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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

【書評】『無理』奥田英朗

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無理上.jpg帯の『一気読み、必至!!』(上巻)、『寝不足、必至!!』(下巻)の惹句にひかれて、文庫本上下巻を買ってしまったのだが、本当にその通りになってしまった。

まったく夢も希望もない物語である。でも、読み出したら止まらない。他人事(ひとごと)でないからだろう。

著者は奥田英朗氏。精神科医・伊良部シリーズで有名。

上巻の裏表紙から、あらすじを引用させてもらう。

合併で生まれた地方都市・ゆめので、鬱屈を抱えながら暮らす5人の男女――人間不信の地方公務員、東京にあこがれる女子高生、暴走族あがりのセールスマン、新興宗教にすがる中年女性、もっと大きな仕事がしたい市会議員――。縁もゆかりもなかった5人の人生が、ひょんなことから交錯し、思いもよらない事態を引き起こす。

引用させてもらって何だが、「縁もゆかりもなかった5人の人生が、ひょんなことから交錯し、思いもよらない事態を引き起こす。」という部分はいただけない。

5人の群像劇であり、順番に主人公が移り変わりながら、最後のまったく救いのないクライマックスに到達する。確かに微妙な接触はあるのだが、これだと、5人がもっと絡み合いながら話が進むように思ってしまう。本当に絡み合うのは、最後の最後だけだ。

そこがちょっと残念ではあったが、実際に最後まで一気に読んでしまったので、小説としては面白い(内容にはまったく救いがないのだが)と思った。

この書評では、「人間不信の地方公務員」と「新興宗教にすがる中年女性」に焦点を当てて、評したいと思う。

※画像は、Amazonより拝借しました。画像をクリックするとAmazonアソシエイトに移動します。ご注意ください。

 

書は、単行本が文庫化されたもので、単行本の発行は2009年9月。つまり、自公連立政権から民主党政権に移り変わった時期に発行されている。当然だが、執筆されたのはそれ以前だ。

最初、それに気がつかず、奥野氏は実にタイムリーなタイミングで、しかも短期間で長編を一本書いたのだなあと思った。

というのは、「人間不信の地方公務員」相原は、ケースワーカーだからだ。つまり、生活保護の支給を決める側だ。

小説の舞台のゆめの市では、これまで実に甘い審査で生活保護を支給したいたのだが、市の合併に伴い、生活保護支給額の抑制を決め、厳しく審査をするようになった。

比較されているのが大阪市(実名!)というのがリアルだ。大阪市とほぼ同じ水準で、かなり問題とされているという設定だ。

不正受給者に減額や辞退をさせるのはもちろん(そのために警察OBまで雇っている)、入口も厳しく制限しはじめた。

そのため、40代で鬱病で高齢の母親と同居しているので生活保護を支給してほしいという申し入れを相原は無碍に却下(上司も当然という)。数日後、高齢の母親が凍死する。

餓死でなくて、凍死でよかった(マスコミが騒がないから)という社会福祉事務所の安堵の仕方が、これもまた妙にリアルだ。

この凍死事件以来、相原は壊れていくが、これがまたとんでもない壊れ方だ(詳細は書かない)。

ということで、つい最近話題になったことが書かれているので、この2ヵ月ぐらいで書いたものと勘違いしたわけだ(考えたら、それこそ「無理」なのだが)。

要するに自民党時代から何も変わっていない。だから何だ、という話ではない。

『無理』には、生活保護の話だけでなく、現在でも変わらない社会問題が満載であり、それに対してまったく救いがない――少なくとも地方都市では――ということが執拗に書かれている、ということが言いたいだけだ。

ゆめの市は日本の縮図なのだろう。

東京ももはや例外ではない。日本中がゆめの市になっている。

しかし、増税ぐらいしか打開策はないのが現在の状況なのだろう。なので、使い途も決めないうちに増税だけが決まったのだと信じたい。

 

 は、このような状況で我々はどう生きていけばいいのか?

『無理』に出てくる5人の男女は、ある意味今の日本の典型的な人物像なのかもしれない。

5人とも救いがないという意味では同じなのだが、ここでは「新興宗教にすがる中年女性」妙子の生き方を見てみよう。ある意味、サイアクだ。しかし、僕と同世代の人には一番身につまされる登場人物かもしれない。

妙子は48歳。バツイチの独身だ。子供はいないが、もうすぐ老衰で死にそうな母親がいる。その母親の介護を巡って、長男夫婦と対立している。妙子と実の妹は相続放棄をしているので、長男夫婦が面倒を見るのが当然と思っているが、長男夫婦が母親をないがしろにしているので義憤を感じている(本当は、自分の孤独死が恐ろしく、それが母親に投影されているだけなのだが)。

妙子は、スーパーの保安員の職を得ている。万引きを捕まえる仕事だ。万引きするようなのは人間のクズだと思っているので、それを責め立てることに快感すら感じている。

保安員の給料は安いが、女一人生きていくにはなんとかなる額だ。しかし、病気をしたら終わりだという不安がある。その不安から逃れるため、現世利益はあきらめて来世に望みをつなごうという新興宗教沙修会にずっぽりはまっている。

沙修会での説教会の描写は、まさしく洗脳そのものなのだが、妙子や友達の信者たちは自分たちが洗脳されていることにまったく気づいていない。信者から搾り取る他の新興宗教とは一線を画していると本気で思いこんでいる。とくに対立している宗教団体万心会はそうだと信じ込んでいる。

妙子は、万心会とのトラブルに巻き込まれて、保安員の仕事を首になる。万心会の信徒が、妙子が保安員なのを知って、万引きしたように見せかけるという罠を仕掛けるのだ。派遣社員である妙子は誤認補足を理由に容赦なくその場で首にされる。

収入がなくなったうえ、貯金は半年も持たない。その上、長男が母親を劣悪な介護施設に押し込んだのを見て、母親を自宅にひきとってきてしまう。

こうなると沙修会の幹部になり、母親ごと沙修会に引き取ってもらうぐらいしか道がない、と妙子は思い込む。しかし、沙修会の対応はあまり温かいものとはいえない。

それでも手柄を立てればなんとかなると、自分を嵌めた相手がいる弁当工場に抗議をしにいく。ところが、その弁当工場は万心会が運営している工場だった。しかも、抗議をしにいったのに、向こうは求職にきたと勘違いし、やさしく接する。

給料も割といいので、妙子はここで働こうと決める。優先順位のトップが信仰から生活にかわったのだ。そうなのだが、依存先がかわっただけでもある。この辺も、リアルだと思った。

この時点である意味希望が見えたきたのだが、それもクライマックスで叩き潰されることになる。

 

は、何も信仰が悪いと言いたいのではない。

人間、心の支えが必要である。それが信仰だろうと占いだろうと、あるいは市民活動でも、心の支えであるうちはいい。

ただ、妙子のように依存してしまうと問題が発生する。そして、多くの場合、依存していることに気がついていない。

先日、洗脳の話を書いた。洗脳自体がいいとは言わない。ただ、世の中ではあらゆるところで"洗脳"のテクニックが使われているのも事実だ。

洗脳について知らないと、すぐに依存型人間になってしまう。

自立しようなどと呼びかけている集まりに限って、その集まりに依存する人間を作り出す。しかし、そこに参加している人たちは自分が自立型人間だと思っている。自分が依存型だなどとは、これっぽっちも気づいていない。

洗脳は、宗教団体だけの専売特許ではないのだ。

そうならないためにも"洗脳"について知ろうという主旨で書いたつもりだ(だから、自分もそのテクニックを使うことがあると正直に書いた)。

自分に依存させることで儲けをむさぼる連中を僕は嫌っているのだ。自分で動こうとする人間の助けになるのであれば、同じテクニックの善用だと僕は思う(線引きは微妙だが、本音は"洗脳"のテクニックの知識があれば、あとはある程度話をすれば分かる)。

『無理』に出てくる登場人物で、依存型は妙子だけではない。主人公の5人もそうだし、それをとりまく登場人物たちも何かに依存している人間ばかりだ。

何かに依存しているだけだは、先に希望がないのはあたりまえだ。僕自身、『無理』のあらゆる登場人物を他人事と思えなかったのだけど、あえてこう言い切る。

人間、生きている限り、他の人間との関わりが発生する。そのときに、<「誰に・何を・なぜ」提供しているのか? >(僕は、これを「自分軸」と呼んでいる)が明確でない人間は、人に依存して生きているだけだと思うのだ。

提供できるものがあってこそ、人と対等な関わりあいができる。

『無理』を読んで、その思いを新たにした次第だ。

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