「日本は改良は得意だが創造は苦手」は本当か----新原浩朗氏の「ネオ・ジャポニズム」が示す、日本型イノベーションの設計原理
日本企業について語られるとき、決まって登場する言説がある。「日本は既存技術の改良には長けているが、ゼロから何かを生み出すのは苦手だ」というものだ。
この言説は、あまりに広く共有されているため、もはや前提として疑われることが少ない。日本企業の人事制度や組織設計の議論も、しばしばこの前提の上に組み立てられる。「だからシリコンバレー型の仕組みを取り入れるべきだ」「だからジョブ型に転換すべきだ」と。
しかし、本当にそうなのだろうか。
マーサージャパンのシニアアドバイザーでもある新原浩朗氏が、RIETI(独立行政法人経済産業研究所)のBBLセミナーで発表した「ネオ・ジャポニズム(Neo-Japonism):日本人の創造性」は、この前提そのものに正面から異議を唱える論考である。50を超える日本発イノベーションの事例研究から導き出されたその知見は、日本企業の組織設計を考えるうえで、極めて実践的な示唆に富んでいる。
▼ 資料
ネオ・ジャポニズム(Neo-Japonism);日本人の創造性(新原浩朗氏、RIETI BBLセミナー)
■ 米国の研究者たちが、日本のイノベーションに殺到した
まず、この論考が生まれた背景が興味深い。
新原氏は2026年5月、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UC San Diego)に招聘され、連続講義を実施した。資料によれば、大学院生はともかくとして、想定外に多くの教授陣が興味を持ち、近年では最大の聴講者数のイベントとなったと大学から報告があったという。
さらに講義以外にも、大学が用意した研究室に、毎日10人程度の本テーマに関心を持った教授からアポ要請があり、来訪して議論が行われた。早朝から深夜まで連日の仕事になったと氏は振り返っている。
なぜ、これほどの関心が集まったのか。新原氏はその理由をこう記している。米国を含め先進各国ともイノベーションの創出が壁に突き当たるなか、微細に日本のイノベーションの現場の実践を研究した本講義が、米国にとっても学習になるのではないか----という関心だった、と。
「日本に学ぶ」という発想が、いま改めて米国の研究者たちの間に生まれている。この事実自体が、冒頭のステレオタイプを揺さぶるものだろう。
■ 50超の事例から抽出された共通項
新原氏は、世界的に影響を与えた日本発のイノベーション事例を50以上研究している。3Dプリンターの小玉秀男氏、絵文字の栗田穰崇氏、QRコードのデンソーウェーブ、宮崎駿氏、スーパーマリオの宮本茂氏、山崎貴監督、プレイステーションの久夛良木健氏、コミックマーケット、料理人の三國清三氏----分野も時代も異なるこれらの事例に、驚くほど明確な共通項が見出されている。
以下、特に組織設計・人材マネジメントの観点から重要だと考えるものを整理したい。
■ 共通項①:出発点は「みんな」ではなく「個人」
新原氏がまず挙げるのが、アイデア創出の主体である。
資料の記述は明快だ。少なくとも最初の創造のアイデアを「みんなで議論して」導き出して、不連続なイノベーションは出てこない。集まってブレインストーミングでは無理である、と。みんなで議論しながら「じゃあ、こんなことをやろうか」とできるものではない。みんなの持っているフィルターで漉して出てくるものは、似たようなものになる。そして市場は、似たようなものを求めていない。
さらに氏は、組織内の力学にも触れる。他人に負けたくないから、自分の担当については他人と同じことは全部したくなりがちだ、と。
結論として、不連続に爆発的なものをつくるには、個人の独創的な発想を認めることが不可避である。分業ではなく、個人の創造性が出発点。多人数での作業が必要なプロジェクトでは、アイデアが決まった段階で徐々に多人数に拡大する----これがネオ・ジャポニズム・モデルの第一原理である。
この指摘は、日本企業の「合議」文化への根本的な批判でもある。稟議、事前調整、全員合意----プロセスの正当性を担保するこれらの仕組みは、実行段階では機能しても、創造の初期段階では致命的に働く。
■ 共通項②:「余白(Slack)」の存在
第二に挙げられるのが、「余白」の重要性である。
毎日、朝から深夜まで、上司の指示に忠実に、真面目に仕事していることからだけでは、不連続なイノベーションは生まれない。デイリーの作業から距離を置いて、ものを考える環境が必要だ----というのが新原氏の指摘だ。
具体例が示唆的である。3Dプリンターを発明した名古屋市工業研究所の小玉氏は、展示会を見に行ける企画課への配属だった。絵文字を生んだ栗田氏は、たばこを吸っている50歳の上司の下に、大卒新卒一人で千葉支店へ配属されていた。宮崎駿氏は、創造性を刺激する散歩、読書、体験を重視した。
これらはいずれも、「効率的な人材配置」の観点からは説明しにくい。むしろ非効率にすら見える。しかし、その非効率さこそが創造の条件だったというのが、事例研究から導かれる結論である。
近年、日本企業では業務の可視化と効率化が進み、一人ひとりの稼働率を高める方向に組織が最適化されてきた。その過程で失われたものが何だったのか----この論考は、静かにそれを問うている。
■ 共通項③:中央からの「距離感」
第三に、そして私が最も示唆的だと感じたのが、組織上の「場」の条件である。
新原氏は、不連続なイノベーションを生むクリエイターを活かせる組織の条件として、「組織の中央から期待されていない、あるいは監視が行き届かない『場』」を挙げる。マイナー(非主流)な部署、本社の首脳から物理的に離れた場、子会社。
具体例として挙げられるのが、子会社デンソーウェーブ(親会社にとってはマイナー事業だった)、白組の「島流し」と呼ばれた調布スタジオ、信濃町のソニーミュージック(プレイステーションが生まれた場)である。距離感があったから、(たまたま)クリエイターを活かせる環境を創り出せた、と氏は分析する。
そして、その理由の説明が痛烈だ。
「平均的な組織人である『多数』からなるヒエラルキーは、ちょっと違っている考えやちょっと違っている個人の持つ感性を、押しつぶす」
さらに氏は続ける。社内で平均的な組織人中心に選抜した会社としての一大プロジェクトになると、いろいろ意見が出て、結局は安心・安全で当たり障りのない方に落ち着く、と。
これは、多くの日本企業が経験していることではないだろうか。「全社を挙げた新規事業プロジェクト」に優秀な人材を集め、経営会議で議論を重ねた結果、どこかで見たような無難な企画に落ち着く。皮肉なことに、その「全社プロジェクト」という体裁こそが、創造性を殺しているのかもしれない。
■ 共通項④:経済学が裏づける「監視されない場」の価値
新原氏はさらに、この「監視が行き届かない場」の効用について、経済学の理論を引いている。
資料で言及されているのは、フィリップ・アギオン(Philippe Aghion)とジャン・ティロール(Jean Tirole)による1997年の論文「Formal and Real Authority in Organizations」(Journal of Political Economy)である。
この論文は、組織における「フォーマルな権限(formal authority=決定する権利)」と「実質的な権限(real authority=意思決定に対する実効的なコントロール)」を区別する理論を展開したものだ。重要なのは、実質的な権限は情報の構造によって決まるという点であり、部下の実質的権限が増大するとイニシアチブ(主体性)は促進されるが、その一方で上位者にとってはコントロールの喪失を伴う、という結論である。
つまり、上司が忙しすぎて部下を監視できない状況では、形式上の権限は上司にあっても、実質的な権限は部下に移る。そしてそれが主体性を引き出す。新原氏は、絵文字の栗田氏が「バタバタしていて人手に余裕がなく、『あなた、やってよっ』ということで1人でやることになった」事例や、若手時代の山崎貴監督が「上司が他の仕事を抱えていて丸投げ状態、コンテを持っていくと『いいね』と言って終わり」だった事例を挙げる。
そして氏は、極めて挑発的な提案をする。意図的に権限移譲を創り出すため、あえて幹部に「過重負荷」をかけるという発想もありうる、と。
これは、通常のマネジメント論とは真逆の発想だ。管理職の負荷を減らし、部下の進捗を丁寧にモニタリングすることが「良いマネジメント」とされるなかで、あえて監視の目を届かなくさせる----しかし事例研究と経済学理論の両方が、その有効性を示唆している。
■ 共通項⑤:「シェルタリング・リーダー」という存在
とはいえ、単に放置すればよいわけではない。新原氏が挙げるもう一つの決定的な要素が、クリエイターを守る上司の存在である。
氏はこれを「シェルタリング・リーダー(Sheltering Leaders)」と呼ぶ。挙げられている事例が、実に豊かだ。
スーパーマリオの宮本茂氏に対する山内溥社長。絵文字の栗田氏に対する夏野剛氏・松永真理氏。宮崎駿氏に対する徳間康快氏----「映画に客が入らなくても、よくやってくれたと言っている人だった」。山崎貴氏に対する島村達雄氏----白組の島村社長は、専門学校を卒業したばかりの山崎氏に新設の調布スタジオを任せた。プレイステーションの久夛良木健氏に対する丸山茂雄氏。
そして、シェルタリング・リーダーの本質について、新原氏はこう記す。クリエイターの変わった考え方を理解できなくてもいい。リスペクトし、保護してくれる上司等の存在が重要であり、そういう経営陣を意図的に創り出すことは可能である、と。シェルタリング・リーダーは、コントロールではなく自由度(autonomy)を提供する。
「理解できなくてもいい」----この一節は、マネジメント論として極めて重要だと思う。上司が部下のアイデアを完全に理解できることを前提にすると、上司の理解の範囲内でしか創造は起こらない。理解できないものを、それでも守る。この非対称な信頼こそが、不連続なイノベーションの前提条件なのだ。
■ ネオ・ジャポニズム vs グローバル・スタンダード
これらの共通項を、新原氏は一つのモデルとして整理する。
ネオ・ジャポニズム・モデルは、①少人数、②部活動、③すり合わせ型のアーキテクチャーのような協力。
対する米国・グローバル標準モデルは、①多人数(物量作戦)、②ヒエラルキー構造、③分業(Division of labor)。
チームサイズについての指摘も具体的だ。「ゴジラ-1.0」は35人のチームで制作された(ハリウッドでは小さくとも1000人以上)。宮本茂氏はゲームの「お題」の試行を3人か4人で始め、少しずつチームを膨らませる。超大企業のトヨタでさえ、プリウス開発で導入された「大部屋制度」では、6ヶ月限定の10人からなる自己完結的なチームでコンセプトを創り上げ、その6ヶ月間はチーム外のいずれの部門とも調整しない。
新原氏はこれを「Less is more(少ない方が豊かである)」と表現し、いきなり「分業」は創造性にはマイナスだと結論づける。
日本企業が「グローバルスタンダードに追いつく」ことを目指して分業と規模を志向してきたことを思えば、これは相当に重い問いかけである。
■ 「利益は結果」----資本主義との異なる関係
もう一つ、新原氏が挙げる共通項に「利益が出発点ではなく、利益は結果」という要素がある。氏はこれを「原始的な資本主義と異なる出発点(Do not start from Primitive Capitalism)」と表現する。
象徴的なのが、宮本茂氏の言葉だ。会社にいると、お金の取り分の話とか、ややこしい話がない。仕事が自由にできる----と。また、漫画家が商業誌の仕事をしながら同人誌活動を継続するコミックマーケットの構造も、同じ文脈で挙げられている。
さらに新原氏は「別の軸の競争が創造性をはぐくむ(Competition on a Different Axis)」として、同業者からの評価という動機づけにも言及する。宮崎駿氏の「仕事仲間に『あいつ、ひどいことをやったな』と言われたくない」という言葉。コミックマーケットにおいて「同人誌の一番のユーザーは書き手」であり、「あそこはすごいものがあったぞ」「あいつすごいものを出しているぞ」という、金銭とは別の軸での競争が働いているという指摘。
金銭的インセンティブが創造性を必ずしも高めない----という知見自体は、モチベーション研究でも古くから指摘されてきた。しかし新原氏の議論が興味深いのは、それを「組織が金銭の心配を引き受けることで、個人が創造に集中できる」という組織デザインの話として捉えている点である。
そして氏は、個人と組織の関係の未来についてこう述べる。会社(組織)は、個人に活躍の場を提供するプラットフォームとして、依然として重要である。組織は個人に機会と資源を提供し、個人は企業に付加価値の創造を提供する。個人と企業はギブ・アンド・テイクの関係になり、個人が活躍する企業が持続的発展をする企業像である、と。
「会社は谷町、スポンサー。仕事で使うお金が足りないと思ったことはない」という宮本茂氏の言葉が、それを端的に表している。
■ イノベーションとクリエイティビティを分けて考える
論考の終盤で、新原氏は重要な概念整理を行っている。
イノベーションとは、経済的・フィナンシャルに成功をもたらしているもの(集合A)。これに対しクリエイティビティとは、それが経済的・フィナンシャルに成功をもたらしているか否かにかかわらず、新しい不連続な何かを成し遂げること(集合B)----科学の研究であれ、芸術であれ、アニメやゲームであれ。
そして氏は論じる。成長率を高めるうえでは、AとBの積集合をいかに生み出すかが課題である。しかし差集合(A-B)は製品・サービスの改良にすぎず、集合Aからアプローチすることには限界がある。一方で、集合Bの要素であることは、積集合を生むうえで不可欠な条件である。
ただし、集合Bに入った要素が積集合に入るか差集合に入るかは、その時の社会的環境・条件などにより事前に予測することは困難だ。このため、積集合を生む近道は、遠回りのように見えても、集合B全域にわたってクリエイティビティを生むことを考えること----環境、組織の在り方、人の育て方、選抜の仕方----である。そしてこれがリアルオプション価値を生む、と。
この整理は、人材投資を考えるうえで極めて実践的だと思う。「ROIが見込める研修だけに投資する」という発想は、集合Aからのアプローチにあたる。しかし不連続なイノベーションは、事前にROIが見えない領域からしか生まれない。ならば、創造性そのものを育む環境に幅広く投資し、そのうちのいくつかが花開くことを期待する----というポートフォリオ的な発想が必要になる。
新原氏はまた、不連続なイノベーションは「博打」であり、数多く打ってリアルオプション価値を増し、中に一つ当たるものがあれば将来の太い屋台骨ができるという発想も大切だ、とも述べている。
■ 人事・組織の観点から、何を学ぶか
さて、この論考を人材マネジメントの実務に引き寄せると、何が見えてくるか。
第一に、「平均点主義」の限界である。以前、ニューロダイバーシティの実践事例を取り上げた際、オムロンの担当者が「平均的にバランスの取れた人財を求めていたが、得意・不得意を前提にそれぞれの強みを組み合わせる方向へ転換している」と語っていたことを紹介した。新原氏の論考は、これがダイバーシティ推進の話にとどまらず、日本の競争力そのものに関わる問題であることを示している。「考えがちょっとみんなと違っている」「自分に興味のないことは放っておいて、こだわることはこだわり続ける。執念深い」----新原氏が挙げるクリエイターの特性は、標準的な人事評価制度では低評価になりかねないものばかりだ。
第二に、組織設計における「場」の重要性である。イノベーション創出のために、中央に大規模な専門組織をつくる----という発想は、新原氏の分析からすると逆効果になりうる。むしろ、中央から適度に離れた場所に、監視の緩い小さなチームを置く。そこに自由度を与え、失敗を許容する。この「距離の設計」こそが、組織アーキテクチャの論点になる。
第三に、管理職の役割の再定義である。シェルタリング・リーダーという概念は、「部下を理解し、適切に指導する」という従来のマネジメント像とは異なる。理解できないものを守り、自由度を提供し、外圧から遮蔽する。これは、評価制度や管理職の期待役割定義にも影響する話だ。
第四に、「余白」を制度としてどう確保するかである。稼働率の最大化を志向する組織運営のなかで、意図的に余白を残す。これは効率の観点からは説明しにくいが、リアルオプションへの投資として位置づければ経済合理性がある。
■ おわりに----ステレオタイプを疑うことから
私自身、「人と仕事の未来」に寄稿した記事に対して、新原氏からは毎回、鋭いご指摘をたくさんいただいている。その視点はいつも、表層的な議論を一段深いところへ引き戻してくれるものだ。今回の論考も、まさにそうだった。
「日本は改良は得意だが創造は苦手」というステレオタイプは、実は日本企業自身が最も強く内面化してきたものかもしれない。だからこそ、外国のモデルを導入することが解決策だと考えてきた。
しかし新原氏の事例研究が示すのは、日本には日本なりのイノベーション創出の型があり、それは決して劣ったものではない、ということだ。少人数、部活動的な熱量、すり合わせ、余白、距離感、こだわり、そして保護者の存在。これらは、グローバル標準モデルとは異なる論理で機能する、独自の設計原理である。
問われているのは、外部のモデルを模倣することではなく、自分たちの型を自覚し、それを意図的に再現できる組織を設計できるかどうかなのだろう。
そして忘れてはならないのは、新原氏が挙げる事例の多くが「たまたま」生まれたものだという事実である。展示会を見に行ける部署にいた。新卒一人で支店に配属された。上司が忙しくて放っておかれた。子会社で本社から遠かった。偶然が創造の条件を整えたのだ。
その偶然を、意図的に設計できるか。それが、日本企業に突きつけられた問いである。
▼ 参考文献・リンク
・ネオ・ジャポニズム(Neo-Japonism);日本人の創造性(新原浩朗氏、RIETI BBLセミナー資料)
・Aghion, P. & Tirole, J. (1997) "Formal and Real Authority in Organizations", Journal of Political Economy