何のために勉強をするのか
先日、「日本人は勉強しなくなったのか」というブログを書いたところ、コメント以外にツイッターでもいろいろな意見をお伺いしました。
「勉強する人と、しない人の差が激しい」
「いや、自分の周りの人は、よく勉強している」
勉強している人、まったくしていない人の差が激しいというのは、体感的に分かります。通勤電車の中で、何かの試験を受けるらしい書籍を読んでいる人がいて、その傍らでひたすらゲームに没頭している人、あるいはよく見かけるのだけどいつも寝ている人を見ていると、そう感じます。
ではその逆に、何のために勉強をしているのでしょうか。そもそも自分にとって、勉強の定義は何でしょうか。大辞泉では「学問や技芸などを学ぶこと」となっており、何のためにやるのか、という定義付けはありません。目的は自分で考えるしか無さそうです。
僕は、学生の頃から「将来、役立つこと(役立ちそうなこと)」ばかり意識してきました。これは、あまり良くない。いわゆる教養の部分が欠けてしまいがちだからです。
しかし一方で、何の目的・目標もない、漫然と勉強するのでは、自分の知識・智慧にはなっていきにくい。そもそも、目的がないのですから、自分が瞬間的に興味のあることにしかフォーカスしないのではないか、と思うんですよね。
最近は、有料、無料の勉強会がすごく多いように感じます。しかし、そこに参加している人たちは、きちんと目的があるのでしょうか。これは資格ブームも同様です。その資格は、自分が今後どうやっていくために価値があるのか、を考えられているのかが疑問に感じています。
僕が以前関わっていたNPOでも、勉強会で何を学ぼうというものはなく、ただ家にいてもヒマだからとか、ここに来れば知り合いが増えるから、あるいは飲み会があるから、などという理由で参加している人も多くいました。他人がどういう理由で参加しようといっこうに構いませんが、僕はそういう理由では参加する気にはなれないんですよね。
楽しいことは悪いことではありません。しかし、何を目的として学ぶのか。残りの人生が無尽蔵にあるわけではない人間として、きちんと考えながら学んでいきたい、と思う今日この頃です。