自分が若い頃に出来ていなかったことを部下に求める理由
昨日は、アイキューブドシステムズ様、F5ネットワークス様、NTTアドバンステクノロジ様とのセミナーにご来場いただいた皆さま、およびアップルストア銀座でのセミナーにご来場いただいた皆さま、足下の悪いなか、ありがとうございました。
そして、本日電機大学北千住校での学術講演会にご来場予定の皆さま、よろしくお願いいたします。
僕自身、若い頃に至らない人間だった、という話をし出すと1万文字はカンタンに書きまくれるくらいダメな就活生でしたし(そもそもほとんど就活してないし)、社会人になりたての頃もダメダメ人間だったと自覚しています。ですので、今の若い人たちを見ていると「すごいなあ」と素直に感じます。当社の社員たちも、当時の僕からすれば尊敬以外に思い当たる言葉がない感じ。
そういう人間が若い人たちを見ていると「あー、そういうことはしないほうがいいのに」とか「それは苦労する道だよ」とか感じることってあるのですね。また、自分自身が過去に戻れるのなら、きっとこういう選択をするだろうな、と思えることもたくさんあります。だから、若い人たちには、しなくていい苦労はしないようにしてほしい(自社の人間だけでなく、ですね)と感じることがしばしば。
世の中には、「あなたが若い頃に出来なかったことを若い人たちに求めてはいけない」などという論調もあったりするのですが、そういう視点で見てしまうと、鳶が鷹を生むことはあり得ない、ということになってしまいます。エンジニアで言えば、自分より優秀なエンジニアを育成することは求めてはいけない、と言われているような感じなのかも。でも、そうではないと思うのです。自社の後輩であれば、もっと育って欲しいと思う気持ちでアドバイスすることもあって然るべきでしょうし、就活生と話をすることがあるのなら、不要な苦労はしないほうがいいな、なんて感じることもあると思うのですよね。
苦労は買ってでも買え、という人もいます。そこは、僕からすればイエス&ノー。買ってでも、って苦労を買う人なんていないですが(笑)、価値のある苦労もあれば、全く価値のない苦労もあると思います。それは、傍にいる人間にしか識別できないでしょうけど。
僕自身、自社の社員だけでなく、僕が知り合う若い人たちには、僕よりもずーっと素晴らしい人になってほしいので、自分が出来なかったことに執着する必要はないと考えています。もちろん、長い目で見るとか、今すぐに出来ないからダメといったことではなく、自分自身が出来なかったことでも、若い人たちには求めていきたい。そんなことを感じている今日この頃です。