ケンブリッジ語録#20 資料の朗読禁止
僕が勤めるコンサルティング会社、ケンブリッジには、厳しいプロジェクトの現場で生まれてきた「語録」がある。
今回はこれ。
資料の朗読禁止
丁寧に作った資料を配って、会議で丁寧に読み上げる・・・。そんなシーンを見たことがあるだろう。
これ禁止。
よく考えてみて欲しい・・・。
何のために資料を作ったのだろうか?
説明がスムーズに行くように、説明しなくても読めば大体分かるようにするために資料を作ったのではないだろうか?にも関わらず資料を読み上げるのはなぜなのか。
資料と違うことを話してくれるならいいのだが、一言一句違わず読み上げる人もいるくらいだ。
資料を読み上げれば仕事をしたことになると思っているのか?
資料に書いてあることを伝えるなら資料そのものでいいはずだ。
朗読に付加価値はない。
ではどうすれば良いのか?
僕はすごくせっかちなので、誰かが読み上げ始めたら絶対に止める「読み聞かせてもらうより、黙って読んだ方がずっと早いですよね?少し読む時間取りません?」と。
こんな風に全員で黙って数分ほど読む時間をとるのがいい。読み上げると20分かかる内容でも、黙読すれば5分で済む。そもそも誰かが資料を朗読している間、他の参加者は聞いていない。発表者の朗読など無視して資料を読んでいるのだ。5分だけ読む時間を設けて、資料に書いて有ること以外に補足があれば発表者が説明すればいい。
そしてその後、読んでわからないところを質問する流れが最も効率がいい。
事前に資料を共有している時も同じである。というか事前共有しているのだから黙読の時間をとる必要すらない。本当に不思議なのだが、事前共有しているにもかからわず、多くの人が資料の朗読を始めてしまう。何のために事前に見てもらっているのか・・・。しゃべるなら「資料に書いていない補足説明」か、「資料で言いたかったことのサマリ」だけにすべきである。もっとも、読んでもさっぱり意味がわからない資料も多く、その場合は発表者に一から十まで話してもらうしかないのだが・・・。
何にしても仕事の価値をしっかり考えておかないといけない。
・この一挙手一投足にどんな価値があるのか。
・読み上げることでどんな付加価値が付くのか。
・やめたら何が起こるのか。
放っておくと、どんどん価値の無い仕事ばかりして、それで仕事した気になってしまう。
この語録には、「盲目的に仕事をしてはならい」「常に付加価値を考えよ」というメッセージも込められているのだ。