杭打ちデータの偽造と、技術者が持つ「本来の資質」
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
旭化成建材の杭打ちデータの偽造の報道が、毎日繰り返されていますね。
データの偽造はよくないことだし、その責任は重いです。その住宅に住んでいる方のことを思えば、特に。
今後は再発防止として、さらなる品質管理やデータの信頼性が求められていくことになるのでしょう。
すみません、先にお話しておきますが、今日の文章はよくまとまっていません。思ったことをそのまま書きます。やや冗長的ですが、お許しを。
この報道をみながら、ボクは技術者寄りのことを考えました。なぜなら......
ボクは以前ITの技術者でした。誤解を恐れずに告白すれば、データの偽造こそしていませんが、したくなったことが、正直あるからです。
それは、開発したある業務システムの、テストをしていたときの話です。
通常、開発したシステムのテストを行うときは、テスト項目を洗い出して、一件一件テストをしていきます。プログラムの不具合が見つかれば、リスト上に×をつけて、プログラム修正した後に再びテストを行って、不具合が修正されたら○をつけて終わりです。リスト上に記録を残していく。それが、一般的なテストです。
しかし、そのシステムのテストは違いました。一つひとつのテストの証拠として、画面のコピーをとることが求められました。その量は膨大です。しかも、プログラムの内部の動作を確認するので、画面上の見た目は変化しないものも多々あり、「画面のコピーを取ることに、何の意味があるのだろう?」と思ったものです。それを訴えたところで、「いいからやれ」という感じだったので、しぶしぶやりました。もちろん、不正はしていません。けれども、前の画面のコピーを使おうかなと思ったことは......正直あります。
その経験を踏まえると、「それが何に使われるのか」「それを取ることにどんな意味があるのか」がないままに、「記録をとること」が目的化しちゃうと、偽造もしたくなっちゃうんだろうなぁ......と思います。これを、「形骸化」というんでしょうけど、「○○とはこういうものだ」のように、仕事をマニュアル化しちゃうと起こりやすいのかな。
それを防ぐためにはどうすればいいのかなぁ......と思うんですけど、たとえば、ボクが技術者だったときのことを思えば、「画面のコピーを取ることに、何の意味があるのだろう?」という疑問を持ったときに、ざっくばらんに話せる環境だとか、訴えたことについて、「確かにそうですね」みたいな聴く耳をもってくれる環境だったら、少し違ったかもしれません。けれども、あの時は、「下請けはいいからやればいいんだよ」みたいな感じでしたから、「はいはい、やればいいんでしょ?」って感じになっていましたね。
あと、このような事件があると、一層、「記録を残せ」という方向になると思うんですけど、技術者としての気概というかな、そういうものを失わないような方向に行けばいいなと、個人的には思っています。
「技術者」というくくりで一般化するのも危険かもしれませんが、技術者という人種はものづくりが好きで、「お前がこれでいいといっても、オレは納得できないんだ」みたいな"資質"があると思っていて(そうじゃない現状もあるかもしれませんが、あくまで"資質"です)。
たとえば、ボクの知人に大工さんがいるんですけど、「今の大工は、オートメーション化されたものを組み立てるだけだからだめだ」って言うんです。その大工さんは、木の方向やら、くせやらを一本一本みて家を建てるといいます。自分が納得できるように家を作るのが好きだし、仮に、データ的にはOKだとしても、自分が気に入らなければ直す。気に入るまでやり直す。そういうタイプの人です。こういう技術者だから、データ以上に信頼できる。
IT業界にもそういう人がいます。見た目の動きは同じだけれども、中で動くプログラムは、きれいに、保守性がよく作らなきゃ気がすまないという人がたくさんいます。
大きなプロジェクトほど、人の顔は見えなくなりますから、データを信頼するしかないのでしょう。一方で、技術者としての気概みたいなものを育てることはできないものかとも、思うわけであります。現代の仕組みは、どちらかというと逆の方向かもしれませんが。
最終的には、「何を信頼するか」ってところになるんでしょう。今回の事件はあまりに影響が大きいので、大きな仕組みとしての管理体制が作られていくことになるかと思います。一方、ものづくりが好きな人たちがすねることなく、本来持っている"資質"を活かして、技術者らしく働けるようになることも合わせて、願うばかりです。
すみません、何を言いたいのかわかりづらいですね。きれいにまとまっていません。