沖縄で改めて感じる、サービスはタダではないということ
飲食店で、たまに言われることがありませんか?
「これ、サービスしときます」
飲食店のみならず、八百屋さん、魚屋さんでも言われることがあるかもしれません。こんな記事がありました。
「日本人はサービスにお金を払わない」(ITmediaエンタープライズ)
レストランでウェイターやウェイトレスが料理を運んできてくれても、それに対して「価値」があるとは(大きな労力がかかっているとは)あまり感じません。スタッフがいなければ料理が運ばれてこないので、彼らの労働に対して「使用価値」は明確に感じています。でも「価値」を感じていないのです。すごく乱暴な言い方をすると、「かけた労力は、料理を運んできた数十秒だけでしょ?」と思ってしまうのです。
酷い話ですが、この記事を書いた方の著書は、「ずっと安月給の人の思考法」というもの。サービスを無料だなんて思ってしまうのは、そういうことだよ、という本であるようです。
もともとの英語のServiceと、日本語のサービスでは、かなり意味が違う、ということですよね。
たとえば飲食店で、厨房でお料理を作る方がいても、それをテーブルまで届けてくれる方がいるわけです。最近では、運ぶロボットを導入しているファミレスもありますが、それは多数派ではないわけですね。
いろいろなサービスが、自動化されていくなかで、自動化されないサービスも、まだまだ多くあります。それらのサービスをする方は、当たり前ですが無償でサービスをするわけにはいきません。
沖縄で、とあるサービス事業者が、まとめ買いする方には大幅に割引をしている、という話を聞きました。しかし、そのサービスは、まとめ買いしてくれたところで、工数は割り引かれません。
たとえば、一つ買ったお客さんにかかる工数が10分だったとします。100個買うと1,000分つまり16時間以上かかるわけで、100個買ってくれたとしても、工数が1割減る、2割減る、ということはない、ということです。
であれば、割り引く理由がない、ということになります。
もちろん、たくさん買ってくれたから、ということがあるにせよ、そのサービスをする人たちに与えられる給与が下がるわけではない。でも、この思考でいると、このサービスに関わる人達の給与が上がることはない、と言えるわけですね。
これが「ずっと安月給」の根幹になる、と言えるのだと思います。
沖縄すべてのサービス事業者がこういう思考をしているわけではありません。たまたま、僕が耳にした事業がそうだった、というだけのことですが、これは東京でも、大阪でも、どこにでも起きていることだと思うのです。
10年前と同じ単価、というのもそうですね。電気代、光熱費が高騰し、物価も上がっている中で、同じ単価で販売するのも、そこに関わる人たちの給与を上げない、と宣言しているようなもの。
こんな記事もありました。
「外国人が日本で「無料なの?」と思ったこと」(マイナビニュース)
飲食店での水、お茶。きれいな公衆トイレ。買い物をしたときのラッピングなどなど。外国の方にとっては、不思議なくらい無料で行なわれているようです。
あらためて、サービスの価値を考え直したい、と思う今日この頃です。