「多様になる」とは「複雑になる」こと。その中で「それでも、これは大切だよな」と思うこと。
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
多様化とか、多様性と言われて久しい昨今ですが、みなさま、いかがお過ごしですか?
「多様になる」というのは、「一人ひとりの個性を大切にする」ということです。それぞれの人の考えが尊重される。自分らしくはたらくことができる。それぞれ自由な生き方を選べる。そういうのが、「多様になる」ということだと思っています。
今までの社会は、どちらかというと一辺倒な社会でした。一辺倒な社会とは、「こうするのが正しい」という、社会通念や価値観が好まれる社会で、全体主義的な感じだったような気がします。
だからといって、「それは悪だ」というものではなく、今までの社会では必要だったのではないかなーと思います。
逆に、「多様になる」ということ全てが、「これが善だ」というものではないような気がします。「多様になる」ということは、言い方を変えると「複雑になる」ということでもあります。
人が変われば、それぞれの考え方がある。環境をそれぞれの考え方に合ったものにしようとすると、おそらく、とても複雑になる。
それはときに、「まぁ、それは人それぞれだからいいじゃないか」とか、「まぁ、こういう時代だから」といった言葉が多く聞かれ、なんとなく無責任、なんとなく放任、なんとなくわがままな感じがしなくもありません。
こういった「複雑になる」社会の中で、最近「それでも、これは大切だよな」と思うことがあります。
それは、言葉にするととてもシンプルながら、「私が大切なのは、○○です」のような、自分なりの"軸"を持つこと。そして、チームの場合は、みんなが「それは確かに大切だよね」と思えるような"何か"を共有できていること。
たとえば、それは「ウソをつかない」とか、「相手のことを尊重する」とか、仕事でもなんでも「楽しくやる」とか。それはまるで、小学校の廊下に貼ってあるようなものかもしれません。でも、それでいいような気がしています。複雑なことは覚えられないけれど、シンプルで簡単な言葉なら覚えられるから。
そもそも、「私にとって、こういうことが大切なの」というのは、もともと、自分の中にあるものなので、覚える必要はないのかもしれません。言語化すればいいだけなのかもしれません。
ますます、複雑化する社会の中で、「いろいろあるけど、最低限、こういうことは大事だよね」といったことを共有することが、これからの複雑化する社会では、あるいは、職場や地域といったチームでは、とても大切なのではないかなぁと思うのです。
というわけで、なんとなく思ったことを書いてみました。