iPad発売の今日、改めてスティーブ・ジョブズ氏の言葉を思い出す
いよいよiPadの発売日ですね。銀座や表参道には、既に行列が出来ているようです。僕のiPadを自慢できるのも、もう終わりですね。(笑
iPadではFlashが動かないとか、ネットブックで出来ることが出来ないとか、はては電子ブックリーダーとの比較が始まっていたようですが、手にされた時にはそういう議論がいかに意味のないものであったか、ということを実感されることかと思います。
僕自身、決してスティーブ・ジョブズ信者ではないですし、アップル製品だけが好きなわけでもありません。このブログを古くからご覧いただいている方であれば、僕がソニーのVAIOを何台も乗り換えてきたことをご存じかと思います。
パソコンは機能が大事とはいえ、持ち歩くもの、自分で所持するものと考えると、デザイン性も求めたい。さらに使い勝手も、というのが僕の考え。その結果、現在はMacBook Proを母艦として、iPad、そしてiPhoneを使っているということです。あ、Xperiaも、ですね。
スティーブ・ジョブズ氏のプレゼンテーションは素晴らしいですし、じらしながら見せるテクニックはすごいと思います。
ただ僕が、iPhoneに動画を取り込んでいるスティーブ・ジョブズ氏は、オルタナティブブログでもたびたび取り上げられている、2005年にスタンフォード大学の卒業式でスピーチしたものです。
学生たちからは少し笑い声が聞こえますが、このパートが好きです。
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
私が17歳のとき、次のような一節を読みました。
「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。
私はこの言葉に感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問しています。
「今日が人生最期の日だとしたら、私は今日本当にやるべきことは何だろうか(このままでいいのだろうか)」。
そしてその答えがNoであることが何日も続くと、私は何かを変えなくてはいけないことに気付いたのです。
日本語に訳す場合、スティーブ・ジョブズ氏の言葉は敬語に訳すべきかどうか迷うところですが、あえて敬語にしてみました。あの日のジョブズ氏は、スピーチする内容を読みながら話していたことも、敬語にした理由のひとつです。
毎日、自分の最期の日と考えるなんて、というご意見もあるかも知れません。人間、明日がなければ生きていけない。それもそうだと思います。
しかし、時には「本当に最期だったら」と考え、自分の行動を見直すことがあってもいいのかも知れません。
iPadがアップル最後の製品ではないことは分かっているのですが、ここまでブラッシュアップされた製品を1ヶ月半使用してきて、改めてiPadのすごさを感じている今日、日本でも発売されます。