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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

無責任な肯定は、やっぱり罪

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2012070601.jpgカイジ語録カレンダーなどという、気が滅入るのか、奮い立つのか、よくわからないカレンダーを座右に張り出している。

なにしろ、サブタイトルが「心に痛い125の格言」である・・・。

今ちょうど開いているの(右写真)などは、かなり心に痛い。

素人にとって

自力で辿り着いたアイディアは特別でのぉ......

大した考えでなくとも大変な閃きに感じられ......

なんの吟味もなくあっさりそれに沿おうとする...

疑い続けること、不安であり続けることが.........

ギャンブルで生き残るために最も必要な心構えなのに

素人ほど、すぐそれを捨てる...............!

 

ぐれたギャンブル小説(『麻雀放浪記』など)に、ギャンブル好きでない人までが感動するのは、そこに人生の縮図を見るからだろう。

そういう意味で、上の転載の「ギャンブル」を、「ビジネス」や「人生」に容易に置き換えることができる。

そう。素人の考えなど、本当に浅はかなものである。

たとえば、独立したい、起業したい、新事業を興したい、と言っている人がいたとする。

独立したことのない人は独立の素人である。起業も新事業も同じ。

これらの人々のプランが、これはすごい!と思うことはめったにない。1%あるかないかだ(そういう意味で独立したくてではなく、やむにやまれず独立した人のほうが成功する。必死さが全然違うからだ)。

では、なんとなくうまくいかなさそうな人がプランを持ってきて、独立したいと相談してきたとしたらどうすべきであろうか?

 

100%受け入れて、背中を押してあげるという人がいる。

「やるだけやってみなよ。やらないと後悔するんだろう?あきらめずに続ければ、必ずうまくいくよ」

僕は、これほど無責任な言葉はないと思う。

実際、僕自身が同じような局面でそのように言われた。何人かの人がこのように言ってくれた。

たぶん、反対しても言い返してくるだけだから面倒だと思った人もいたのだろう。中には、僕を信じて大丈夫だと思ってくれた人もいたかもしれない。

いずれにしろ、その後僕はドツボにはまった。

背中を押してくれた人たちを恨む気持ちはない。自分の選択なのだから自分の責任だと思う程度の分別はある。

ただ、僕がその後息を吹き返せたのは、「森川君、これじゃあ、君は食っていけないぜ」ときっぱりと言ってくださった方のおかげだった。

 

ドバイスということが難しいのは事実だ。

相談してくる人の多くがすでに自分の意思を決めている。それについてとやかく言われると逆切れされるか、陰で悪口を言われるかのどちらかだ。

また、自分の意見を押し付けてはいけないというのは本当だ。自分がやられてみれば分かる。

なので、相談されるのは面倒くさい。

相談相手の意見を聞くというのが基本であるが、忙しいときだったら、もう自分の意思が決まっているなら、勝手にやってくれと言いたくなる。こちらの意見をいうと反発されるのが常なら、どうせ相手の責任なんだし、もう100%肯定しちゃえ、ということなのだろう。

 

かし、親子関係で考えると、これは愛情のない態度だ。

まともな親なら、ミュージシャンになりたいとか、芝居で食べていきたいという子息を、まずは叱り飛ばすのが愛情というもので、それでもやりたいなら勝手にせい、というのが正しい親子関係ではなかろうか。

親に反対されたぐらいであきらめるようなら、はなから無理だからだ。

だから、100%肯定という態度には、僕は愛情を感じることはできない。逆に突き放された感じがする。

ただ、親子でもない他人のためを思って、切れられたり、悪口を言われるのもせつない。

ならば、どう答えたらいいのだろうか?

 

局、自分で気づいてもらうのが一番だと思う。

自分の意見は一切言わない。これが基本だ。明らかに自分が正しいと思っても、言わないのが一番だ。

相手が「どうか意見を聞かせてください」と手をついて懇願するのであれば、それは相手が自分をメンターだと認めているということなので、「本当にいいですか?」と三回聞いてから、開陳すればよい。

しかし、そのようなことはめったにない。相談者というものは話を聞いてもらいたいだけであって、話を聞きたいとはあまり思っていない、と割り切るのが基本原則、第一公理だ。

となると、こちらができるのは質問である。質問によって、相手がどれだけきちっと考えているかを探り、自分で本気かどうかに気づいてもらうのが一番だ。

 

だ、質問で相手に気づいてもらうのは、なかなか難しい。

そこで、使うのが自分軸だ。僕は、<「誰に・何を・なぜ」提供するのか>を自分軸と呼んでいる。

(自分軸について詳しく知りたい方は、こちらを購読されることをお勧めする。)

この3つが自分の中ではっきりしていない人が新しいことを始めてもなかなかうまくいかない。

自分軸の聞き方は、「誰に」⇒「何を」⇒「なぜ」⇒「誰に・何を」へのフィードバック、という順番になるが、相談を受けた場合は「なぜ」から始めてもいいかもしれない。

一通り、相手が何をしたいのかを聞いて、いったんは受け止めてから、「なぜ、そういうことがやりたいのか」を聞いてみるのがいいだろう。

尋問口調は禁物だ。たとえば次のように聞く。

「へえ。ありかもしれないね。ところで、何でそんなことをやろうと思ったの?」

きちっと考えている人であれば、嬉々として話を続けるだろう。ただ、単なるあこがれだったり、抽象的だったりすることを最初は言うだろう。

そのような話が続くようだったら、息継ぎしたときに割り込んで、「うーん、何ていうかなあ、本気で夢かなえてる人って、どうしてもやりたい・続けたいと思った具体的なエピソードがあるじゃない? そういうのが聞きたいんだけど」と具体化を促す。

考えていない人は、ここで止まる。そうだったら、「そっか。そういうのがないと続かないと思うんだよね。ただ、きっと忘れてるだけだよ。思い出したら、また聞かせてよ」と打ち切ってもいいと思う。

 

こもクリアできたなら、次は「誰に」だ。「分かった。本気なんだね。じゃあ、どういう人に一番届けたいの?」というふうに聞く。

考えている人は、この辺もクリアだ。しかし、ただ憧れているだけの人だったら、全然出てこない。

全然出てこないのなら打ち切るのが無難だ。ちょっと残念そうな顔をして、「ごめん、ちょっと次の用事があるので・・・」といえば、察する人は察するだろう。察しない人の背中を押してはいけない。

しかし、「なぜ」が明確な人は、「誰に」もちょっと考えると出てくるものだ。

「そうだな。ちょっと抽象的かもしれないけど、以前の自分みたいな人だよ」「そっか。じゃあさあ、もうちょっと具体的に言語化できる?」「うん。・・・」という感じで話が続く。

ある程度明確になったら、次は「何を」を聞く。

「なるほど。××で○○な□□って感じの人に向けて、役に立つことをしたいんだね。じゃあ、そういう人たちに何を届けたいんだろう?」

最初は具体的な商品やサービスについて言うに違いない。しかし、それだけでは成功は難しい。

どんな商品かサービスかある程度言えたなら、最後にこう聞こう。「それが相手に届いたら、相手はどういう気持ちになるんだろう? どう嬉しいんだろう?」

ここまで答えられたなら、ほぼ成功間違ない。安心して、背中を押してあげていい。ただ、そんな人はほとんどいない。

詰まったところで、「ごめん、ちょっと次の用事があるので・・・」といって、察してもらうことにしよう。彼は、そこから考え始めるだろう。

 

分軸が明確な人なら、苦労はあっても何とかなるだろう。僕は、自分軸が明確がないときに背中を押されて、ひどい目にあった(それは、もちろん自分の責任だが)。

自分軸が明確なのに、まだアドバイスを求める人は、本気で知りたい人だから、How(どうやるか)やWhen&What(いつまでに何をやるか)などの具体的な話をしていけばいい。ようやく、あなたの知見の出番である。ただ、それについても、相手に考えさせるコーチングの手法が有効だろう。

最後まで押し付けないことが基本だが、簡単に受け入れてもいけない。この段階になれば、疑問は疑問としてはっきり口にしても、相手も信頼感を持ってくれているので、人間関係が壊れるということもない。

 

ちろん、すべてこのように対応しろというわけではない。

相手にしないほうがいいケースもあるし、叱り飛ばしたほうがいいときさえある。 ただ、受け入れるだけでいいときもないわけではない。

それに、ある程度愛情が持てる相手でないと、こんな面倒な対応は難しいだろう。

一番いけないのは、無責任な肯定をすることである。

しかし、相手のためを思って嫌われるのはつまらない。

無責任な肯定のような対応をするのは、相手のためにもなりたいのだが、そのためのノウハウを知らないからだろう。そう思って、自分なりの方法論を書いた。

何かの参考になれば幸いです。

 

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