ソーシャルメディアが主語になってはいないか? #asacafestudy
»
今朝は、朝カフェ次世代研究会。今朝は、大手広告代理店にお勤めの永井さんがお話しをしてくださいました。(注:永井孝尚さんではありません)
さすが広告代理店の方だなあと感じさせられる、説得力があり、理解しやすい資料だったのですが、いくつか感じたことを。
ソーシャルメディアは、数年後にはなくなっている言葉かも知れない
ソーシャルメディアという言葉を聞かない日はないのですが、例として仰有っていたのが「ブロードバンド」。2001年にYahoo!BBができ、今まで聞いたこともないADSLという言葉が一般化し、その年の新語・流行語大賞(トップテン)にブロードバンドがノミネートされ、孫社長が受賞したのを憶えています。
現在は?というと、もうブロードバンドという言葉を使う人はいないですよね?でも、無くなったわけではなく、むしろ定着してしまっています。ADSL、FTTH、あるいはケーブルテレビ回線を使ったインターネットを使っている家庭は多いですよね。都内のオフィスビルでは、もうインターネットを引いていないビルってないんじゃないでしょうか。
日本は、ハイコンテクスト文化
永井さんが例として仰有っていたのが「わび、さび」、「粋」、「萌え」。萌えというと笑い声が聞こえましたが、これらは全て、日本(人)のハイコンテクスト文化だからこそ、ですね。なるほど。粋、鯔背、なんて、僕が好きなお祭りにはよく出てくる言葉ですが、明確な定義はないんですよね。「おめえ、粋じゃねえな」と言われても、粋の定義がない。でも、なんとなく、なんとなく、粋について共有されているわけです。
服装。せっかく袢纏を着込んでいても、なんとなくだらしない格好。神輿を担いだあとには、もうよれよれの格好になっているわけですが、神輿から出たら直ぐに身なりを直す。いつも身なりを気にしているのが粋。
酒。祭りになるとたくさん飲むのですが、飲まれちゃいけない。べろんべろんになて迷惑をかけるのは粋じゃない。
お金。飲み食いをしても、人より多めにサッと払うくらいが粋。「一人3,600円です〜」って言われても、4,000円、できれば5,000円札をサッと払って立ち去るくらいが粋。
わび、さびに至っては、もっと難しい。でも、なんとなく共有されていたり。こういうハイコンテクスト文化だからこそできることがあり、実現していることがあるわけですね。ソーシャルメディアを定義することが重要であるということではない、のですね。
身の丈以上は、かえって身を滅ぼす?
僕はよく、天野祐吉さんの言葉をお借りして「外見(そとみ)は中身の一番外側」と言うのですが、中にないものは何を使っても出てこないですし、仮に中にないものを見せると、かえって反発を招いてしまいます。
これは、おせち事件が典型例かも知れませんね。21,000円のおせちを10,500円で買えたと喜んでいたら、さらに半額の5,000円でも買いたくないようなものが届いてしまった。さらに、おせちを作っていた現場の写真をアップしたスタッフがいて、さらに炎上。身の丈以上というべきか、そもそもできないことをやったのか。
我々B2Bビジネスの場合には、B2Cよりも中身が分かりづらいことが多いです。だからこそ、ついつい身の丈以上のことを請け負ってしまい、結果的にトラブルになる例も少なからずあるようです。ソーシャルメディアとは直結しないところですが、自社にも学ぶべきところがあると実感しました。
他にもいくつかメモを録らせていただきましたが、ソーシャルメディアを冷静に分析されたお話しで、興味深いものでした。ソーシャルメディアはツールであり、主語になるものもでもないな、と再認識した次第です。
SpecialPR