「感動をもらった」の話
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。なーんかやることがいっぱいあって、今年のお盆は仕事をすることに決めています。
ところで、リオ・オリンピック。日本選手大活躍ですね。ボクはオリンピックに対して、スポーツに対して、特定の競技に対して、それほど「熱い思い」はありませんが、それでも、テレビでやっていると見入ってしまいます。
そういえば、テレビを観ていると、アナウンサーや解説者のみなさんが発する、「感動をもらいました」「勇気をもらいました」みたいな言葉をよく見聞きしますが、「○○をもらいました」という言葉を聞くようになったのは最近のことなんじゃないでしょうかね。
個人的には「○○をもらいました」という言葉に、なんとなく違和感があって、「なんでかなー」と考えてみたのですが、なんかこう、「軽い感じ」がするからみたい。もちろん、アナウンサーや解説者のみなさんは、「軽く言おう」という意図などないのだろうし(むしろ、謙虚な気持ちを表現しているのではないかと)、ボクがそう感じるだけなので別にいいんですけどね。
あと、感動って「すげー!」とか、「かっこいい!」のように、こころの内側からじわじわと「感じる」ものだから、「あげる」とか「もらう」という感じも、しっくりこない一つの要因かもしれません。
とはいえ、じわじわと感じるのは、選手たちの姿を見て反応するわけだから。やっぱり、「もらった」なのかなぁ。
そういえば、改めて振り返ってみると、「すごい!」とか、「かっこいい!」と思うことはあっても、心底「感動」したことってこと、最近いつあったかなぁ。パッと思いつかないなぁ。
ということは、ボクは「感動」という言葉に、もっと「深い何か」を、期待しているのかもしれません。
たまには、思わず叫びたくなるほど、目頭が熱くなるほど、むせび泣いてしまうほどの感動を味わってみたい......そんなお盆の1日目でした。