【自由と自分軸】他人と比較しないようになるには
「自分軸とは」という回で、自分軸について説明しましたが、肝心の自分軸の実物をお見せしていませんでした。
そこで、僕自身の自分軸をお目にかけましょう。
これを見ると、僕という人間がなんとなく分かると思います。こういうものを作って、定期的に見直すようにすると、だんだんブレない自分になっていきます。
●自由かどうかは自分で決められる(復習)
さて、前回は不自由になる原因を列挙しました。一人ブレストの結果なので、13個という数にもその順番にもあまり深い意味はありません。
たまたま先頭にあったので、今回は「他人と比較している」という不自由の原因について検討しています。とはいえ、先頭にあるということは、「他人との比較」を不自由の原因として強く認識しているということでしょう。
では、他人と比較するとなぜ不自由になるのでしょうか?
「自由とは?」という回で、僕は図を描きました。再掲します。
要するに、選択肢が多くて、決定できる範囲が広ければ自由ということですが、もう一つ重要なこととして、多いとか広いとかは自分で決めればよいとも書きました。
自分で決められるから、強制収容所に閉じ込められてもなお自由な精神を失わない人がいるわけです。
●他人との比較の基準は自分で決められない
他人と比較するということについて考えてみましょう。
もし、他人と比較しようと思うと、その評価軸を自分では決めることはできません。
たとえば、僕が「オレガ」(この言葉には何の意味もありません)という価値観を持っていて、僕と友人のYさんとでは「オレガ」度では俺のほうが上だ、なんて思ったとしても虚しいだけです。
収入だとか学歴だとかそういうはっきり分かるものであっても、幸福度などやや抽象的なものであっても、基本的には世間が決めた基準です。
他人と比較するということは、世間が決めた基準に従う、すなわち自由ではない、ということなのです(「多いとか広いとか」を「自分で決め」られないということです)。
●どうやって比較をやめるのか?
多くの人(特にセラピーや宗教家)は、「他人との比較をやめなさい」と言います。今書いたような理由で自由ではなくなり、幸福から遠ざかるからです。
しかし、「人と比較すると幸福にはなれないから、やめなさい」と言われても、それは難しい。私たちは子供の頃から、他人と比較することを刷り込まれています。
本能的にも、競争はDNAに組み込まれているように思います(一方で、共感や協力も組み込まれていると思います)。
仏教でいえば煩悩でしょう。消し去るのが難しいから煩悩なのです。
僕自身も、経歴を見れば分かるように有名大学を出ているわけですから、他人と比較して勝った・負けたなんていうことは、結構好きだったと思います。
その後、社会人になってからも、出世競争に明け暮れ、それに挫折したときにはかなり傷つきもしました。「あいつが部長なのになぜ俺は・・・」 のようなことも何度言ったかしれません。
その僕が、他人との比較に興味をなくしたのは、自分軸を作ってからでした。
●戦わないポジションが見つかれば比較に興味がなくなる
正直「世界で一つだけの花」をカラオケボックスで合唱するようなのは、比較心の裏返しみたいで気持ち悪いのですが(曲自体は好きです)、あの境地です
。
自分だけの、誰とも戦わないポジションができてしまえば、他人との比較に興味がなくなります。
自分軸で言うと、「誰に・何を」を詳細にするほど、他人とかぶらなくなります。さらに、「なぜ」の部分は本人固有です。
自分軸をきっちりと掘り下げると、結局オンリーワンのポジションを取ることができるようになるわけです。
他人との比較は人生においてはスパイスのようなものかもしれません。なくてもいいが、たまにあるのもいいかもしれません。ですが、使い過ぎは人生の味を壊すことになります。
他人と比較してばかりいるなと思う方は、いますぐ自分軸を作ることをお勧めします。
※自分軸の作り方を知りたい方はこちらへ。
▼ビジネスライター森川滋之オフィシャルサイト