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ケンブリッジ語録#37 「べき論」禁止 

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僕が勤めるコンサルティング会社、ケンブリッジには、厳しいプロジェクトの現場で生まれてきた「語録」がある。そして「xx禁止」の語録が結構ある。

ケンブリッジ語録#20 資料の朗読禁止

ケンブリッジ語録#19「100%理解できるまで反論禁止」

ケンブリッジ語録#14 いきなり説明禁止

などがそうなのだが、今回も「禁止シリーズ」の中から一つ紹介したい。

「べき論」禁止

語録画像.jpg


世の中は「べき論」で溢れている

社内で議論していても、社外の人と話していても「~すべき」「~であるべき」というキーワードをよく聞く。
「投資すべきだ」「痛みは覚悟すべきだ」「柔軟であるべき」「移転をすべき」「働き方改革を進めるべき」「コストダウンをすべき」「紙を無くすべき」・・・


過去形でも。「すぐに謝罪すべきだった」「報告すべきだった」「商品開発は営業のニーズを汲むべきだった」・・・・


否定型でも。「放置すべきでなかった」「投資すべきでなかった」「踏み切るべきだった」・・・


自分の主張を持つのは良いと思う。スタンスが明確になり、他者との違いが明確になるから議論が進めやすくなる。その人の個性も出るだろう。
主張がないよりずっと良いかもしれない。

だが、変革プロジェクトの支援を生業としている僕らは「べき論」に極めて慎重だ。なぜなら・・・。



「べき論」では相手は動かない。何も変わらない。

「~すべき」という主張をする時は、暗黙的に、相手へのネガティブな感情がこもる。

(営業のニーズを汲んで開発すべきなのにそうしていない。だから)営業のニーズを汲んで商品開発すべき。
(いつまでも紙が残っていて無駄だ。だから)ペーパレス化すべき。
(顧客を怒るのは目に見えていたハズなのに。だから)すぐに謝罪すべきだった。

という感じだ。


苦情に近いノリで相手を非難することになる。しかし、相手にも理屈があり事情があるはずだ。「そうすべきだ」と思っていたのに、そうできなかった理由があったのかもしれない。色々な事情があって、敢えてそうしていないのかもしれない。背景や状況を確認せず「べき論」持って怒鳴り込んでも相手には全然刺さらない。相手の行動は変えられない。

そもそも、「べき論」をぶつけられてハッとする事などそう多くない。
多くの人は、自分だけがわかっているかのように「べき論」をぶつける。ところが、「そんなこと今更言われなくてもわかっているよ」というケースは実に多い。前提条件や制約条件があって「べき論」にすらなっていない事だってある。


相手の事情を理解しないままの「べき論」は、抵抗しか産まない
。「べき論」を打った瞬間に、

「自分の主張が正義で、相手は悪」という対立構図ができてしまう。本当に恐ろしいのだが、「べき」という言葉には、こういう力があるのだ。相手の主張を聞いて一緒により良い第三案を作っていこうという姿勢を失わせる。「後は相手の問題だ」と思考停止してしまう。相手の言い分を聞き入れる余地が失われてしまう。

これでは何も変わらない。「べき論」の前に「見ているものを合わせる」のが最優先ではないかと思うのである。


例えば、ある営業マンの「べき論」

ある営業マンの方がこんな話をしてくれた。

「ウチのA商品の顧客ターゲットを考えると、xxの設定がないのはおかしい。設定がないがゆえに別注対応したり、代替案を提案したり。売るのにすごく苦労している。一刻も早く設定を作るべきだと思うのです。
にも関わらず、商品開発の奴らはいくらフィードバックしても全然動かない。どれだけ現場が困っているか知らないんだ。彼らはもっと顧客や現場を知るべきなのに、本社の机にかじりついているんです。」

・・・僕も昔、大手のハウスメーカーで設計をしていたから気持ちはとてもよく分かる。僕自身も10年前までしょっちゅう「べき論」を唱えていた。
この時はその営業マンの方とこんな議論をした。

・会社として"本当に"その顧客層を狙っているのだろうか?
 ・そもそも「狙ってない」という可能性はないのか?
 ・万が一「狙ってない」のだとすると、開発より、営業の売り方がまずいのでは?

・開発側の「言い分」はどうなのか?
 ・設定は作りたいが、他の優先タスクがあって作れないのか?
  (つまり、作業工数だけの問題)
 ・設定は作りたいが、何らかの事情があって断念したのか?
  (つまり、別の制約事項の問題)
 ・そもそも設定を作る気がないのか?
  (つまり、判断基準・価値基準の問題)

聞いてみると、「ほとんど分かっていない。気にしたこともない。」という事だった。
 


べき論は一方的な主張だと心得る。解決にむけた対話をせよ。

このお話のように、相手方の事情まで深く理解できれば、何が一致していて何がズレているのか、何がボトルネックになっているのかが見えてくるだろう。そうすれば、協力してボトルネックを解消する動きが出来るようになる。べき論を実現するための動きが起こせるようになる。

共通の目的のために何かをやっているとするなら、べき論で相手を攻撃することに何の価値もない。共通の目的達成のために、協働の関係を作ってしまうことが解決の近道だ。

僕自身は、ケンブリッジの先輩たちを見ていて、こんな風に考えられるようになったのが色々なことの転機になった気がしている。

だから、「~すべき」とバッサリいくのではなく、「確認する姿勢」を持つことが重要だと考えている。全然難しいことではない。

「私の視点からだと~しないのが不思議なのだが、どうしてそうなっていないのか議論したい」

「営業の立場だと、~すべきと考えてしまいがちです。なぜなら~だから。商品開発の事情もあると思うのだが、どう考えているのか確認したい」

と言えば良いのだ。

相手と対立して、正しい/正しくないの応酬をするのではなく、寄り添って一緒に次の場所を目指すということ。
ディベート(討論)ではなく、ダイアログ(対話)ということだ。

少しの気構えだけで、簡単に実現できること。気にしてみて損はない。



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