新しいアイデアは「別のフレーム」から生まれる――マイケル・ジャクソンとVRを支えた男の発想法
2026年9月16日、17日の2日間にわたり開催された「esse-sense Future Forum 2026」。4回目となる今回のテーマは「未来との邂逅 産業創造を実現する知のオーケストレーション」だ。
Day 2のKeynote 2に登壇したのは、音楽家、作曲家、シンセシスト、オーディオ・テクノロジストであり、Althea Project GKの創業者兼CEO/チーフ・アーキテクトでもあるChristopher Currell氏。マイケル・ジャクソンの『Bad』制作に携わり、音楽家でありながら、VRの黎明期から先端技術に携わり、現在はデジタルシステムのエラー訂正技術に取り組む人物だ。
そんなCurrell氏が投げかけた問いは、シンプル。
「どうすれば、これまで存在しなかったものを生み出せるのか?」
クリエイティビティとテクノロジーは別ではなく交わる
Currell氏は、小学生でアインシュタインの相対性理論を読み、核物理学者を志していた。一方で、絵を描き、高校時代にはレーザーを作り、望遠鏡まで自作したという。科学とアートは、本人にとって別々の道ではなかった。
クリエイティブの道を選んだのは、科学に比べて、創造性には限界がないと思ったからだという。ただし、アイデアを現実にするためにはテクノロジーが必要だった。
その後、音楽の世界でシンセサイザーに出会い、「頭の中で聞こえている音」を実際の音に再現するために、当時、家一軒以上の価格であった巨大なスーパーコンピューターとも言えるSynclavierに取り組んだ。
そしてマイケル・ジャクソンとの共同作業が始まる。
マイケルはSynclavierを持っていたものの、操作方法を十分に理解していなかった。Currell氏は最初の3時間で電源の入れ方から教え、その後は約4年間、マイケルの「音楽的な通訳」のような役割を担った。『Bad』ではSynclavierを使った制作の約85%に関わったという。
ここにも、今回の講演の重要なメッセージがある。
新しいテクノロジーを持っているだけでは、新しいものは生まれない。頭の中にあるものを技術に変換し、さらに他者に伝える"通訳"が必要になる。
「視点を変える」と「フレームを変える」は違う
Currell氏が講演の中で繰り返したのが「frame of reference(参照枠)」という言葉だ。同じ物体を3人が異なる方向から見れば、それぞれ違う姿が見える。そこで互いにコミュニケーションすれば、より大きな全体像が見えてくる。
しかし、Currell氏によれば、単に「見る場所」を変えるだけでは十分ではない。
同じフレームの中で場所を移動しても、参照している基本的な構造は変わらない。一方、フレームそのものを変えると、それまで見えなかった関係性や可能性が見えてくる。新しいアイデアは、まさにこの「別のフレーム」から生まれるという。
これは、新規事業やイノベーションを考える上でも興味深い。
「今のやり方を少し変える」のではなく、そもそも何を前提としているのかを問い直す。顧客、競争相手、市場、技術、組織――それらを当然のものとして受け入れている限り、そのフレームの中での改善しか生まれない。
たとえば、視点を変えるとは「同じ地図の上で立つ場所を変える」こと、フレームを変えるとは「そもそも違う地図を見る」こと、と考えると分かりやすい。
新しい情報が「古いアイデア」に変換されてしまう
さらに、Currell氏は「固定された考え(fixed ideas)」について語った。私たちは新しい情報に出会うと、無意識のうちに「これは自分が知っている何に当てはまるか?」と考える。
すると、新しいアイデアは、
- 検討する前に拒絶される
- 既存のカテゴリーに無理やり押し込まれる
- 「新しさ」がなくなるまで単純化される
といったことが起きるという。
Currell氏が注意を促したのは、「Everyone knows(みんな知っている)」「Science says(科学がそう言っている)」「People will never accept it(人々は決して受け入れない)」といった一般論だ。こうした言葉はよく使われるが、新しい可能性を見えなくする。
「誰が?」「どの条件で?」「どんな観察に基づいて?」
と、具体的に突き詰めると、常識だと思っていたものの中に、実は検証されていない前提が潜んでいることがある。
責任は「誰のせい」ではなく、自分が原因になること
結果をどれだけ細かく分析しても、それだけでは「なぜそれが起きたのか」という原因には届かない。Currell氏は、科学についても「結果を細かく測定すること」と「原因を見つけること」を区別すべきだと指摘した。根本的な原因(Cause)を見失ってはいけない。
そして、Currell氏が語ったresponsibility(責任)は印象的だった。Currell氏がいうresponsibilityとは、「誰のせいか」(blame)を問うことではなく、「自分も原因になれる」と認識することだ。
Currell氏は、それを「cause → responsibility → action → creation」という流れで表現した。原因を認識し、責任を引き受ける。そこから行動が生まれ、創造につながっていく。責任を引き受けることで、未来をつくるための力を取り戻せるという。
未来を創るための3要素
彼は、新しい未来を創り出すためには「創造性(Creativity)」「テクノロジー(Technology)」「哲学(Philosophy)」の3要素が不可欠であると説く。
・創造性:可能性に形を与える。
・テクノロジー:アイデアや知識を、現実での実践的な効果へと変える。
・哲学:現実や可能性を理解するための前提や枠組みを問い直す。
つまり、哲学によって「いま自分たちがどんなフレームの中にいるのか」を問い直し、創造性によってそこから新しい可能性を見つけ、テクノロジーによって現実にする。
技術者と哲学、芸術とテクノロジーの間には、しばしば壁が生まれる。Currell氏は、こうした領域間のバイアスをなくし、3つを横断することが、より大きな視点を持つ鍵だという。
音楽からテクノロジー、VR、そして現在のエラー訂正技術へ――Currell氏自身のキャリアもまた、この3要素を行き来しながら「まだ見えていない可能性」を探してきた軌跡なのかもしれない。
「未来」は、現在のフレームの中だけではつくれない
Currell氏のメッセージを一言でまとめるなら、「現在のフレームにとらわれるな」だろう。
まず、自分たちがどんなフレームの中にいるのかを認識する。そして、そのフレームを支えている前提や固定観念を見つける。そこから外に出て、別の参照関係から世界を眺める。
ただし、箱の外に出ること自体が目的ではない。
そこで発見したものを、もう一度こちら側に持ち帰る。新しいアイデアを伝え、技術に落とし込み、社会で使えるものにする。Currell氏は、発信者(Source)の意図が距離を越え、受信者によって複製(Duplication)され、理解されるという、コミュニケーションが重要だと指摘する。マイケル・ジャクソンのエピソードは、そのよい例と言えよう。
未来をつくるとは、現在のフレームの中で未来を予測することではない。いったんそのフレームの外に出て、まだ見えていない可能性を見つけ、それをこちら側に持ち帰ることなのかもしれない。