部活を辞めるときに「もうやりたくない」と子どもが言わざるを得ない活動の本質は何なのだろう?
時節柄、子どもたちの卒業やこれから進路、部活の話を、まわりの親から聞くことが、よくある。
子どもたちが充実した学校生活を送ってくれれば、何を選ぼうがそれでいいし、成績はどうでもいい......と個人的には考えている。だからといって、「学生時代は適当に過ごせばいい」という意味ではもちろんない。だが、社会に出てからも、学ぶ機会はたくさんある。
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まわりの親の話を聞いていて違和感を覚えることの一つに、部活がある。
なんでも、子どもが進学時に「あの部活はもうやりたくない」と、今まで続けてきた部活をやめてしまう......というのである。
たとえば、中学まであるスポーツで優秀な成績をとっていた子が、高校では違うことをする。その理由が、「高校では〇〇をやりたい」「中学とは違うことをやってみたい」なら、全然OKだと思うのだけれど、「もうやりたくない」と言っている......というのだ。
「もうやりたくない」と思うからには、何かがあったのだろうな。それは、行き過ぎた練習かもしれないし、ずっと結果が出ないジレンマなのかもしれない。あるいは、過度な親やコーチの期待なのかもしれない。それが真実かどうかは、わからないけれど。
子どもから「もうやりたくない」という言葉が発せられる部活って、何なのだろう?何のための部活なのかな?......と、正直思う。
もっとも、部活は楽しいことばかりじゃない。時には思い通りの結果が出ないときや、練習がきついとき、先輩から理不尽なことを言われたりするときもあるだろう。どんなに熱心に取り組んでいることでも「もうやりたくない」「もうやめたい」と思うことは少なからずある。
仕事でもありますよね。そういうことは、事実としてある。
でも、部活を辞めるときに「もうやりたくない」と子どもが言わざるを得ないのは、かなしいなぁと思うのだ。
部活って何のためにあるのだろうなぁ。「目標に向かって一生懸命努力することを学ぶため」「苦しいことにもへこたれず、結果が得られるまでがんばるすばらしさを体験するため」など、その理由はさまざまだろう。
確かに、人生の中でそれらが必要な場面は数多くある。
それならば、子どもたちが部活を辞める時に、「もうやりたくない」ではなく、「十分やったな。やりきったな」という言葉で締めくくられるといいなーと思うのだ。
「そのためにはどうすればいいのか」という明確な答えは、分からないのだけれど。