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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

成功哲学に胡散臭さをいだくわけ

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成功哲学や成功法則に突っ込みを入れたい。

僕がこのように考えるようになったきっかけは、ある二人の有名な先生の会話をたまたま隣で聞いたことだった。

 

成功本を胡散臭く感じていたのに

 

話はさかのぼる。

僕が独立した頃、『ユダヤ人大富豪の教え』と『金持ち父さん貧乏父さん』という成功本を読むように薦められた。

大ベストセラーである。魅力を感じる人がたくさんいたのは事実だろう。だから、否定するつもりはない。

だが、違和感は思いっきり感じた。どちらも専門的技術をもって働いている人を多少バカにした面があったからだ(下図)。専門技術者たちは成功できない、彼らを使う人間が成功者だ、というのがこの二冊に共通したトーンだ。

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僕はITコンサルタントとして独立した。まさに専門技術者だ。なので、僕がこれらの大ベストセラーに反感を持ったとしても、ごく自然なことではなかろうか。事業家や投資家になりたくて独立したわけでもなかったし。

この経験から成功本、もっといえば成功哲学に対して胡散臭さを感じていたのだが、友人が主催するセミナーに参加して、成功哲学もありかなと思うようになった。

講師の名前は仮にA先生としておこう。本名を出すのは大きな差し障りがあるので、イニシャルもまったく違うものにしてある。

A先生の話を聴き、僕は感激した。当時仕事上の悩みを抱えていたので、心に響いた。途中から涙ぐんでいた。

それほど、A先生の「夢だから成功する」という主張を裏付ける事例は感動的だった。

僕は一発でA先生のファン(今もファンだが、距離はおいている)になり、そのセミナーのあとに用意されていたもっと高額なプログラムに参加した。

あれほど、成功本を胡散臭く思っていたくせに。

 

胡散臭いやつが成功する

A先生はファンが多く、たくさんの人に取り囲まれている。僕もA先生のファンになり、高額なセミナーに参加するようになったことで、A先生絡みの人脈が急速に拡がっていった。

そのような人たちを観察(失礼!)していると、大きく3パターンの人がいるようだと気づいた。このパターンは最後のほうでも参照するので、そんなことを書いていたなと記憶しておいてほしい。

    1. A先生の本音を取り入れて、経済的に成功している人(「本音」については次節に書く)
    2. A先生の方法論を取り入れて、人並みかもう少し豊かな暮らしをしている人
    3. A先生の言葉のきれいなところだけを取り入れて、人並み以下の生活をしている人

宗教団体になぞらえると、1は教祖と幹部、2は僧侶や宣教師のような僧職者、3は一般信者だろうか? 別に宗教団体になぞらえなくても、世の中には多い構成なのかもしれない。

この、1のパターンの人たちは、なんだか胡散臭いのだ。

言葉ではきれいなことをいう。感謝が大事だとか、100%人を受け入れるだとか、人の役に立つことだけを考えるだとか、否定できないことを言う。

だけど、そんなことをしている人格者にはおおよそ見えないタイプなのだ、彼らは。

もちろん例外はいるのだが、10人中9人はあまり信用できない感じを受けた。

多分にひがみもあるというのは、お伝えするほうがフェアだろう。僕はどちらかというと3番目のタイプだったと自認しているからだ。

 

やっぱりそういうことですよね

 

さて、冒頭の話の続きをしよう。僕が成功哲学や成功法則に突っ込みを入れたくなったきっかけである。

A先生の高額なセミナーの参加者には、すでに功成り遂げた人たちも何人かいた。高額のセミナーには、そういう人たちも来るのだ。

その中で一際有名だったのが(成功本に関心のなかった僕は知らなかったが)、×××を描けば夢がかなうというようなことを主張しているB先生だった。この先生ももちろんイニシャルではない。

毎回懇親会があった。僕がA先生の近くに座っていたとき、B先生が割り込んできて、A先生に質問をした。僕は近くにいたので、そのやり取りが勝手に耳に入ってきた。

B先生「あの有名な事例の件ですが、ホームレス同然だった人をあそこまで成功させましたよね。あれって本当に無償でやっていたんですか?」

A先生「そうですよ。うそは言いません」

B先生「先生は、まず無償で尽くせということをおっしゃいますが、それでは経営的に立ち行かなくなるじゃないですか。その点はどうなんです?」

僕は、横でいい突っ込みだと思って聞いていた。

A先生「感動的な事例を手に入れるために、あえて無償でやるんです。その事例を使ってビジネスをすればすぐに元が取れます。悲惨な境遇の人に出会ったら、これは大きなチャンスなんですよ」

B先生「なるほど。ちなみに成功率はどのぐらいなんですか」

A先生「10人に1人いればいいほうですね。でも、それでも元は取れます」

B先生「やっぱりそういうことですよね。今日は質問してよかった。すっきりしました」

僕も横で「やっぱりそういうことか」と納得した。

さすがはB先生。これで元が取れたらしく、次回からはやってこなくなった。A先生に失望したからではないということは、横で聞いていた僕は確信している。

あなたはこの会話をどう思っただろうか。二人の胡散臭さを浮き立たせるような書き方をしたが、実際には人間くさいいい会話だと僕は横で感じていた。

ただし。

成功哲学は、胡散臭いと再確認したのだった。

ちなみにA先生もB先生も、10人に1人の、成功しているが胡散臭さを感じさせない人たちである。見事だと僕は思う。

 

成功哲学の裏の本音が役に立つのでは

 

今の話は、成功哲学で言えば、以下の2つを含んでいる。

  • ここまでやるかと人が感動することをやる
  • 無償で人のために尽くす

これを言葉通りに受け取ると、先ほどのパターン3の人になりやすい。

B先生に対するA先生の答えを参考に翻訳するとこうなる。

  • 人を感動させようとしても、10ぐらいやって1つぐらいしか成功しない。したがって、常にその機会がないかを探し、失敗例に関しては何も言わないでおく
  • 人のために無償で尽くすのは、もっとも費用対効果の高い広告宣伝費である

成功本にはよく、成功しないのは愚直に行動しないからだと書いてあるが、そんなことはない。一番大事な部分は、直接本人に聞かないと教えてくれない(親しくなれば結構話してくれる)。最重要部分をはずしてしまっては、いくら行動しても無駄なのだ。

でも実践するのは大変そうでしょう?

だから、僕は成功者たちが「ここまでやるかと人が思うまでやるんですよ」と言うのを否定しない。実際にそれをやっているからだ。成功事例を作るために10のうち9は捨てるなんて、僕にはできない。

肝心な部分は、成功者にはやはり書けないところだろう。

そこで成功者でもない僕が代わりに書くことにした。

成功哲学、成功法則は突っ込んでいけばこういう話ばかり(のはず)。 

今まで、本名のほかに嚢袋堂というペンネームでも書いてきました。

試行錯誤の意味でやっていたのですが、二つのテーマを同時並行で追うのは僕には荷が重いとわかりました。

そこで、嚢袋堂のほうはアーカイブだけ残して、終了したいと思います。

ただ、テーマとしては嚢袋堂で書いていたほうがしっくりきていたので、こちらでトーンを変えて書くことにしました。

よろしくお願いいたします。

 

アーカイブ⇒「嚢袋堂の失敗哲学―だからオイラは成功しない

 

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