「在宅か?オフィスか?」の2択だと、誰かの思いは無視される──テレワークは「それぞれの事情に合わせて働く」ためにある
こんにちは、竹内義晴です。
昨日、ある企業の方と、テレワークについてお話する機会がありました。その方によれば......
- 2年前(コロナ禍前・直後)とは、働き方がずいぶん変わった。明らかにテレワークがしやすくなった。周囲の抵抗感もなくなった
- でも、リアルのほうがよいことも多い
- 最近は、「やっぱり、全員オフィスで」に戻りつつある
ということでした。
コロナ禍が再び広がっていますが、最近は以前よりも行動制限が少ない分、あまりテレワーク、テレワークとは耳にしなくなりましたよね。それだけに、オフィス回帰の企業も多いのではないかなと思います。「やっぱり、オフィスだよね」と。「オフィスの方が仕事がはかどるよね」と。「コミュニケーションって大事だよね」と。
ボク自身、5年以上フルリモートで働いてきて、「これは、オフィスの方がいいよね」「対面のほうがはかどるよね」といった状況も、幾度となく経験してきました。だから、オフィスに回帰したくなる気持ちも、とてもよく分かります。
でも、「やっぱり、オフィスのがいいから、これからはオフィスで」と強制してしまうのは、すこしもったいないような気がしています。
なぜか。
「オフィスの方がいい」という気持ちもとてもよく分かります。一方で、「在宅の方がいい」と思っている人も、中にはいるはず。オフィス回帰を強制すると、オフィス派の人の意見は取り入れられるけれど、テレワーク派の人の意見は取り入れられなくなる。つまり、「誰かの思いは実現するけれど、誰かの思いは無視される」ということになります。働き方の多様性が担保されません。
また、「今日は、みんなで議論したいから、オフィスに行くけれど、明日はプレゼン資料を集中して作りたいから一人がいい」のように、「今日は在宅」「明日はオフィス」みたいな選択をしたいこともあるし、中には、「今日は子供が午前中で帰ってくるから、午後から在宅にできれば仕事はできる」とか、「ちょっと、家族からの頼まれごとで30分席を外すけれども、それ以外は普通に仕事ができる」みたいなこともあるでしょう。
現在のように、子どもが長期休みのときなんかは、特にそうですよね。
先日、テレワークは生産性や効率のためにあるのではなく「家族の幸せ」を感じるためのものだったという記事を書きました。人それぞれには、それぞれの事情がある。働き方の事情もあれば、家族の事情もある。それぞれのライフスタイル、仕事のスタイルの事情に合わせて働く。そうすれば、今まで働くことができなかった人が、働けるようになる。
それが、テレワークの本質だと思います。つまり、自分の幸せ、家族の幸せのためにあるのです。そういう意味では、テレワークは「在宅か? オフィスか?」ではなく、ハイブリッドな働き方がもっともなじむんだろうなぁと思っています。なぜなら、それぞれの人の事情はさまざまだから。核家族が多い現代は、特にそうですよね。
「いや、そんなに自由にさせていたら、とてもじゃないけど管理できないよ」──そう思われる気持ちも、よく分かります。だからこそ、「今日は〇〇で仕事をします」「いま、〇〇をしています。□□といった課題があります」のような情報共有が大切になってくるわけです。情報共有がされていれば、それほどがんじがらめに縛らなくても、自己管理ができるようになっていきます。なぜなら、「あいつ、ちゃんと仕事しているのか?、と思われたくない」という気持ちが働くからですね。
また、情報共有がされていると、オフィスであろうが、テレワークであろうがに関わらず、社内の情報に触れることができるので単純に便利です。また、「あの人は知っているけれど、あの人は知らない」といったことが起きにくくなる。そういう意味では、オフィスにいるときから、情報共有をするといいんだろうなぁと思います。それを支援するのが、デジタルツールです。働き方を、組織を、環境変化のスピードにあわせる。それが、DXです。
「まぁ、言いたいことはわかるけれど、それは、先端企業だけでしょ? うちは違うから」とおっしゃりたい気持ちも、よく分かります。情報共有も、実際にやろうと思うと、何を共有したらいいのか分からなかったり、何からはじめたらいいかよく分からなかったりと、大変ですからね。
ただ、そうした「うちは違うから」の裏にも、「本当は〇〇がいいんだけどな」と思っている、誰かの気持ちがあることには気づいてほしいかなと思います。