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読めばベタに分かる、タイトルどおりのブログ

【雑誌フェチとして】苦しい台所事情はわかりますが、目に見えて分かる「コスト削減」はちょっと寂しい。

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以前のエントリーで、

4月から部署異動し大幅に担当業務が変わることになりました。

と書かせてもらったのですが、部署が変わると、「業務に役立つんじゃないかな?、と」特に興味を持って読む雑誌も変わってきています。

また、部署自身が定期購読している雑誌の種類も全く異なったりしています。

そういった理由で、以前はよく目にしていた雑誌を、先日6ヵ月ぶりぐらいに本屋で見掛けました。久々に手に取ってみました。

「薄っ!!!」

第一の感想は、中身よりもまずその薄さでした。その雑誌の一番分厚かった頃に比べると約半分ぐらいにはなっているのではないでしょうか(個人の体感比)。中身をぱらぱらと読んで見ます。

「あ、ページも半分ぐらいになっている」

他の雑誌等で、自分の体感上よく遭遇していたのが、”紙の質”と言っていいんですかね、一ページあたりの紙が薄くなることでページ数が変わらないけど薄くなっている、ということだったのですが、この雑誌の場合は違いました。明らかに記事ページも減っている・・・。何ていう雑誌のことかはここでは伏せますが。

今更口に出しても始まらない「不景気」「不況」という言葉で、あちらこちらで「コスト削減」がうたわれています。以前にこのオルタナティブ・ブログでもばんちょ~からのお題で「コスト削減」をテーマに皆でエントリーをしたこともありました。

自分もメーカーという企業に居る立場上、生みの苦しみはわかります。特にこのご時世、「コスト削減」をしなければ成り立たないことも多々あることでしょう。

その立場は十分理解した上で、消費者目線であえて言うと、やっぱり、買う人にとってあからさまに「前よりけちったな」(けちる、って関西弁?)、「前より安っぽくなったな」と思わせてはいけない、と思うのです。

付加価値となる何かがそれ以上にあればまだ言い訳は成り立つかもしれませんが、そうでは無い場合、目に見えて「今、ヤバイ状況です」と喧伝しているようにも見えてしまうのです、自分には。

前述の雑誌の場合、定価が年々増加傾向にありましたが、数年前1200円で約倍ページ数があったのに比べて、ページ半分で1400円ですからね。どうなんだろう、と思ったり。

でも今回のページ数の話に限らず、色んな雑誌で色んな(それが本当の理由では無いのかもしれませんが)「コスト削減」に出会います。

これまた以前のエントリーにて、雑誌好きを標榜させていただいた自分から勝手に、これは嫌だ、の「コスト削減」ワースト5を書いてみたい、と思います。

第五位:綴じ方が変わる

意味が伝わるかなぁ・・・。雑誌の背の部分に雑誌名が書いてあるような場所があると思うのですが、そこがきちんと「背」として存在しているものから、単に真ん中でステープラー留めに変わるケースのことを言っています。

分かりにくいですね、画像を入れてみましょう。前に書いたパターンの雑誌の例が「日経ソフトウェア」、後に書いたパターンの雑誌の例が「モノ・マガジン」や「DIME」です。

haimenchigai
※特に良い画像ではありませんが・・・。

元から単に真ん中でステープラー留めにしているものも多いですけど。
これ、「コスト削減」が理由なのかどうかわかりませんが、途中から変わったりした挙げ句に休刊になったりする雑誌をいくつか見てきたので、「コスト削減」なのかなぁ、と。
横に長い紙を真ん中でステープラー留めして二つ折りにして雑誌の形に成形、というのと、きちんと決めたサイズで裁断した紙を背の部分ギリギリでステープラー留めして表裏の表紙部分をきちんと糊付けして雑誌の形にする方がやっぱり手間が掛かるだろうから、やっぱり作り方を変えるだけでも「コスト削減」効果あるのだろうなぁ、と。
背の部分がきちんと無いと、やはり本棚等に入れた時には立ちにくいし、複数入れた時に手前と奥で空きスペースが変わったりするんですよね。立ててファイルボックスに入れた時はなおさら。
ただし、ページを切り抜いたりする時にはかえって便利だったりするので、一応、第五位ということで。

第四位:紙の質が変わる

まぁこれは定番なのかもしれませんが。これ、単に文章がメインの雑誌であれば自分の場合は何も気にしないのですが、「上質感」を売りにしているだろう系の雑誌や写真を綺麗に見せよう系の雑誌の場合、その表現力だけではなく、光が透過して色味が変わったりすることもあるのでちょっと残念です。
ちなみに、ツルツルした紙から、マンガ雑誌等に利用されている再生紙に変更されている場合もありますね。必ずしも「コスト削減」ではなく環境対応度のアピールなのかもしれませんが。

第三位:広告と記事のページの比率が変わる

なんと言いますか。
厚みは維持されているんだけど、広告、広告、広告、と続いて記事、広告、広告、広告、と続いて記事、みたいになってくると、なんだか記事を読むために買っているんだか広告を読むために買っているんだかわからないみたいな。
そもそも雑誌によっては記事ページもどこかの広告のようなものもあれば、広告自身が記事のようになっていて「ふむふむ」と楽しめるものもあるんですけどね。

第二位:広告の質が変わる

・・・。
職業に貴賎は無い、と言いますが・・・。
でもやっぱりね、せめて一般的な商品やサービスの広告が載っていた雑誌に、だんだん、「出会い」系サイト等の広告が載り始めたり、「これであなたも大金持ち」系のなんとかをあなたも手に入れませんか?みたいな広告が載り始めたり・・・。あとは・・・まぁ書きませんが。
人からどう見られたって構わないとは思っている自分ではありますが、やっぱり読んでいる雑誌に載っている広告、というのは、その広告主がそういう人をターゲットにし、事実ある一定の成果があるだろうから掲載しているのでしょうから、自分はそういうターゲットの一員なんだ、と思うと・・・ちょっとへこみます(苦笑)
やっぱり、広告も雑誌を形作る一つの要素、だと思うんですよ。第三位の所でああ、は書きましたが、バランスの問題であって、それ以上に掲載されている広告の内容って大事だと思います。

第一位:価格は変わらないのにページ数そのものが減る、もしくは値上げしてページ数が減る

やっぱり本に求める本質、として、情報量って大事だと思うんです。
そもそも2000円ぐらいしていた雑誌がページ数が変わらないなら2500円ぐらいになっても(もちろん困りますが)仕方無いか、と思えるものの、スタート1000円ぐらいだったものがいつの間にか1500円とか2000円になって情報量が減るとですね、なんかもう買わずともネットで探そうか、とか代替手段を求めるようになりますね、自分の場合。

そう、雑誌の発刊部数が減ってきた理由には、インターネットの台頭がよくあげられる訳ですが、自分は紙メディアの良さは良さとして絶対あると信じています。

ユビキタスと言っても、やれ人口カバー率がどうの、と言っても、やはりデジタルディバイドを生んでしまう環境はある訳だし、好きな場所で好きなタイミングに、充電池の残量を気にせず読める、というのが良い、と思っています。

今あげてきたワースト、ってよくよく振り返ると「コスト削減」というテーマからは大きく外れたものもありますね、すみません。ただ、事実として雑誌がネットメディアに押されて続けてきている中、どうこの苦難を将来に向けて乗り越えていくのか、ということにはずっと期待を持ち続けています。

そういう意味で、自分にとって許せる「コスト削減」は、

・発行回数の変更

・雑誌のサイズの変更

です。

「キーボード・マガジン」は月刊から季刊に変更されたものの、広告が特別増えることもなく、ページ数が特別減ることも無く、内容を維持しています。

もちろん、この発行回数の変更が「コスト削減」目的なのかどうかは知りませんが。

また、もう一方の雑誌のサイズの変更。

さすがに、A4判ぐらいあったものがA5判と半分になると、なかなか受け入れられませんが、菊倍判(304mm×218mm)からA4判(297mm×210mm)、もしくはA4判から縦を削って変形A4判等の変更ならば、あまり体裁も変わらず表現力もそれ程変わらないのでは無いでしょうか。確実に紙材料の利用は減りますし。どちらの紙が流通価格が安いのかもわかってませんが。

これは雑誌の話ではありませんが、うちにあるIKEAの2009年度版と2010年度版のカタログ、こんな感じなのです。

ikeacatalog
※こちらも特に良い画像ではありませんが・・・。

偶然二年分揃っていたのでそのサイズの違いに気づきましたが、厚みも変わらずあまり違和感はありません。

雑誌の刊行には、ただ内容を削る前にまだまだ工夫の余地はあると素人ながら勝手に思っています。発行回数の変更、というのは、年間購読、という形で料金を前受けしていると余計に難しいのかもしれませんが、やっぱり量より質だと思います。

追伸:今回こんなエントリーをしたのと、今が丁度「雑誌愛読月間」だったのは、単なる偶然です。でも、何かの縁を感じました。

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