« 2010年11月16日 | 2010年11月18日の投稿 |
2010年11月22日 » |
人間誰しも、世の中の全ての事をわかっているわけでは有りませんし、自分じゃない人は自分の知らないことを知ってるというのが事実。であれば、何かを確認したり相談したりするときに、それを知っていそうな人に聞きに行くわけです。
それがメールとかであれば、聞かれた方にも返答の余地があるのですが・・・
時々遭遇します。話を聞きに行っているはずなのに、ひたすら喋り続けてしまう方に
とりあえず最初に「これこれこういう主旨でこういう事を考えていまして」と説明を始めたが最後、話を聞きたい相手に相槌以外の反応を許さないくらいの勢いで喋り続けてしまう。そのうち、何となく相槌の雰囲気から流れを作ってしまい、挙句いつの間にか自己完結してしまう。
気をつけないといけません。これは。
因みに更に応用編があって、そうやって自己完結する中で、本来無かったはずの宿題を話を聞きにいった相手にいつの間にか華麗に投げかけて、風のように去ってゆく。これはかなり上級レベルですが、しっかりとこのスキルを身につけている実例を知ってます(笑)
これは気をつけるというレベルの話ではないですが、中々真似できるものでもありません。
いずれにせよ、人に何か話を聞きに行くときには、話をしてくれる人の話を聞くことが大事(当たり前でしょ)
有る意味阿吽の呼吸が利く関係であれば、ひょっとしたら相談相手の顔を見ながら説明しているうちに自己完結してしまうこともあるとは思います。多分このときには「こいつに話を聞くと多分こういう風に答えるんだけど、それに対して自分はこんな風に聞いて、そしたら相手は・・・」と、話をしながらシミュレーションゲーム状態になり、それこそ最後は自己完結することもあるわけです。
もっとも、これが同僚との話、上司との話、何かしら関係がある社内の人との話、お客さまとの話、親兄弟との話、友人知人との話などなど、それぞれのお互いの関係の中でいろいろに変化するのは当たり前。
ただ、崩しちゃいけないのが、「人の話を聞きに行ったんだったら、自分は喋り過ぎないこと」という姿勢。あるいは「喋ってもらわないと済まない場なら、自分は黙ってること」という姿勢。
あたりまえでしょ?いや、意外と難しいものなんじゃないかと思うことが最近も・・・
因みに・・・ セミナーや説明会などで、「何か質問は有りませんか?」と聞かれて誰も手を挙げないからと指名された人が実は質問などせずに、なぜか自己紹介をしてしまい、最後には「頑張ってください」とか「私も頑張ります」などと言った意味不明の受け答えで終わる事に時々遭遇します。
別に質問無ければ「大変よく判りました」とか「帰ってから聞きたいことが出てきたら問いあわせとか出来るんですか?」などの受け答えで終わればいいのに、何もあなたの自己紹介とか聞きたくないよーと思うのは私だけではないとは思うのですけど、ねぇ。
今更私が言う話でもないですが、本当に電話で話をしなくなったと我ながら思います。たとえば業務用に渡されている電話や内線PHSでは話をしますが、たとえば知人友人その他、仕事の関係ではないプライベートな場での電話での「通話」が本当に無くなったよね、としみじみ思ったりします。
だからこそ、パケット無制限のオプションのお陰で殆ど毎月のケータイなり固定電話なりの電話代が殆ど「固定」されているわけですが
昔は確かに電話していたし、電話の置き場所すら違っていたし
国民的に有名な日曜日の夕方のアニメ。最近は余り見ていないので良く判らないのですが、少なくとも以前は電話は玄関から入ってすぐのところにありました。何故?まぁ諸説ありますが、何しろ電話自体が普及していなかった頃には、近所の家の呼び出しも含めて電話を引いた家が全てのコミュニケーションの窓口だった時代もあったのは事実で、実際の話、隣のxxxさんあての電話がかかってきて、その人を家まで呼びに行って、呼ばれた人は電話がある家の玄関に置いてある電話で話をして、という世界が、たとえば40年とか前には結構普通にあったわけです。
そういえばよくよく考えると、小学校低学年の頃、連絡網の電話番号の欄に(呼)ってのが付いている家がそれなりにありました。そう。自宅に電話が無くて、近所のxxxさんの家に電話がかかり、そこから呼び出してもらうという流れ。
まぁ、今の「電話は個人の持ち物」状態では想像もつかない世界だとは思うのですが、そういった歴史の流れの先に今があるわけです。最初から誰もが自分の電話を持つ世界なんて無いわけです。
ちょっと前に小耳にはさんだ「電話やメールすらなかった時代の恋愛って、どんな世界だったのか想像もつかないよ」という方向の話
たとえば私が結婚したのはかれこれ四半世紀前(うぁー、こんな言い方をすると自分でも驚きますが(笑))には、たとえばいわゆる電子メールは全く普及していません。でも、とりあえず電話はあった。そして決して安くない電話代を死ぬ思いして払って、たとえば私の場合には東京の私の自宅から神戸に住む今のカミさんと夜毎電話してたりしました。
そういえば、ちょうどそのころJR東海のシンデレラエキスプレスのキャンペーンをやってたりして、まぁそれなりに感慨深いモノがあったのですが、いずれにせよ、とりあえず電話で喋ることは出来た。
じゃぁ、その前は?
手紙しかないわけです。それ以外に電報(ほぼ死滅しましたが)がありましたが、これはかなり面倒くさいし文字数も制限がキツイ。(なにしろ文字数の従量課金でしたし)
ということで、電話が一般家庭に普及を始める昭和30年代年代後半までは、基本的に一般には手紙しかないわけです。もちろん、その電話すら、一般家庭にまで普及しきったのは昭和50年代に入ったころだったはずですから、まぁそんなもんです。
それを考えると、今の若い人は良いよな… と思うかと思うと、実は思って無かったりします。もちろんコミュニケーションの質っていうのは時代によって変わりますし、変わった時代の中で必要とされるコミュニケーション手段が成長するわけで、たとえば私が20代の頃に今のケータイやメール等のコミュニケーション手段があったらそれを受け入れていたかと言うと、それはとても難しい。
逆に言うと、今の最先端は10年後には単なる10年前の状況でしかないわけで、きっと今の私のような事をブログなりなんなりに書いている人がいるだろうな、といったくだらない予想を立てたりしてみたり(笑)
いずれにせよ、たとえば手紙しかなかった頃のコミュニケーション、電話を中心としたコミュニケーション、メールやらなんやらを中心にしたコミュニケーションなどなど、その時期その時期で使える手段を使って、人は誰かとコミュニケーションを取るわけです。当事者同士が色んな事を不自由に思いつつ、その時代で一番先を行くモノ、そして当事者同士が一番心地よいモノ、そんなコミュニケーション手段を使うんだよね・・・ となんだか当たり前の結論。
とはいえ、人との接し方自体も変わるんだろうな、と思うと、今後はどんなことになるんだろう?とか、たとえば10年後、20年後の自分はそんな流れに着いてゆけるのだろうか?とか、純粋に自分の事として考えたりしてみるのも大事だと、私は思うんです。というか、そういう姿勢でいたいと思ってたりします。
大人として、「新しいんだぜ!前より断然いいぜ!最高だぜ!わ~い!」と話題に簡単に飛びつく前に。
もちろん、だからといって、自分が我を忘れてそうしてしまうネタってのはもちろんあるので、すべてにそうしなさいと言うようなキモチなんてありませんけどね。
« 2010年11月16日 | 2010年11月18日の投稿 |
2010年11月22日 » |