【12ヶ月目】1年過ぎて変わったこと
東日本大震災から12ヶ月目になりました。被災した方だけでなく日本全体が前を向こうと苦闘した1年でした。ちょうど1年ということで、様々な追悼行事が行われ、テレビで震災特集番組が予定されています。私は今日を震災で家族や友人を亡くした方が故人を偲ぶ日と考えています。遠くから東北を想いつつ、静かに1日を過ごすつもりです。
最新の被害状況のまとめは
死者 15,854人
行方不明 3,155人
避難 343,935人
となっています。いまだに身元不明の遺体は約470体です。つい最近も新たに遺体が発見されたとのニュースがありました。
1年前のあの日、私は都内にいて帰宅難民になりました。
この時は都内に直接の被害がなかったため、多少の野次馬的興味もあってあえて歩いて帰りました。実際に体験してみて、本当の災害時に歩いて帰るのは無理だということがよくわかりました。距離だけでなく、同じ方向を目指す人で混雑した道を自分の思うペースで歩けないストレスがかかって疲れます。我が家では首都圏直下型災害の場合は安全な場所で様子を見るようにして、無理に家に帰ろうとしないことを決めました。「地震てんでんこ」を徹底です。
東北新幹線は震災4日後に東京と那須塩原間が運転再開しました。そこから先の区間は順次復旧して、今年2月の東北出張で利用した際は全く震災の影を感じないところまで復旧していました。耐震性を考慮した新幹線の優秀さとJR東日本の底力を証明したと考えています。今後は東北沿岸のローカル線をどう復旧するかがJR東日本の課題となっています。
3月は続く余震、原発の事故、首都圏の計画停電があって、震災関連のネタはブログで触れないようにしてきました。投稿する本数は減りました。
4月から7月の間は「被災地のために何か行動しないといけないのではないか」と思いつつ、現地にボランティアに行く思い切りはできませんでした。焦りに似た思いを感じながら、寄付や募金をして過ごしていました。
あれこれ考えた結果、やはり現地を自分の目で見ておくべきだと決断したのが8月です。
あのタイミングで東北を回ることができてよかったと考えます。この時にがれきの臭いがわかる側になったことが、その後の自分に影響を与えました。
【半年】変えなければならないことを変える、忘れてはならないことを忘れない
もともと東北3県に私の親戚・縁者は住んでいません。震災前は知り合いもいませんでした。9月以降に東北を意識するようになったことで、関連イベントに参加するようになり、自分のまわりに意外に東北関係者が多かったことが改めて見えてきました。
【9ヶ月目】12月25日は15時間生放送の報道特別番組『「報道の日 2011」記憶と記録そして願い』
そして、東北に関連する仕事で再び東北に行く機会を得ることができました。
今の自分は、盛岡、仙台、福島、いわきにいっしょに仕事をしたことがある人たちがいます。山田町、大槌町、釜石、陸前高田、気仙沼、飯舘村、南相馬は行ったことがある場所です。東北は自分に無関係ではなくなりました。
震災で家族や友人を亡くした方にとって1年は何の区切りにならないかもしれませんが、私は今後は「避難 343,935人」に注目していきたいと考えています。被災した地域が経済的に復興して避難している人がいなくなった時こそ、震災から本当に復興したと言えるでしょう。東北に経済的メリットをもたらすことを何か実現したいと考えています。