「言ってみる」勇気。
「嫌われる勇気」といえば、アドラー心理学ですが、今日は、「言ってみる」勇気。
あ、そういえば、北尾トロのエッセイに『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』という本があるけれど、
中で、実際に「鼻毛が出てますよ」と言えるかどうかの実験をしている。
展開がどうなるだろうとドキドキしながら読んだのを覚えている。
それはさておき、「言ってみる勇気」。
奥ゆかしいにっぽん人は、言いすぎるよりは、言わなすぎることが多いような気がする。
言わない美徳。
それはそれで、妙な軋轢を生まなくて済むのだけれど、あまりに「察してください」を繰り返していると、
周囲も疲れる。
「察してください」というのは、赤ちゃんの専売特許で、
びえーーーーーーーーーーーーーーーん! と泣いて、彼らが訴えているのは
「察してください」
である。
おむつなのか、
ミルクなのか、
背中がかゆいのか、
怖いものがそこにあるのか、
全て、
びえーーーーーーーーーーーーーーーん!
だけで、「察してください」だ。
大人は言葉を持っているのだからして、
言いたいことがあったら言ってみたらいいと思うのだ。
「やらないで後悔するのと、やって後悔するのは、どちらがいいか」
という議論もあるけれど、
「言えばよかった、あの時、言ってみたらよかった」とずーっと後悔するくらいなら、
「言ってみたらいい」と私は思う。
「あの時、言ったらどうなったかなぁ?」とただ想い出にひたって、妄想するだけなら、別に言わなくてもよいかもしれないけれど、
「後悔」するくらいなら、気持ちを「公開」したほうがよい。(あ、ダジャレです
というわけで、そんなことを書いたコラムが、本日2/8(月)upされました。
言葉のチカラ(27) 「なぜ「言わない」の?――誰にでもできる、やりたいことを実現するための超簡単な方法
===================================
北尾トロ・・・。このエントリーを書きながら、久々に思い出した。
ある時期、読み漁っていた、北尾トロのエッセイ。ばかばかしくて、疲れた金曜日にハイボール片手に読んだりすると
気が晴れます。裁判本も面白かったなぁ・・・(中身、忘れたけれど