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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

キャンプ場のオヤジ力向上計画

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先日、営業コンサルタントのOさんと飲みながらいろいろと悪巧みをしていた。

そのときに二つの事業計画(笑)が出てきたのだが、そのうちの一つはオヤジ力の向上だった。

 

のブログでは過去何回か、男女それぞれの異性化が進んでいるとか、夫婦における男女の役割分担は変わりつつあるとか、そのようなことを書いてきた。その筆者がオヤジ力などというのは一貫性がないと思うかもしれない(ついでに、一貫性などクソの役にも立たないということも書いた)。

しかしながら、前記の記事がどちらかというと現状におけるマイノリティに対する僕なりの肯定であったのは、現実をきちっと見ている読者にはお分かりのことであろう。

世の中では、お父さん―お母さん―子供という関係性と役割分担はいまだに存在しているどころか、それがマジョリティであることは言うまでもない。少なくとも10年はマジョリティだろうし、異性化が進んでいるとはいえ、男女という概念が存在する限りは変わらない部分もあるだろう(もう女装も許すけど、力仕事はやっぱりしてね、みたいな)。

マイノリティを擁護するあまりマジョリティを無視するのはいけないことであり、そんなことをしていたらメシは食えないのは、歴史が証明している(あまりにも先端的な人は、餓死したり狂死したりする。ゴッホやニーチェを見よ)。

ということで、今日の僕はオヤジたちの味方だ。

 

ヤジ力を発揮しようと、世のオヤジたちは日夜がんばっている。僕は子供がいないので、感情移入できない分、かなり客観的に冷静にその姿を観察できる(なお、以下は僕の観察に基づく事実だし――外でオヤジと遊んでいるのは男の子が圧倒的に多い――僕自身も男の子だったので、男の子に偏っていると思われます。そのあたりはお許しを)。

一番良いのは、仕事に励むことなのだが、ただそのことが本当に評価されるのは、自身の子供が仕事で苦しい思いをするようになってからというのも冷厳たる事実である。

やっぱり子供が一番かわいい頃に評価されたいではないか。

ということで、世のオヤジが一番がんばるのはスポーツ関係のようだが、これは最悪の選択の一つである。

子供はお父さんと一緒にスポーツをしたいとは実はあまり思っていない。父親とのキャッチボールの思い出を語る人もいるのはいるのが、これはどこかで過去の記憶が歪んでしまったに違いない。いま現在、しみじみしているだけのことなのだ。

というのは、近所の公園で子供とキャッチボールをしたり、サッカーをしたりするお父さんはあとを絶たないのだが、お父さんと一緒にうれしそうに遊んでいる子供はほとんどいないからだ。

中には、へたくそと子供を叱りつけるお父さんまでいて、とても見ていられない(おまえは星一徹かと言いたくなる)。

これは子供が小学校低学年ぐらいまでのケース。高学年になってくると、今度はお父さんのほうがへたくそだったりすることも多く、こうなると最悪である。

そもそも小学校も高学年になると、周囲にはお父さんより野球もサッカーもうまい人がたくさんいて、それと比較されてしまうだけである。

それでもお父さんが遊んでくれることが尊いなんてことに子供が気づくのは、20年後ぐらいだ。

自分はあまり上手くなくても、コーチの資格を持っている人がいる。こういう人はいい。原理原則が分かっている人の指導は、子供たちにも心地よい成長をもたらし、尊敬の念を抱かせるであろう。

こういう人でない限りは、スポーツでオヤジ力を見せつけようとしても、ほとんどは失敗する。学校で、「日曜日はオヤジのサッカーにつきあってやったけどサイアクだったよ」と言われるのがオチである。

 

棋などの知的な勝負事もできれば避けたいものの一つだ。

才能のない子供はすぐに嫌になるだろうし、才能のある子供はすぐにお父さんを追い抜いてしまう。

たまたま実力伯仲というのなら、それなりに楽しいかもしれないが、勝率が5分5分だとお父さんの権威はやはり地に落ちてしまう。

では、お勧めは何かというと、アウトドアか工作だ(あとは楽器のやれる人は楽器だ)。

これは下手な人は明らかに下手なのだけど、上手いということに対しては基準はない。オートキャンプの有段者なんていないわけです。

 

ヤジ力に関していえば、もう一つ重要なことは、お母さんを絡めるということだ。

スポーツもインストラクターの資格を持つ人が家族でテニスをやるのであれば、良い選択になり得る。スポーツオヤジの多くが母親を絡めることを忘れているのがいけない。将棋も同様である。

そういう意味では工作も少し弱い趣味だ。作ったものの出来が非常に良くても、お母さんからするとまた一つ家に邪魔なものが増えたという評価になってしまうことが多いからだ。

ただ、子供にとっては工作の上手なお父さんは最高に尊敬されるので難しいところだ。もしやるなら、家で必要とされるものに限って作ろう。あるいは廃材で船を作って、写真だけ撮ってすぐに捨てるというのも好ましい(この場合は板をわざわざ買ってきてはいけない)。

お父さんがオヤジ力を発揮しようとがんばっているのがときたま非常にイタいのは、下図のような状況になっているときである。

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の一番のお勧めはアウトドアなのだが、これがもっとも上図のような状況になりやすい。僕は長年オートキャンプをやってきたのだが、何度もそのような状況に遭遇してきた。

キャンプ場に行くと、子供が遊んでくれないのでごねる子供オヤジをたまに見かける。これはもちろん最悪なのだが、さすがに少数派だ。

罠は、一番喜ばれていると思っているところに存在する。それはアウトドアでの料理だ。ふだん料理しないお父さんがアウトドアでは率先して料理をする。それがオヤジ力だと勘違いしている人が多いのである。

僕は「主夫ライター」を名乗っているので、キャンプ場でも食器の後片付けをする。

もう何十回もキャンプに行っているが、キャンプ場の洗い場でお父さんの姿を見かけることはほとんどない。たまに正しいキャンパーがダッチオーブンを自分で片付けているのに遭遇するぐらいだ。食器を洗っているお父さんはまずいない。

なので、キャンプ場の洗い場でどのような会話が繰り広げられているかを見聞したお父さんはほとんどいないはずだ。今からお目にかけよう。家族ぐるみでキャンプ場に来た奥さんたちの会話だ。

A 「男って、何でキャンプなんか好きなんでしょうねえ」

B 「ね~(激しく同意)。たまの休みに、何で洗い物なんかしないといけないんでしょうねえ。水が冷たくてあかぎれしちゃう」

A 「炭をおこすとかさあ、そんなところだけ張り切っちゃうのよねえ。火遊びが好きなんだから(爆)」

B 「私なんか、虫とか日差しとか大嫌いなんだけど、子供は自然に親しませないといけないなんて正論で来られると弱いのよね。それに子供も行く前は喜んでるのよ。来たら、お父さんばかり喜んでるんだけどね・・・」

A 「あら、うちの子は父親に似たのか、はしゃぎすぎで他のご家族に迷惑かけてないかばかり気になっちゃう。ほんと、ストレス」

B 「旅館だったら、もっと美味しいものを食べて、後片付けまでしてくれるのにねえ。やっぱり温泉にすればよかった・・・」

こんな会話を、「奥さん、ダッチオーブンは中性洗剤で洗ってはいけませんぜ」と言いたくなりながら、何度も拝聴した(そもそも奥さんにダッチオーブンを洗わせている男はキャンプに来る資格はない。あんな重いものを自ら買いたがる女性がいれば別だが)。

お父さん、どうせなら後片付けもしましょうぜ。

 

くづく思うのは、世の中のお父さんたちは、自分がもっとも勝負できるところで勝負していないということだ。

スポーツでも将棋でもキャンプでも同じ。オヤジは子供に自分のスキルを見せたがりすぎる。

しかし、家族が求めているのは、上手いお父さんではないのだ。できるお父さんなのだ。

この差は微妙に見えて、とても大きい。

上手いお父さんはたくさんいる。たとえば釣りで考えてみよう。

僕は釣りが趣味なのだが下手だ。あまり研究熱心でもない。なので、せいぜいヨメと二人で食べられる分が釣れるかどうかだ。ただ、たまーに爆釣してしまうこともある。そんなときには居酒屋に持っていく。そのような、万が一のためのルートを確保している。

世の中には僕より釣る人たちはゴマンといて、そして彼らは釣れるだけ釣ってしまう。これが上手いお父さんたちの特徴だ。

ところがほとんどの家族は核家族で、近所づきあいも苦手だと来ている。肉や、魚でもトロだったらたくさん食べるが、普通の魚ならせいぜい1尾で十分だ。トロだってマグロ一匹釣って来られたら困るだろうけど。

それなのに上手いお父さんが自慢げに大量の魚を持って帰ってきても困ってしまう。それも自分で捌くのならまだしも、包丁は苦手という上手い釣り師もいる。そうなるとお母さんは大変だ。自分で捌いた上、残ったらあまり付き合いのないご近所に、とても喜ばれると思えないものを配りいかないといけない。ストレスだ。

いや、捌くのも上手いお父さんも多いのだが、それでも生ゴミが出るというところまで想像できるレベルになるともはや稀有な存在だ。

お父さんがハイレベルなスキルを自慢しようとすればするほど、困るのはお母さんなのである。

できるお父さんは、このようなことをすべて想定している。

 

きるお父さんのもつ力は、想定力とそれに伴う段取り力なのである。 そして、多くの男性が女性よりも優位性をもっているのは、この段取り力なのだ。

これを活かさない手はない。

もちろん女性にも段取り力のある人はいる。ただ、女性同士の集まりでは、一人段取り力のある人がいたら、その人に全部任せてしまう傾向がある。その代わり多少段取りが悪くても誰も文句を言わない。

男性はそうではない。人の段取りまで気にする。中には文句をつけたりする人もいる。もちろん良いこととはいえないが、それだけ男性は段取りに関心があり、実際段取りをする機会が多いということの証左である。

(こういう書き方だと言葉足らずで女性に怒られるかもしれない。能力ではなく関心の差だ、と付け足しておく。)

キャンプでも、段取り力を発揮して、家族全体が楽しめる絵を描けばいいのだ。

炭起こしが上手いとか、意外と料理もできるだろうなんてところでがんばっている場合ではない。炭起こしなんて、今はいい道具がたくさんあるので、自慢できるものでもないのだ(できるのは、マッチ一本から起こせる人だけ)。

ところがスキルを発揮する機会があると、段取りのことをすっかり忘れてしまうのが男たち(それも上手い男たち)の悪い癖なのである。どうしても手っ取り早く自慢したがる。そして、上手だけど、周囲が見えていないギターソロのようなことをしてしまう。

その格好の例が、リタイアした男性のそば打ちや料理である。団塊世代の男性の料理教室が活況だと聞くが、その陰では夫の道楽に付き合わされる主婦たちの不満が鬱積していることを忘れてはならない。

彼らは、道具の収集と料理それ自身に夢中で、料理には材料の仕入れ(男性はコストのことと余ったらもったいないということを忘れがちだ)からゴミ捨てまでの一連の流れがあることを忘れているのである。

それを全部計画してやらなきゃね。その力が本当はあるのだから。

 

言っても、本当に理解したオヤジは少ないと想像する。オヤジ力向上は事業として成り立つと考えています。 

自社の考えをインタビューして文書化してほしい方は↓

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