ボクにとって複業(副業)は結果論。でも、これからは目指してもいいのかもしれない #サイボウズ式Meetup
今日、サイボウズ式編集部で定期的に開催しているサイボウズ式Meetupの記事今ある働き方の「常識」なんて、実は近年に当たり前になったものじゃないか──灯台もと暮らしと考える、常識にとらわれない働き方が公開された。
今回のテーマは、「場所」「複業」「発信(個人の力)」だ。この中の「複業」のところで、一瞬、お話する機会をいただいた(詳しくはリンク先を見てね)。
ボクにとって複業(副業)は結果論
ボクにとって複業(副業)は、正直言って結果論だ。「よし、これからは複業の時代だ。複業するぞ!」なんて思ったことは一度もなくて。
じゃあ、なんで複業(副業)を始めたの?って言われたら、「サイボウズが複業を募集していたから」ということになる。もし、サイボウズが複業を募集していなければ、複業をしようと思わなかっただろう。
役割を多重化する意味
ところで、以前、経済産業省の若手の方が作った不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~というスライドを、今日、偶然読む機会があった。以前も読んだことがあるのだけれど、前はさらっと読んだぐらいで、あまり細かく読み込んでいなかった。
でも、別件で気になることがあり、今回はもう少し読み込んでみたのだ。
このスライドは、いろんな批判もあったようだけれど、私個人的には、これからの未来を示唆する、すばらしい考察だと思っている。
この中に、次の記述がある。
重要なことは、定年後ではなく、30代、40代の現役時代から個人の社会における役割を多重化しておくことではないか。
そうなんだよなーと、しみじみ思った。
ボクらはこれから、長い人生を過ごすことになる。今までの「65歳定年モデル」だと、定年後30年以上、生きることになる。
そんな中で、これからの生き方の、働き方の、一つの選択肢は「多重化」かもしれなくて。
これからは複業(副業)を目指してもいいのかもしれない
繰り返しになるが、ボクは意図的に複業をはじめたわけではない。結果論だ。
けれども、これからは選択肢一つとして、「多重化」は意識しておいたほうがいいのかも、目指してもいいのかもなーと思うのだ。
「多重化」について、ボクはいろんなやり方があっていいと思っている。例えば「複業(副業)」も一つの選択肢だろうし、「地域コミュニティに入る」みたいなのもそうだと思う。いろんなコミュニティに属しておけば、少なくとも寂しくないし、老いても、安心して暮らせるかも。
というわけで、ボク個人的にも、もう少し多重化を意識してみたいなーと思っている。特に、地域コミュニティとか。
最後に、6回目のMeetupは3/9。学生の「就職」や「働くこと」について。