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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

顧客がイライラしているのは専門用語のせいか?

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「専門用語を使わずに分かりやすく話せ」。イライラした顧客にこういわれる人(ITエンジニアに限らず)は多いと思う。

ということで、できる限り専門用語を使わない、使うならカッコや脚注で解説せよ、という指導がなされる。

でも、これは瑣末というか優先順位を取り違えた話だと思うのだ(テクニックの指導としては有効だが、その前に教えることがあるという意味で)。

なぜなら、顧客をイライラさせる人は、たとえ一言も専門用語を使わなくても、やっぱりイライラさせるからだ(注)。

しかし、多くの企業ではこのような指導しかなされていない。なので、イライラさせる人はいつまでも顧客をイライラさせる。

では、本当はどういう指導をすればいいのか?

(注)第一どこまでが専門用語なのかというのも難しい。僕はある客先で「データベース」という言葉を資料に使ったら、担当の部長から変更依頼をされたことがある。うちの役員(東大出がほとんどである)は「データベース」という言葉が理解できない、というのが理由であった。できる限りITの専門用語を使わないでとのリクエストに応えた資料だったのだが、さすがに「データベース」をどう言い替えるかには悩んだ。ここまでくると普通のIT関連の資料なら、ほとんどの言葉に脚注が必要になってしまう。

 

ぜ、こんなことを書こうと思ったかを、まず書いておきたい。

先日、誠ブロガーの島田徹さん荒木亨二さんと三人で赤坂のおでん屋ごだいごで呑んでいた(荒木さんは、もう誠ブログに書くつもりはないので、元・誠ブロガーとしてくれと言っていたが、誠ブログにコンテンツの残っているうちは誠ブロガーでよかろう。ああめんどくさいw)

そのときに、僕が島田さんの会社を取材して書いた記事の話になった。@IT自分戦略研究所の「SEの未来を開く、フルスクラッチ開発術」という連載のことである。

島田さんと僕はIT業界の人間だが(僕は元)、荒木さんはあまりこの方面は詳しくない。読者はITエンジニアなので、バリバリ専門用語が出てくる。といっても簡易なものばかりだが、門外漢にはややつらい。

その記事を荒木さんが一通り読んでいて、しかも面白かったと言ってくれたので、島田さんと僕は驚いたのであった。

「いや、確かにフルスクラッチとか言われても何のことかは分からないけど、島田さんや森川さんが何を言いたいかはよくわかったよ」と荒木さんは言うのである。

 

51D0kLzQLFL__AA160_.jpgれで思い出したのが、僕の処女作『SEのための価値ある「仕事の設計」学』のことだった。

280ページ、25万字の結構なボリュームの本である。対象はタイトルをみれば分かるようにSEである。彼らのキャリアアップの参考になればと書いた本だ。

まず、叔母が電話で感想をくれた。「IT用語は全然わからんかったけど、面白かったよ」

叔母は当時70歳になるかならないかである。もちろんITのことなど全然知らない。

次に感想をくれたのは義母であった。こちらは妻の両親なので、いちおう本を出しましたよという挨拶代わりに献本した。読まなくても飾っておいてくれればぐらいの気持ちだった。なにしろ義父も義母も70歳を超えている。

なのに全部読んでくれて、叔母とまったく同じ感想をくれたのであった。

ただ、ここまでなら親戚の内輪褒めかもしれない。僕がもっとも驚いたのは、当時行きつけだった(今はたまにしかいけない)銀座のバーのママがわざわざ買って読んでくれて、やはり同じ感想をくれたことだった。彼女は当時40代後半。もちろんITはよくわからない。

なぜ、このようなことが起こったのだろうか?

この理由と、冒頭の問い「本当はどういう指導をすればいいのか?」が繋がることに気づいたので、この記事を書いている次第だ。

※写真はアマゾンから拝借しました。リンク先はアマゾン・アソシエイトです。ご留意ください。

 

し回り道をする。必要な回り道だ。

ロラン・バルトという人がいた。構造主義とくに記号学の大家として有名な人だ。

構造主義や記号学について知らなくても大丈夫。また今から、少々記号学の専門用語が出てくるが、たいして難しい概念ではないので安心して読んでほしい。僕も入門書の受け売りで書いている。

バルトは、言語に3つの規制があるということを主張した。

ラング、スティル、そしてエクリチュール(注)である。

ラングは、生まれて最初に習得する言語、つまり母語と思っていただければよい。日本人なら日本語だ。日本語の文法や語彙が日本人の思考に影響を与えるというような話は、どこかで聞いたことがあるだろう。

スティルは、通常「文体」と訳される。言葉遣いの癖ぐらいの理解で、ここではいいだろう。僕の文章には僕の癖があり、読みなれた人なら僕の書いたものだと分かる。こういうのがスティルである。

エクリチュールは、「言説」と訳されるが、これでは何のことかわからないだろう。特定の集団で好んで使われる言葉遣いと思えばいい(本来は書き言葉を指す)。

言葉遣いで所属や職業が分かることが多いのは、感じておられると思う。女子高生には女子高生の話し方がある。鳶職には鳶職の言葉がある。暴走族っぽい話し方もある。ITエンジニアにも、官僚にも、警察官にも、それぞれある。

こういうのがエクリチュールである。これは言語だけでなく、服装、身のこなしなどあらゆることを規制する。

日本では割とゆるいのだが、ヨーロッパでは階級と結び付くので一度身に付けたエクリチュールは一生変えられないのだそうである(映画「マイ・フェア・レディ」を思い出してほしい。階級にふさわしい言葉づかいを身につけさせるということがキモだった)。

日本でも、江戸時代はエクリチュールがきつい社会だった。武士と商人では言葉づかいも服装も何もかも違っていた。

以下重要なのは、エクリチュールである。

(注)ここでは、『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)という入門書を参考に書いている。エクリチュールは、本来書き言葉のことであり、本記事での意味合いはそれを大きく逸脱しているが、「その思想家の数だけ、その意義が存在すると言っても過言ではないため、留意が必要である」(Wikipedia「エクリチュール」)とのことなので、諒承されたい(ここでの「思想家」はバルトというより内田氏かもしれない。僕の誤読であれば、内田氏に対して多謝)。また、読者も本記事のような意味でエクリチュールといっても通用しないことがあるのに留意されたい。

 

う一つ説明しておきたいのが、ジャーゴン(仲間内でしか通用しない符牒)である。

 『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』を読むと、いたるところで「ジャーゴンは使うな」と書かれている。

この場合、ジャーゴンというのはITの専門用語を指すのだろうと読者は思うに違いない。

もちろん、それも含まれる。

ただ、ここまで読んでくださった方なら、もうお気づきであろう。

ジャーゴンはエクリチュールと密接に結びついている。女子高生のジャーゴンは、女子高生のエクリチュールと離れて存在しない。

つまり「ジャーゴンを使うな」というのは、エクリチュールを捨てろということに他ならない。しかし、ジョブズは、自分のエクリチュールを捨ててはいない。

たとえば、「今度のiMacにはインテルの××××を採用した」などと平気で言う。これはまさしくジャーゴンである。

もちろんジョブズは、直後に解説を加える。「こいつはすごいんだ。今まで1分かかっていた××の処理が、5秒で終わるようになるんだ」というような分かりやすいイメージを提示する。

しかしながら、IT業界のエクリチュールをジョブズは捨てない。第一にファッションがいかにも業界の人だ。

できるだけIT業界のエクリチュールを排除しようと、人前ではスーツでプレゼンするビル・ゲイツとは明らかに違う。

 

は、なぜジョブズの話は伝わるのか?

エクリチュールは捨てていないが、自己のエクリチュールを十分意識しているからだ。

俺には俺のエクリチュールがあるけど、心配ないよ、たいして難しい話はしない、だから君たちもこのエクリチュールの中に入ってこいよ、仲間になろうぜ!――そういうメッセージ(もちろんジョブズはエクリチュールなんて言葉は使わないだろうけど)がジョブズのプレゼンにはある。

だから、みんなジョブズの話に熱狂するのである。

 

うお分かりだろう。

顧客をイライラさせる説明をする人は、自己のエクリチュールを意識していないのだ。

エクリチュールというのは基本的に排他的なものだ。僕らが女子高生のグループに入り込んで行けないのは、彼女たちがエクリチュールで武装しているからだ。お互い同じ日本語(ラング)を話していても、言葉(エクリチュール)が通じない。

でも、たとえば女子高生たちが、私たちはこういう言葉(エクリチュール)をつかっているけど、教えたげるから一緒に話ししようよ、と言ってくれたらどうだろうか?

照れながらも、それじゃあ、と入っていくことだろう。

ジョブズのやっていることはこういうことである。

イライラさせる人は、これができない。それが顧客から見ると排他的に見える。結果としてイライラする。

 

うやく冒頭の問いへの回答である。

我々は、顧客をイライラさせる人にどのような指導をすればいいのか?

自己のエクリチュールを意識して、そのエクリチュールの中に相手を巻き込むように話せ――ということになるのだが、いきなりこんなことを言われてもキョトンとするだろう。それに具体的にどうしていいかさっぱりわからない。

では、言い替えよう。

「思いのたけをこめて、伝えたいという気持ちを伝えよ」

これに尽きる。このことをまず指導しなければならない。

 

体例を出そう。

内田樹さんが、『街場の文体論』という本に以下のように書いている。20代のときに初めてエマニュエル・レヴィナスというフランス系ユダヤ人の思想家の本を読んだときの話だ。

それは『困難な自由』という本でした。ユダヤ教についてのエッセイ集でしたが、僕には何が書いてあるかまったくわからなかった。フランス語もひどくむずかしかったけれど、それ以上にそこで扱われているコンテンツがまったく未知の世界のものだったからです。(中略)表層的なレベルでは、まったく意味がわからなかった。でも、その文章を書いている人の「わかってほしい」という熱ははっきり感知できた。ほとんど襟首をつかまれて、「頼む、わかれ、わかってくれ」と身体をがたがた揺さぶられているような感じがしたのです。

これをきっかけに、内田さんはレヴィナスを研究することになる。一つ分かった気になると、また一つわからないことが出てくる。やっかいなことに、レヴィナスはすぐに前言撤回する。なので振り回される。でも、わかりたくてわかりたくて40年ぐらい読んでいたら、多少わかるようになった(と内田さんは謙遜するが、日本では一番分かっている人なのだろう)。

レヴィナスはフランスの学者だ。フランスはエクリチュールのきつい国で、学者の言説は一般の人にはまったくわからないのだそうだ。同じくフランスの有名な思想家ミシェル・フーコーは自分の書いていることがわかるのは、この国では6000人ぐらいだろうと言い、その6000人を相手に本を書いたのだという。

なので、レヴィナスも自分のエクリチュールは捨てない。捨てたくても、捨てられない。でも、わかってほしいという気持ちは伝えようとする。その気持ちは遠く極東の島国にまで届く。

 

の処女作が、叔母や義母や銀座のママに伝わったのも同じ理由だ。

他の本で手抜きしているわけではないのだが、処女作というのはやはり別格である。10代、20代に処女作が出せたならともかく、40歳を過ぎてからの処女作は、それまでの人生の思いのたけがすべて込められている。

伝わってほしいという気持ちがまったく違う。

もちろん対象読者に伝わってほしいという気持ちだ。叔母や義母やママのために書いたわけではない。

それでも、伝わってほしいという気持ちは伝わる。結果として、言いたいことも伝わる。

@IT自分戦略研究所の記事も、処女作ではないが、実は久しぶりに通ったこちらからの執筆企画であった。これも伝わってほしいという思いが、かなり強かった。それで、門外漢の荒木さんにも伝わったのだと思う。

伝えたいという気持ちが伝われば、相手はイライラしない。伝えたいという気持ちが先であれば、「専門用語はなるべく使わず、使うときは注を加える」というテクニックも有効なものになる。

しかし、伝えたいという気持ちが伝わらなければ、専門用語を一切使わなくても、相手はイライラする。

僕も、正直このことを忘れがちだ。記事があまり読まれないときに読者におもねったり、変なテクニックを使ったりしたことは一度や二度ではない(100回は超えているだろう)。しかし、それではダメなのだ。

アクセス数を増やそうとして姑息なことをするよりも、一人でも二人でもいいからとにかく伝わってほしいという気持ちで書く方がいい。

 

後に、今回の話とは関係ないが、思いのたけを込めた本があまり売れていないのが無念に思えてきた。僕よりも本が不憫になってきた。だから宣伝させてください。

この本を読んで、僕のセミナーに来てくださった方は数十人いるのだが、そのうちの二人を紹介したい。どちらも30代の男性で、一人はSE、もう一人はIT営業だった。

二人とも鬱病で自宅療養中に、本屋でたまたま『SEのための価値ある「仕事の設計」学』を見つけて、買ってくださった。療養中は会社を辞めようとも思ったのだが、おかげで職場復帰できました、とのこと。

数千部しか売れていない本である。なので、二人もこういう人がいるのは、すごいことだと思う。陰には、まだ何人かいるかもしれない。

最新のITについて書いてある本ではないので、古びてはいない。キャリア形成に悩みのある方は、一度読んでください。買うまでもない。図書館で取り寄せてくださっても結構です(一部の図書館には置かれているらしい)。

 

記事に共感した方は、ぜひ下記のサイトにもお立ち寄りください。

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 Who、What、Whyの3Wメソッドで、行き詰まりからの起死回生を!

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