2011年のトレンド:"自分探し"でほぼほぼ貯金がなくなった私
以前、このブログのタイトルは、「突破口をひらく自分軸マーケティング」というものでしたが、憶えておられる方は少ないだろうなあ...。
ちなみに震災当日、僕は"自分軸"をテーマとしたセミナーを自主開催していました。そのときの参加者をベースにコミュニティを作って、それでビジネスにしようと計画していたのだけど、震災で思いっきりポシゃってしまいました。
だって、自分軸を探しを支援するコンサルタントのはずが、震災以降自分軸が見えなくなってしまったのだから。
● 今年のトレンドはズバリ
僕は、今年のトレンドはズバリ"自分探し"だと思います。自分探しでピンとこなければ、日本人としてのアイデンティティ探しと言い換えてもいいかもしれない。
それほど、日本人の美点と汚点が浮き彫りになった年だったんじゃないかと。
美点に何か感じた人も、汚点に何か感じた人も、両方に感じちゃった人も、日本をどうにかしたいと思ったはず。日本をどうにかなんておこがましいと思った人も、日本人としてきちっと生きるなんてことを考えたはず。
どちらにも感じなかった人は幸いである。
私は感じちゃったんですね。
それで、最初は何か日本のために役に立てるとしたら、なんておこがましさの極致みたいなことを考えはじめてしまったからたまらない。
精神的におかしくなりました。
残ったのは、無力感だけ・・・。
● 4月から9月まで半年のムダ?
無力感てのは怖い。
仕事がまったく手に付かなくなった。
鬱病になったかとも思ったのですが、遊びや酒はなんだか楽しいし、自己嫌悪というのともちょっと違っていた。
仕事が手に付かないだけで、サボっている自分は赦せるんです。単なる怠け者になった、という感じ。
震災でビジネスが行き詰まるのは分かっていた。実際そうなった。貯金は目減りするだけ。
人様のお役に立とうと真っ正面から考えるのはやめて、得意なことに集中しようと思いました。それで結果的に人の役に立てればいい。
そうは思ったのだけど、何も手に付かない。
とりあえず人に会うことにした。7月には自主開催セミナーも再開した。このときは無料でした。とにかくただでもいいから人に会うことにした。
4月から9月は、過去に入れた仕事だけでしのいでました。新規の営業はまったくしなかった。
● だんだん分かってきたこと
人と話をしていて分かったのは、自分はニセモノだったということ。
2009年の末から1年ほど、僕は営業コンサルタントを名乗っていました。他にもライターとしての名乗りはあったが、そちらは開店休業でした。
パートナーの吉見範一さんのおかげでコンテンツはある。ビジネススクールのようなところでそのコンテンツで話をさせてもらっていますが、おかげさまで好評。
まあ理屈を教えることに関してはニセモノではないと思う。ただ、実践に関してはニセモノ。
営業コンサルタントというのは正しくなく、営業コンサルタントのプロデューサーというのなら本当。
これに昨年の末ぐらいから気づいてきた。なので、"自分軸"をもう一度やろうと思った。
ところが、非常時になって自分の自分軸が作れないということを思い知り、この看板も下げることにしました。
もう何も残っていないのか?
信頼できる人たちに、俺には何ができるのだろう?と聞いて回りました。
本を書け、文章を書け。そればかりを言われた。
実は、文章で生計を立てることを志した時期がありました。
そのときにお会いしたのが、故水口健次先生。「もりちゃん、執筆一本じゃ食えないやろ」と言われてしまった。
水口先生にそのとき勧められたのが、とりあえず人材育成に絞るということ。なので、その後自主開催セミナーを次々とやった。月2回はやっていた。
そのおかげで、333営業塾という事業のアイデアも湧き、2010年後半にはこれ以上クライアントがとれないぐらい繁盛もした。だから、水口先生を恨む気は毛頭なく、本当におっしゃる通りだと思ったのです。
しかしながら、水口先生のその言葉がコンプレックスになって踏み切れなかったのも事実。
でも、みんなそう言う。ブログのアクセスは少ないとはいえ、思っても見なかった人たちがブログの愛読者だったり、え?こんな人が俺を尊敬しているの?という人までいました。
決定打は、ヨメの言葉だった。
「しげちゃんは、書くことしか能がないんだから、それでがんばったら?」
● ようやくやる気になったら・・・
9月からようやくやる気になりました。
333営業塾は、プロデューサーに徹して、パートナーの吉見さんのアシストに徹することにしました。すると、しばらくできなかったセミナーの集客ができるようになってきた。
執筆のほうは、特に営業をかけていませんでした。こちらは執筆一本といっても軸が見えなかったから。
ただ、本気になったら、それだけでも仕事は来るもんです。
大手IT企業からメルマガの連載依頼がきた。ストーリー仕立てで、中小企業向けの記事を書いて欲しいとのこと。
立て続けに、別の大手IT企業から、成功事例の取材の依頼もきた。
ペンディングになっていた某社の取り組みを物語にするという企画もまた動き出した。
過去の連載記事を電子書籍にしたいのでというメールもきた。
どこかで僕がやる気になったという噂が口コミで伝わっているのだろうか? そう勘違いするような動きです。
来ているオファーを見ていると、"ビジネス"、"物語(ストーリー)"というキーワードが見えてきた。
「ビジネスストーリー作家」という名乗りが浮かんできた。
実は、この名乗りは、2009年に『奇跡の営業所』という本を上梓したときから使っていたのだけど、塩漬けになっていたのです。
試しに、GoogleとYahoo!で「ビジネスストーリー作家」というワードを検索してみたら、どちも僕のサイトが1位。ヒット数約550万件の検索結果でなぜ?と思ったら、何のことはない。
検索結果をちょっと見れば分かるのだけど、「ビジネスストーリー作家」という言葉をこのまんまWeb上で使っているのは、僕だけだったということ。
たぶんまったく検索されていないワードだが、しかし今のところオンリーワンであることは間違いない。
どんなに狭い市場でもオンリーワンならやれるはず。
ビジネスストーリー作家を軸として、企業用の小冊子の作成、書籍の執筆、セミナーの開催など、すべてをつなげていけばいい。
仕事として確立するまでには半年はかかるだろうが、もうこれしかない。
個人も法人もほぼほぼ預金残高がなくなったけど、ようやく自分探しが終わりました。
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1回の募集人数が少ないこともありますが、常に2回分満席になっています。
平日の昼間に、場所も横浜なのに、です。
求められていることをやっているからと言わせていただいてもいいのかな、と最近思い始めました。
2012年2月29日(水)分の受付をはじめました。
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