憧れるは、アイドル大好き、と同程度
シルバーウイーク最終日になりました。我が家も、茨城から帰着。常磐道は、時間帯のせいか思ったより空いていて快適でした。
さて、この連休期間も仕事モードの森戸さんですが、「情熱に憧れる人材と情熱を持ち続ける人材」というエントリーを書かれています。拝読していて「あるある」という感じです。
情熱が何かを理解していない、実は憧れているだけ、という話を聞くことがあります。
「僕は、こういう会社を起業したいと思っています」
社長になろうという人材でさえ、実は憧れているだけ、ということがあります。僕がソフトバンクの頃に、何度も新規事業のプレゼンテーションを拝聴する機会がありましたが、ほとんどは「憧れ」でしかたなかったように感じます。「こんな生活がしたい」とか「こんな風に暮らしたい」といったような。
情熱というものは、森戸さんが書かれているように簡単に廃れるものではないはずです。特に、誰かのせいでそうなってしまった、なんてものではないはず。
とここまで書いておいて、僕にはなかなか情熱を注ぎ込む対象がないことにも気付きます。情熱って、そうそう簡単なものではないはずですよね。
「年収1000万欲しい」
「社長になりたい」
これはプロセスでしかないはずで、情熱を注ぐ対象ではないんですよね、たぶん。
自分自身が生涯を賭けてもやり遂げたいことが、情熱を注ぎ込む対象であるはずです。そう考えると、僕たち会社員には、なかなかそういう対象は見つかりませんよね。そうなんです。
以前勤めていた会社の社長が「みんなでやり遂げるぞ!」と意気込んでいましたが、それは社長がやりたいことであって、社員が情熱を注ぎ込む対象ではない、ということです。
森戸さんのエントリーを拝読して、雇用者の課題と、被雇用者の課題の両方が存在することを感じた今日この頃です。経営側になったいま、その課題解決の難しさを痛感しています。