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スマートデバイス導入プロ集団のイシン社長です。仕事に関係ない話題も多いです。

日本で言う「頭のいい人」の基準を変えると、生産性が向上するのかも

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先日、とある番組で厚切りジェイソンさんが、日本の学校教育について疑問を呈していました。

日本の「良い学校」で「成績の良い生徒」というのは、記憶力が良い人を指しますが、論理的思考の長けた人ではないことです。

たしかに、記憶力を問われる勉強がほとんどですよね。言い方を変えると「刷り込み」です。覚えてさえおけば、試験でいい点数を取れる。

じゃあ、論理的思考について勉強する機会はあるのでしょうか。特に、小中学校ではなさそうな。

記憶力が良いことは、決して悪いことではないと思います。少なくとも、記憶力が悪いよりは、良いほうがいい。ただ、世の中に出ると、それだけではないことが多いですよね。

「日本の学校教育」で検索してみると、いろいろな記事が出てきます。

日本の教育制度の閉鎖性に衝撃を受けた...「失われた30年」を経ても日本人が内向き志向を続ける根本原因」(プレジデントオンライン)

日本の授業は先生がずっと話し続けている

授業中、先生が教科書を使って延々と話し続け、生徒たちが一斉に教壇を見つめている姿が印象的だった。もちろん、コロナ禍を経て変わった点もあるとは思うが、少なくとも私が視察した時は、先生がずっとしゃべっているような印象を受けた。一方で、生徒がじっと聞いている姿に、教師という存在を重んじる日本の伝統を感じた。

これは、僕自身、シンガポールで教育を受けて感じたことです。シンガポールでは、授業の最初は先生が話しますが、途中で誰かが「僕はこう思うんですけど」といった具合に、話を差し込んできます。さらに、彼は、近くの人に「君の意見は?」と、教室内で議論が勃発します。賛成だって反対だって良いんです。自分の意見を言う。

日本では、ディベートの授業があると聞いたことがありますが、シンガポールでは日々がディベートでした。なので、「君は賛成派で意見を言って」「あなたは反対派ね」などと、自分が考えてもいない意見を言う必要がない。

 

「日本の学校教育」がオワコンと言える2つの理由 1学級40人なのは「従順な人間」を量産するため」(東洋経済オンライン)

いまの学校は生徒に失敗をさせてくれません。会社も同じではないでしょうか。若い人にとって失敗は非常に貴重な経験です。人は失敗から多くを学びます。生徒が将来社会に出たとき、円滑な人間関係を築けるようになるためにも、あるいは、組織の運営や意思決定に携わる立場になったときに力を発揮できるようになるためにも、失敗は、本来、若いうちに経験しておくべきことなのです。

これは社会に出てからも、ですが、日本では一度の失敗で追放される、なんてことが普通に起きます。また、一度失敗した人に、チャンスを与えることは稀ですよね。

「あいつはダメだ」

極めて乱暴なひと言で終わってしまうこともしばしば。

 

日本の教育制度...暗記型から「思考型」への転換はできるのか?」(THE GOLD ONLINE)

今の日本の教育のままでは斬新なアイデアなど生まれるはずもありません。文部科学省の方々はもちろんのこと、それこそ産官学のトップを走る方々が総力をあげて連携し、日本の教育の大転換を図る必要があります。

暗記が7割、思考が3割という従来からの暗記型教育を、思考が7割、暗記が3割という思考型教育へと大逆転させるのです。

提案が多い記事ですね。思考を増やす、には大賛成です。社会に出て、記憶だけで生きていけるはずもなく、自分の頭で考えて動くことが当たり前です。しかし、今まで考えることをしてこなかった人が、ある日突然「自分で考えろ」と言われても、どう考えれば良いのかわからない、なんてことになりますよね。

「まだ習ってません」

新入社員教育をしている人から、愚痴を聞いたことがありますが、研修期間を終え、当たり前のように給料を受け取っている人が、平気で「まだ習ってません」と口にする、と。

アメリカの学校教育が思考重視であることは、ソフトバンクの孫社長も指摘していました。この際、一気にアメリカを凌駕するぐらいに思考教育を徹底するのです。

何度も書いてきたように、思考教育とは正解を導き出すことが目的ではありません。問題でも、読書でも、パズルでも、将棋でも構わない。とにかく簡単には答えの出ない問題に取り組んで、頭を動かし続けること。これが思考の訓練になるのです。

日本のすべての社会人が、これを出来るようになれば、「生産性が低い」と言われる日本は、大幅に変わるんだろうな、と感じる今日この頃です。

こどもロジカル思考

楽しみながら身につく論理的思考

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