の要求に基づいて動機付けされているなぁと考えさせられることが多いです。

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