オルタナティブ・ブログ > ビジネスライターという仕事 >

ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

就職活動――決め手は「文系と理系の交差点」に立つこと

»

誠ブログが始まったばかりの2010年4月30日に、私は次の記事を書いた。

▼就活で圧倒的な差をつける方法
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/189.html

まだブロガーが少なかった頃で、かなり読んでいただいたと記憶している。

クリックする人は少数派と思うので、要約する。

「誰に」「何を」「なぜ」提供するのか(私はこれを「自分軸」と呼んでいる)を明確にして応募したり、面接に臨んだりすれば、他にそんなことをしている学生はいないので、まず勝てるという内容だ。

実は、学生からの成功報告はなかったが、キャリア採用の面接を受けた方からは、何件か成功報告をいただいた。

学生には、少し抽象的あるいは難しかったのかもしれない。

実際「自分軸」を社会人キャリア20年前後の人に作ってもらっても、自分だけではなかなかできないからだ。

そこで、今回は自分の経験も踏まえて、誰にでもできそうな提案をしたいと思う。

●まずは原則を

大学とは、本来は専門家を養成する機関ではないかと思う。

だから、工学を専攻した人はできればエンジニアになるべきだし、商学部を出た人は経営スタッフとして働けるような仕事が望ましい。

もちろんこれは原則であり、違う道を選択することは本人の自由である。若い頃はいろいろな可能性があるのだ。ただ、その分就職が難しいことは覚悟すべきだ。

以上が原則だとすると、そもそも就職それ自体が難しい学部もある。

文学部などは最たるものだ。専門性といっても、およそ実業に役立ちそうなものはない。

古文書が読めても、創業300年の老舗企業の社史編纂室ぐらいしか、民間企業への門戸はないだろう。

●不利な条件だらけ

私は、その文学部にいた。しかも専攻は国史学という、インド哲学専攻の学生と「おまえのほうがつぶしがきかない」とののしり合う関係の学科だった。

国史学専攻――いかにも英語ができなさそうな響きだ。私のTOEICの点数は、出身大学の名誉のために公表できないことになっている。

そして残念なことに、私の若い頃も今と同様、国際化時代だ、これからは英語だ、と叫ばれていたのであった。この時点で、私の選択肢はかなり狭まったことになる。

そのうえ古文書もあまり読めなかった。創業300年の企業への就職も困難な状況だったのだ。第一そんな会社がどこにあるのかも知らなかった。

私が就活をした1986年は、学生と企業の接触は卒業年次の4月からという時代だった。

また、1986年は円高不況の年で、文学部の学生の就職はかなり困難だった。1985年ぐらいからバブルが始まったという識者もいるが、それは勘違いである。

たしかに私が大学に入学した1983年ぐらいから世の中はバブリーな雰囲気になっていた。私は貧乏だったので一着も持っていなかったが、友人の多くはDCブランドを身につけていた。

学生パブなどというものがあり、ディスコも服装チェックというものがあったのに学生で満杯だった。普通の学生がマンションに住み、車を乗り回し始めたのもこの頃からだったと思う。

とはいえ、バイトの時給を見たら、私の学生時代は明らかにバブルではない。時給500円というのが相場だった。5歳違いの弟は、バブルともろに学生時代が重なっている。彼らの時給の相場は倍の1,000円だった。

●戦略はなかったが・・・

こんな状況だったのだが、できれば一社で採用されたかった。

およそ優秀といえる学生ではなく、そのうえ勉強もしなかったので、卒業できるかどうかも神様の気まぐれ次第という状況だった。

卒業するためには、卒論をきちっと書き上げるのが必要条件だった。そのためには、一生懸命就職活動をしている暇はなかった。

それでも、会社の高望みはしないが、将来性がありそうな業界にしたかった。

葉書で出したエントリーシートは、続々と無視された。何枚書いたか憶えていない。

私は文学部のくせに教職を取っていなかったことを、ちょっと後悔しはじめた。当時は、フリーターなどという選択肢はなかったからだ。あったら、とっととそちらを選んでいたかもしれない。

ある日、間違いではないかという会社案内がきた。東洋情報システム(現TIS)という会社からだった。

当時私はコンピュータに興味があり、PC8801MKⅡというパソコンを所有していた。なので、漠然とIT業界も考えていたのだが、いかにも畑違いである。

ところが、そのIT業界から会社案内がきたわけである。喜び勇んで封を切ると、募集要項に「男子(大卒理系)、女子(大卒、短大卒、専門学校卒、高卒)」と明記されている。

私は、男女差別に悲しくなった。なぜ、男子の大卒文系はダメなの・・・。いっそ、女になろうかしら・・・(この選択肢も、当時は厳しかった。今なら採用するかもしれない)。

しかし、気を取り直して、人事部に電話してみた。

「会社案内が送られてきましたが、男子は大卒理系のみとありました。私は文学部ですが、チャンスはないのでしょうか?」

「来ていただいていい」と言われたので、吹田にある大阪本社に京都からノコノコと出かけていった。

面接の練習などしていなかった。私の出身大学の文学部にはそんなサービスはなかったのだ。

しかし、私は東洋情報システムに採用された。

どんなマジックを使ったのだろうか?

●実は先日思い当たった

白状しよう。私も実はよく分からなかったのです。

人事担当役員が阪神ファンだと、採用担当課長が耳打ちしてくれたので、役員面接ではその話に誘導しようとしたのは、本当のことである。

ただ、課長(当時)は巨人ファンだったので、そこで落ちてもよかったはずだ。何か見所があったのか、阪神ファン枠があったのか、どちらかだろう。

詮索するよりも、とにかく卒業という状況だったので、その件については沙汰やみとすることにした。

それが、つい3日前に分かったのだった。それをシェアしたいと思う。

ヒントは今話題の伝記『スティーブ・ジョブズ』の「はじめに」にあった。

文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある。

ポラロイド社のエドウィン・マフィンの言葉らしい。この言葉が引用されていた。

たしかに、それらしきことを面接では言った憶えがある。

「私の専攻分野である国史学は、実証を旨としています。SEの仕事はまだよく分かりませんが、おそらくいろいろと情報を集めて実証するという点では同じでしょう。また、技術をお客様にわかりやすく翻訳するということも大事なのではないかと想像します。文系の人間はそのようなことが得意です」

我ながら、優秀な学生だったかもしれない(多分に脚色はあるが)。

たぶん、このセリフが、人事担当役員に「文系と理系の交差点に立てる人」との印象を残したのだろう。

実際、私は他の平均的な同期より「客あしらい」(よくない言葉だ。上品な人は「お客様とのコミュニケーション」というだろうが、ぴったりな言葉でもある)がうまかったので、ある時期までは順調に昇格した。

●漠然とは感じていた

とはいえ、エドウィンほど明確な言語化はできなかったが、漠然とは感じていた。

SEは技術はもちろん、コミュニケーションも必要な職業だ。平均的な理系の人にはこれは足りない(こういうことは文系・理系は関係ないという人も多いが、実感として感じる)。

なので、私はマネージャー時代に就職の面接官も経験しているが、理系の大学院の学生が、「研究職としてのセンスだけでなく、営業のセンスも持ちたい」などと言うと、いきなり高い点数をつけたりしていたものだ。

実際、研究職にも営業センスが求められている。企業も研究費がなく、顧客ニーズのある研究にしか金を出さないという会社が増えている。

あの会社の壁さえもお金でできているのではないかと思えるIBMでも、そんなありさまらしい。

まともな社会人は誰でも知っているが、学生はあまり知らないことがある。

それは、すべての会社のコストは、お客様が負担しているということだ。

だから、考えてみて欲しい。お客様には、文系もいれば理系もいる。どちらでもない人もいる。

いや、私の狙っている会社の製品は技術者向けだと言う人もいるだろうが、それを買うと意思決定する人はバリバリの文系の人かもしれないではないか。

だから、文系と理系の交差点に立てる人は価値があるのだ。

誰にでもできること。

それは、文系と理系の交差点に立っている人間だと思わせるには、どうしたらいいか考えることである。

 

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する