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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

【自分軸(福)】「求めれば周りが右往左往して世話を焼いてくれる」なんてことはない

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FUCK YOU

ぶち殺すぞ ゴミめら・・・!

おまえたちは皆 大きく見誤っている

この世の実体が見えていない

まるで3歳か4歳の幼児のように

この世を自分中心

求めれば周りが右往左往して

世話を焼いてくれる

そんなふうにまだ考えてやがるんだ

臆面もなく・・・!

甘えを捨てろ

――利根川幸雄(『賭博黙示録カイジ』第5話「遊戯」~第6話「変貌」より)

 

●福本伸行のギャンブルマンガが好き

 

人生を逆転する名言集表紙.pngのっけから「FUCK YOU」とかお下品ですみません。

僕は、「カイジ」、「アカギ」、「天」など福本伸行さんのギャンブルマンガが好きなので、駅前の本屋に福本伸行『人生を逆転する名言集』(竹書房)などという本が積んであると買ってしまうわけです。

そして、買ってから気づく。「あれ? これって昔B6版で買ったやつでは・・・」

でも、同じく大好きな香川照之さんを含む対談が載っていたからいいんです。

それはそれとして・・・。

つらつらと読んでいるうちに、この本の内容って僕が提唱している自分軸と似ているなと思いました。

なにしろ、わが自分軸研究所のHPのタイトルタグには、「起死回生のための自分軸発見なら」などと書いてありますし。

いや、実際は逆で、「俺って、カイジとか福本マンガに影響されてるな」と思い当たったわけです。

そこで、名言を一つ一つ引用して、どんな影響を受けているのかを考えてみるのもいいかと思った次第。

でも、こんなに引用して、著作権的には大丈夫だろうか? 若干心配ですが、毎回こうやって本を宣伝するなら許してもらえるかなと思っています。画像は本の表紙以外は載せないようにしますし・・・。

実際ためになる本です。

 

●『ナニワ金融道』を読んでいなかったカイジ

 

さて、冒頭のお言葉ですが、これは「カイジ」の最初のシリーズで出てきた名言です。「FUCK YOU」が名言というのも、すごいですけど。

カイジは、友人の借金の連帯保証人になってしまって、その友人が案の定逃げたものだから、突然多額の借金を背負うことになってしまいました。さては、『ナニワ金融道』を読んでなかったんでしょうね。

連帯保証人には基本的になってはいけません。せいぜい親・子・配偶者まででしょう。兄弟や叔父・叔母でも、もうアウトです。いとこなんてとんでもない。

親族でさえこのありさまですから、友人とはいえ他人の連帯保証人になるなんて、人生を捨てています。マネーリテラシーが不足している僕でもこのぐらいのことは分かります。

その借金が一晩でチャラになるというので、博打船エスポワールに乗り込んだカイジ。そこには、カイジ以上に脇の甘い人たちがたくさん来ていました。

博打場を取り仕切る利根川という男に対して、甘い人たちは「もっと詳しく説明しろ!」などと罵声を浴びせます。

それに対する利根川のセリフが、冒頭の名言なのです。

 

●説明責任に殺される

 

僕は、最初に勤めていた会社に17年半もいたのに、突然辞めてしまいました。

理由は、説明責任を追求されていやになったんですね。

僕は当時、社内に営業支援ツールを導入する仕事をしていました。専業じゃなく、他にも仕事があったのですが、まさに一人でやらされていました。それでちょっとすねていたのでしょう。

こういうことって、抵抗者がたくさんいるわけです。抵抗者は、一人一人説得していかなければならない。悪いことをしているわけではないのだから、腹を割って話せば、協力者になってくれることもある。

もちろん政治的な動きも大事ですよ。実力者に擦り寄るとか、反対勢力の結束を切り崩すとか。

でも、最終的にモノをいうのは誠意と辛抱なんです。

すねていた僕は、そういう努力をしなかった。

まさに、「この世を自分中心/求めれば周りが右往左往して/世話を焼いてくれる/そんなふうにまだ考えてやが」ったわけです。

当時40歳だったんですけどね。

こういう人が最後にどんな目に会うか。

オフィシャルな場で、次々と「聞いてねえよ」と言われて、オタオタしてしまうのです。

「説明責任」に殺されました。

「FUCK YOU」と言えるだけの強さがあればよかったんですけどね。

いや、その前に、きちっと一人一人を回るべきでした。

 

●甘えを捨てろ!

 

大事なのは、最後の1行。「甘えを捨てろ」です。

結構な地位の人でも、「甘え」の意味を分かっていないことがあるような気がします。

意味が分からないものを捨てることはできません。例を挙げましょう。以前、自分軸のセミナーに来てくださったある管理職の方の例です。

社内ではかなり偉い方のようで、部下に自分軸を持たせたいので、まず自分軸が何かを知りたいということで参加してくださったんです。

ご本人は講義だと思っていたようで、ワークがたくさんあったことにまず怒りを覚えたようでした。「そういうのはセミナーでなくワークショップと言いなさい」と叱られました。

これは僕なりに定義があって、ワークショップというのも別にやっています。こちらはほとんど講義なしで、僕もファシリテーションをしながら一緒に考えるという形式です。

セミナーのほうは、確かにワークが多いですが、講義の理解を深めるという位置づけなのです。元々、セミナーというのゼミナールの略でして、大学のゼミのことです。演習が多くてもいいと思ったんですが、講義しかセミナーでないという方もいたということです。

ただ気になるのは、文句のつけ方がいちいちこんな感じなんですね。正直、本質とは関係のないことです。

終わった後、懇親会に参加されたなら直接本人に真意を伺おうと思ったのですが、ご帰宅になりました。そこで、懇親会では同じチームにいた方にいろいろと聞いてみました。その方は常連で、自分軸について深く理解しています。

「結構悩んでおられたようですよ。答えが欲しかったんじゃないかな。なので、休み時間にどう応用したらいいか話をしたんだけど、納得していなかったようです。自分軸ってまず自分のことを言語化して、自分をどうしたいか考えるものじゃないですか。でも、あの方は他人を変えるツールにしたかったんじゃないかな。」

なるほど。言葉は悪いですが「この世を自分中心/求めれば周りが右往左往して/世話を焼いてくれる/そんなふうにまだ考えて」いる方のようです。

少なくとも部下の方々は、このように感じているのではないかなと、勝手ながら推察しました。

これがまさに「甘え」です。自分が期待すれば、相手が動いてくれるという考え方です。

ただ、僕なんかでも、いまだに人が期待通りに動いてくれないと、かなりすねますので、この管理職の方を非難する資格はありません。

できれば、一緒に甘えの捨て方について考えませんか、ぐらいしか掛ける言葉がないのです。

でないと、この方もそのうち「説明責任」という部下からの突き上げにつぶされるのでなかろうかと、僕は心配しています。

 

●甘えを捨るには

 

で、思うんですが、僕のことは棚上げさせていただいて、やっぱり自分軸を明確にするしか、甘えを捨て去る方法はないんじゃないかと。

まあ、こんな風に結論づけるのは、過度な一般化であり、手前味噌ともいうのだけど、最近は特にそのように感じるようになりました。

僕の提唱する自分軸とは、「誰に・何を・なぜ」提供しているのかを明確に言語化する、ということです。

こんなことで、なぜ甘えを捨てられるのかというと、肝は「なぜ」の部分にあります。

「なぜ」を結構突き詰めるんですよ。最初に出てきた「なぜ」に対して、あと3回「なぜ」を繰り返しましょうと言っています。

出てきた「なぜ」に対して、そう思うきっかけになった経験を思い出す。次に、そのときに思ったことを改めて思い出す。それを基に自分の真意を見つけ出す。

これをやると、初心だとか理念だとかが見えてきます。

こういうものが見えてくると、「この世を自分中心/求めれば周りが右往左往して/世話を焼いてくれる/そんなふうにまだ考え」るなんて、ナンセンスなことになるんです。

ただし、そういう気持ちは長くは続かないので、定期的に見直さないといけないんですけどね。

 

なお、タイトルの【自分軸(福)】という記号は、『人生を逆転する名言集』からネタを取ったという意味です。

 

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